「忠治館、そして滝沢不動尊」
以前、群馬の忠治館という宿に泊ったことがある。
その宿名は、国定忠治からとったものらしい。
国定忠治といえば、昔から講談や芝居などでよく取りあげられてきた人物。
侠客・博徒として知られた人物なので、実像はともかく、その名前だけは聞いたことがある方は多いだろう。
「赤城の山も今宵限り」の名セリフと共に。
侠客は今でいうヤクザで、芝居などで描かれた忠治は、強気をくじき、弱きを助ける、男気のある人物。そのため、かっこいいイメージがある。
では忠治の実像はどんな人物だったか・・をテレビでの特集で見たり、本で読んだりしたところ、殺人がらみの犯罪人の面があった。
ただ、地元では、客に優しかったり、大事にしていたようで、飢饉で地元民が苦しんでいる時は、賭場での収益金を、貧しい人に分け与えて助けていたとのこと。
以前、テレビの番組で忠治を取りあげた時、忠治にとっては地元の民は賭場の大事なお客さんでもあるので、地元の民のことは大事にしていた・・と司会者が語っていたのを思い出す。
そんな面があったので、地元人からは慕われていたのだろう。
その辺からヒーロー像が広がっていったようだ。
彼は人望のあった大親分で、子分の数は何百人もいた・・という話だ。
赤城の山一帯では、地元の生んだヒーローであるのだろう。
だからこそ、宿の名前などにも、その名が使われたのだろう。
忠治館で私が泊った部屋は、離れの部屋だった。そのため、いつもの私の宿相場よりは値段は多少高めだった。
でも、離れならではの贅沢なリラックス感はあったので、全体的に忠治館に対するイメージは個人的に良い。
風呂もよかったし、スタッフの対応もよかったのを覚えている。
忠治館に泊った旅行で特に私が忘れられないのは、宿の近くの山道から赤城山に入り、延々とと登っていったこと。
道は、山奥の不動滝まで続いていたのだが、途中にあった滝沢不動尊はとりわけ印象に残っている。
人里離れた山奥に、ひっそりと不動尊はあった。俗世間から隔絶され、まるで赤城山の内部に隠れるように、それはあった。
歩きで山道を延々と昇っていくしか、いく方法はない場所だ。
少なくても私が行った時は、その道を歩く人はなかった。
なので、ずいぶん寂しい道にも思えた。
一体一日にどれぐらいの人が行くのだろう。
せっかくなのでお参りすると、中に住職さん(?)らしき人がいた。
私がお参りしてると、私の気配を察して、人が来たのが珍しそうに、住職さんが出てきた。こんな隠れ里みたいな場所に1人で居て、寂しくないのかな・・などと私が住職さんを見て思っていたら、部屋の中に招き入れてもらえ、中で少し話しをさせてもらえた。
なんでもその不動尊は、上杉謙信がらみの言い伝えもあるそうな。
それを聞いた私が、上杉謙信は大好きな武将ですと答えたから、中に入れてもらえたのかもしれない(?)。
中はちょっとした住居っぽくもなっていた。
私の仕事のことなどを聞かれたので、当時の私が仕事上で悩んでいたことを少し話したら、ありがたいお話を聞かせてもらえた。
もしかしたら、その住職さん(?)も、あの環境の中で人恋しさみたいなものがあったのかな・・。
なにせ、少なくてもその日は、他に人っけがまったくなかったから。
俗世間から隔絶されたような環境であったこともあろう、私は妙に心が落ち着いた。
自分の仕事上気になっていることを、たとえ少しであれ話せたのも、またありがたい話を素直に聞くことができたのも、あの隠れ里的な雰囲気の中だったからこそだったろう。
どれぐらいの時間、あの不動尊の建物の中にいただろう。
15分くらいだったような気もするし、1時間以上居たような気もする。
なにやら、時間の外にいるような気分であった。
なんとなく心が軽くなった気分で再び山道に戻り、さらに歩くことしばし。
すると、滝が見えてきた。
どうやら道も終わる気配。
よく見ると、滝の前にはしめ縄があった。
しめ縄は、どこか宙を漂っているかのようにも見えた。
もちろん実際には決して宙を漂っているわけではないのだが。
そして・・その滝の近くには、国定忠治が潜んでいた岩穴があった。
それは滝の手前であった。
「幕府の役人たちから追われた国定忠治は、身を隠すために、ここに潜んでいたのか」などと思い、ちょっと穴の中に入ってみたくもなったが、あいにく穴の中には入れなくなっていた。
ちょっと残念・・。
その山道に関して言えば、ルート自体は決して険しい登山道ではなかったと思う。
私的には、かっこうの散策路に思えた。
適度な汗はかいたので、やがて宿である忠治館に戻って入った温泉は、格別に思えた。
赤城山への旅行から帰ってきて、もうけっこうな年月が過ぎた。
だが、赤城山内部に入っていったあの山道の途中に、まるで俗世間から隔絶されたように、ひっそりとあった滝沢不動尊は、今も忘れられない。
もしも私があの不動尊で数日でも過ごしたら・・・どんな気分になれただろう。
きっと、私自身、俗世間から離れた存在に思えたかもしれない。
そんなことを・・今も考える。
あの不動尊を思い出すたびに。
私も、「国定忠治」は、日光江戸村で芝居を観てから、気になっている人物です。
初めて名前や姿を見聞したのは、さらに遡ること高校三年生の頃、友達にもらったテレフォンカード「赤城の山も今宵限り」の名文句を背景に、抜き身の刀をかざす古風な男性でした。
当時から、鶴田浩二さんが歌う任侠節が大好きな私は、これで「国定忠治を一目見て気に入った理由」に合点が行きました。
さて、人里離れた古寺、私も心惹かれるものがあります。
そのような淋しい、鄙びた場所に住職がいらっしゃることも、1つの感激でさえありますね。
禅の話、老荘の話、そして人生と自然を取り巻く話、心充たされるまで、ゆっくりお話を伺ってみたいです。
そして土地柄、「国定忠治と其の時代」も。
俗人からは決して聞くことが出来ない大変貴重なお話を、たくさん拝聴できるに違いありません。
そして住職の背景に聳え立つ赤城山・榛名山・妙高山、これらの山々は物は言いませんが、何万もの「人間の生き方」を見てきたので、私も見守っていただきたいのです。
月をバックに、刀をかざして、赤城の山も今宵限り、、、と忠治が言うシーンは定番ですね。
そのテレホンカードは、多分現地で作られたのでしょうね。
鶴田浩二がお好きだなんて、いったい鮎川さんは何者なんでしょう(笑)。
これまた渋すぎです。
鶴田浩二は私の親も好きで、よくレコードを聴いてました。
なので鶴田浩二の歌は私も少しは知ってます。
鶴田浩二が歌ってたサンドイッチマンの歌なんか、私もつい口ずさんでいました。
赤城山の山奥にあった古い不動尊は、実に静かな環境でした。
都心に住んでた人がいきなりそういう場所に住んだら、人恋しくなるかもです。
でも、たまに行くぶんには、良い癒やしになることでしょう。
機会があれば、ぜひ!
忠治館も良い宿でしたし。