昔、ユリゲラーという「超能力者」が来日して大ブームになったことがあった。
ゲラーの後、何人もの日本人フォロワー(?)も出てきた。
で、よくやっていた超能力が「スプーン曲げ」であった。
今でこそスプーン曲げには色んな解明がなされているが、当時は「本物だ」とか「インチキだ」とかの議論がにぎやかだった。
私もゲラーのスプーン曲げを最初に見た時はワクワクもしたし、驚きもした。
なにせ「超能力」というふれこみだったからだ。
超能力と言えば、漫画や映画や小説の中での架空能力だと思っていたから、それが現実として目の前に提示(?)されたのは衝撃だった。
だが、同時に「なぜ?」という疑問も持った。
その「なぜ?」とは、「なぜスプーンなの?」ということだった。
色んなスプーン曲げをやる人を見るたび、「またスプーンなの?」と思った。スプーン以外のものではいけないの?と。
鉄や木、金、水、火、プラスチックや皮じゃいけないの?
スプーンが曲がるのはよくわかったから、他のものもやってほしいと思った。
金属だって、他に色々あるじゃないか。
それと・・スプーンを曲げて、何の役に立つの?とも思った。
もっと、曲げることで役に立つものを曲げてほしいと思った。
曲がったスプーンなんて、使い物にならないアイテムでしかないじゃないか。
曲げたスプーンは、その後どうなるの?どうするの?とも思った。
曲げることで生活の役に立つものなら、もっと支持されたり、歓迎されたりしたんじゃないか。
あるいは逆に、曲がったものを直したり、元に復元したりできれば。
へそ曲がりの性格を、まっすぐな性格に変えることはできないのかな(笑)。。
平和に役立つ「曲げ」ならそれが一番だが、まあさすがにそこまでは無理でも、なぜスプーンや、せいぜいフォークだったのだろう。
スプーンを曲げることが超能力だと言われても・・・という考え方が、その後私の中で支配的になっていった。
まあ、ゲラーのスプーン曲げは、後に「マジックだった」と結論づけられたのが今の現状。
超能力者ではなく、マジシャンがスプーン曲げをするようになったからだ。
なので、マジックのネタであるなら、スプーンである必要もあったのだろう。
ネタが効かないアイテムではできないわけだから。
今更スプーン曲げを見ても、もう驚く人はあまりいないだろう。
ただ、最初に見た時は驚いたのは確かだった。
と同時に、それまで漫画などで読んでた超能力者に比べるとセコいような気もしたのも確かだった。
スプーン曲げが、百歩譲って「超能力」なのだとしたら、あれは「念力」に該当する能力だろう。
漫画に出てきた超能力者が、念力で何かを飛ばしたり(ポルターガイストに近い)、浮かしたり、木を折ったり、水を操ったりしていたイメージが私の中にあったので、そういうことをしてくれなきゃ・・・とかなり欲張った思いを私は持った覚えがある。
でも、あのスプーン曲げが「マジック」・・手品なのなら、仕方ない・・・そう思うことで、「なぜスプーンだったのだろう」「なぜスプーンでなきゃいけなかったのだろう」という疑問は私の中で解消していった。
今・・あの一連のスプーン曲げ行為を思い出してふと思うことがある。
それは・・「あの頃、曲げたたくさんのスプーンは、その後どうしたのだろう」・・・ということ。
元に戻して、使ったたのだろうか。
それとも、捨ててた・・?だとしたら、すごく無駄なことをしていたような・・。
スプーンを曲げて、それが何の役にたつのだろう・・そう思うと、特に。
後年、社会人になった時、同僚でスプーン曲げができる人がいて、少し驚きましたが、でもそれが何かの役にたつわけでもなく・・・。
スプーン曲げは超能力などではなく、マジックだった・・今はそういう結論になっていますよね。
なまじあれを超能力というふれこみでやってしまったから、落胆もしたんだと思います。
最初からマジックということでやってくれてれば、あんな社会問題にならなかったでしょうに・・。
今ではゲラーはマジシャンとみなされてるんですね。
まあ、そっちのほうが、彼にとっても気が楽なんではないでしょうか。
時計を止めるのもマジック・・・なんでしょうね、きっと。
その能力を持つという少年たちが全国にたくさん登場しましたね。
その中には超能力以外の方法でスプーンを曲げるという子もいて、
ちょっとしたバッシング騒ぎもありました。
仲間内でやってうまくいってしまったもんだから、
ある意味ひっこみがつかなくなってしまったのでしょうね。
私はあのユリ・ゲラーの来日特番の時、スプーン曲げよりも
時計を超能力で止めたりする方を興味深く観た記憶があります。
80年代に入るとメディアではユリ・ゲラーはマジシャンとして紹介されており、
なんだかなあ〜と笑ってしまいました(笑)
まあ、その後スプーン曲げは手品とみなされるようになって、驚きはなくなりましたが、、、。
ただ、最初に見たとき、超能力というふれこみだったので、ちょっと落胆したのも事実でした。
マンガなどの影響で、超能力というともっとハデでスケールが大きかったり、普段の生活でも役にたちそうなイメージがありましたから。
スプーン曲げても、普段の生活にはあまり役にたちそうもなかったから(笑)。
そういう意味では、スプーン曲げが手品であってよかったかも。
超能力というものの夢を壊さずにすんだ気がして。
あれが本物の超能力だったら、かえって寂しい気がします。
僕は、詳しい事は知りませんが、ちらっと聞いたことはあります。
もう、ずいぶん昔の事らしいですね。
◎ぼくは、決して『奇跡』とか『超能力』とかを、頭から否定するつもりは有りません。
しかし、『超能力・奇跡』などは、そう頻繁にあるものでは無いと思いますよ。
(超能力の安売りは、しないでほしいですね。(笑))
その、スプーン曲げも、多分、奇術のトリックだったと聞いています。
でも、目くじら立てて批判するほどの事でもないと思いますけど、、、、、
まあ、たわいもない話しに過ぎません。
◎心霊界や超能力や魔術などを主題とする書物や雑誌が沢山あるようで、実は、ぼくも何冊か持っています。
もちろん、『批判的』な視点で読んでいます。(笑)
好奇心旺盛な僕ですが、‘’洗脳‘’はされないです。!!
曲がったままでは使い物にならないはず。
捨てたのか、あるいは修理したのか。
もし捨てたのだとしたら、なんかもったいないですよね。
太めの鉄パイプを曲げたらそれはそれですごいですが、曲げた後の使い道を考えると、さらにもったいない気が・・。
曲げて生活に役立つものを曲げてくれたらよかったのに~。
あるいは曲がったものを元に戻す能力を披露してくれたらよかったのに・・なんて思います。
「曲げたスプーンは、その後どうなったか?」
合理的思考ですね(笑)
不本意な運命を辿ったスプーンは、きっと「不燃物」として処理れました(涙)。
私も、「スプーン曲げは、セコい」と考えていましたよ。
曲げるなら、太めの鉄パイプなど、見るからに頑強な物にすべきですね。
スプーン曲げに代表される超能力ブームも、今考えれば、「セコいけれど」、大流行したのは時代の産物です。
現在では、迫力ある事をしないと、マスコミも扱ってくれないでしょう(笑)