私とクロの蜜月関係はしばらく続いた。
特に私や我が家の敷地にベッタリになった期間はどれくらいあったろう。
ベッタリの時期は、1年くらいはあったかもしれない。
雨で少し体が濡れてたら、かわいたタオルで拭いてあげたりもした。。
その日々、私はまるで自分に飼い猫ができたような気分で、楽しかった。
クロは愛しくさえ思った。
その間、私は毎朝決まった時間に餌を与えていた。
休日でも、クロの朝飯の時間に合わせて起きて、毎日あげていた。
時にはオヤツもあげたことも。
夜の餌は日によって時間差は多少あったが、それでも大体毎日似たような時間帯だった。
一泊旅行に行く時は、朝クロに朝ごはんをあげてから出かけたが、当然その日の夜は私は自宅にはいないので、クロに夕飯はあげられない。なので、旅先からクロの夕飯を心配してたりした。
翌日一泊旅行から帰宅したら、クロは我が家の玄関前にいたのだが、もしやずっと昨日からここにいたのか?と思うと申し訳なくて、急いで御飯をあげ、たっぷり撫で撫でしてあげた。昨夜は御飯あげられなくてごめんな…と言いながら。
私を見かけるとニャ~ニャ~鳴いて寄ってくるのが可愛くてしかたなかった。
そんな日々が続いた、ある冬の日。
それは2022年の1月のある日。
毎朝決まった時間に我が家の玄関前で待っていたクロが、いなかった。
あれ?どうしたのかな今日は。…とは思ったが、たまたまだろうと思った。
クロの気まぐれぶりは知っていたし。
きっと夕飯の時間帯には、来てるだろうと思った。だが夕飯の時間帯になっても姿を見せなかった。
おかしいなとは思ったが、過去には数ヶ月姿を見せない時期もあった。だから、暫くしたらまた戻ってくるだろうとも思った。
それまで気長に待とう。寂しさはあったし、気にもなったし、心配もした。
なので、家の近くを歩いてる時は、あちこちの場所で、クロの姿を探した。
我が家にベッタリになる前の時期にクロを見かけたことがあった場所を通る時は特に。
だが…見当たらなかった。
同じ町内でも、家から少し離れた場所を歩く時も、探していた。
そんな日々は過ぎていった。
数日。数週間。数ヶ月。そして1年以上。
むなしく過ぎでいった。
昔ならちょっとブランクがあっても、やがては戻ってきたのに、今回は戻ってくる気配がない。
というのは、最後に我が家の玄関前に来た日以来、街のどこにもクロの姿を見かけなくなったからだ。
仮によその家に浮気してたんだとしても、姿を見かければ、安心できたし、また戻ってくることもあろうと思えた、、
だが今回は、街のどこにもクロを見かけない。
近所はもちろん、少し離れた場所でも。
まったく姿を見かけないのだ。
こうなると可能性はいくつか考えられた。
1、我が家の前から旅立って、テリトリーを変えた。
2、どこかの家の飼い猫になり、完全室内飼いで外に出なくなった。
3、考えたくないが、車に轢かれた、
4、考えたくないが、病気や寿命で空に登った。
上記の1の場合、これまでのテリトリーからあまりに遠く離れた場所まで行くだろうか。
少なくても、これまでのクロのテリトリー内ではまったく見かけない。
2の場合は、まだ安心できる。というか、できればこのケースであってほしいとさえ思う。
だが、クロは基本的に警戒心がかなり強かった。私になつくにも、何年も時間がかかったくらいだし、生粋の野良猫だと思う。こんなになついた私のもとを離れて、いきなり室内飼いさせてくれる人にすぐになつくだろうか。
3の可能性はある。我が家の近くの、クロのテリトリーだったエリアの道は、けっこう車が通るから…。
4も可能性はある。というのは、私にペッタリになった時期のクロは、それなりに老猫だったと思う。白髪もあったし。また、猫というのはこまめに毛づくろいをするものだが、クロが毛づくろいをしてるのは私は見たことがない。そう、クロは毛づくろいをしない猫だったのだ。
なんでも毛づくろいをしない猫は、健康を害しているという話も耳にしていたし。
実際、クシャミをしてることもけっこうあったし。
もし…寿命が尽きるなら、我が家の敷地内で倒れていたら、お墓も作ってあげるつもりでいたのに…。
私が最後にクロを見たのは、2022年の1月。
まさか翌日からクロを我が家でも近所でもまったく見かけなくなることになろうとは思わず、私は最後のエサやりをしたことになる。
それ以来、まったく見かけない。
町を歩く時は無意識のうちに、あたりを見回しながら歩いてる私。とこかにクロがいないかと思って。
だが…まったく見かけない。
寂しいし、悲しい。心配は続いている。ずっと気になり続けている。
クロ、君はどこにいるんだい?
誰かの家の中?どこか離れた街?
それとも天国?
やはり…死んでしまったのだろうか。
できれば、どこかの家の室内飼いの猫になって、穏やかな生活を過ごしていておくれ。
我が家で室内飼いしてあげられなくて、ごめんね。
本当は君は我が家の室内で飼ってほしかったんだよね、きっと。
君が気になっている。
私は子供の頃から猫は好きで、子供時代の私は捨て猫を拾って家に持ち帰ったことは何回かあった。だが、母は猫を飼うことをついに許してくれなかった。
今回は飼ってあげるチャンスだったのにね。だが、私にはギターも大事だったんだ。高価なギターが何本も家には立てかけてあるので、爪をとがれたり、倒されたりしたら……と思うと、とうしても室内飼いに踏み切れなかった。
私は猫よりギターを選んでしまったということなのだろう。
でも…後悔もしている。
私はあんなに猫になつかれたことはなかった。私も君を愛しく思ったし、君も私のことが好きだったんだろう?
君を見てれば、そのへんわかってたよ。
クロは決して人間に愛想が良い猫ではなく、人間慣れもさほどではなく、臆病で警戒心か強い猫だった。
だからこそ、あれほどなついてくれると、余計に可愛く思った。八方美人な猫ではなかった。
でも、いったんなつくと、かなり甘えん坊さんだったんだね。
クロがいつもいた、我が家の玄関前の敷地には、クロの幻影を今でも探してしまう私がいる。
クロがいなくなって、我が家の玄関前の敷地は、すっかり寂しくなってしまったよ。
でもいくら玄関前を見ても、もうそこにはクロはいない。
この記事を書いてる時点で、クロがいなくなってから1年半たつ。
さすがにそろそろ私も諦めている。
今でも、たまに私の夢の中にクロは出てくることがある。
そして夢の中で私はクロを撫でながら、名前を呼んでいることかある。
時には、リアルで酒を飲んでる時に、自宅でクロを撫でながら酒を飲む姿を妄想することもある。
クロを思い出しながら。
ところで。
猫を室内飼いしてる人で、なおかつ高価な楽器(特にギター類)を何本も持ってて、そのうち何本かはケースに入れずに、部屋の中でいつでも手に取れる位置に置いてある人は、普段どんな対策をしてるのだろう。
ケースに入れずに、普段は部屋の中でギタースタンドに立てかけている人は、室内で飼ってる猫にギターを倒されたりしないのだろうか。
爪をとがれたりしないのだろうか。
そんな気がかりがなければ、私はきっとクロを早いうちから室内飼いしただろうと思う。
本筋の話を終え、猫談義になったのですが、その時作家さんが言った言葉が印象に残っています。
「猫が居なくなったあともカーテンや家具に爪の痕が残っていますが、それを目にするたびにその子の事を思い出して泣いていました。それらは時間がたてば日常の中に埋没してしまうものです。でも、あの子の爪は心の中に決して消える事のない小さな小さな爪痕をひとつ残しています」
多分猫ってそんな存在なんだと思います。私も今まだなんらかの縁のあった猫達を思い出す事はしょっちゅうです。
「立ち別れ いなばの山の峯にお生る
まつとしきかば 今かへりこむ」(中納言行平/百人一首)
クロさんが、ひょっこりと戻って来る事を願ってやみません。
今の段階で、あれから1年半たってます。
その間、町の中で、1度も姿を見かけなくなりました。
今回はもう諦めています。
クロのために買い込んであったエサももう無駄になりました。
捨丸さんの知り合いの作家さんの気持ち、わかります。
しかもその作家さんは自宅で飼ってたんですよね。
ということは家の中で猫がいるのが当たり前の環境だったんでしょう。
だとしたら、居なくなった寂しさは私以上かもしれませんね。
家の中に飼い猫の痕跡が残ってるわけですから、絶えず家の中に猫の痕跡を目にすることになるでしょう。
家の中で飼ってるということは、もはや家族の一員ですよね。
寂しいでしょうね…。
私がもしクロを室内飼いしてて、ある日脱走したり、死んでしまったりして居なくなったら、私は今以上の喪失感を感じたでしょう。
その衝撃は、尾を引くと思います。
猫は普通に考えると人間より寿命は短いので、とうしても買い主よりも先に死んでしまうことになる。
その悲しさが辛くて、もう飼わなくなったという人もいます。
その気持ち、わかります。