卒業間近の中学3年の最後の美術の授業の時。
最後の授業は、水彩画を描く授業だった。
授業終了間際に、美術の先生が生徒たちにしみじみと語った言葉があった。
その言葉を聞いた時に私はどうも現実感がなかったし、先生の言葉に対して「いくらなんでも、そんなことはないんじゃないか」などと思ったのを覚えている。
で、先生が言った言葉とは?
「おそらく、今ここにいる君たちの中には、それそれの人生において水彩画を描くのはこれが最後になる人もいるだろう」という言葉だった。
中学3年といえば、たかだか15才くらいだ。人生は、その後も何十年も続く。
何十年も続く人生の中では、15才なんて、まだまだ駆け出しである。
なので、人生において水彩画を描く機会なんて、誰だって今後もあるはすだと思った私。
まあ。その回数には人それぞれ差はあるだろうが、いくらなんでもたかだか15才でそれが最後になるなんてことはないだろう。私はそう思った。
だが。
その後何十年も生きていると、あの時先生が言った言葉は、あながちウソではなかったんだろうなと実感するようになった。
そう。早くも中3の時点で。
その後、私が入学した高校では、美術というのは必修科目ではなく、音楽・美術・あともう1科目の計3種の授業から1科目を選択するシステムになっていた。
私は音楽か美術ののどちらにするかでかなり迷ったが、結局美術を選んだ。
ロックやフォークやポップスにハマってた私としては音楽も選びたかったのだが、学校で学ぶ音楽の授業はクラシック音楽ばかりだろうと推測した。実際、中学の音楽の授業はクラシックや世界の民謡ばかりだったし。
クラシックからロックまて幅広く学べるなら、音楽を選んでいたと思う。
まあ今なら確実に音楽を選ぶとは思うけど。
ともあれそんなわけで、高校では選択科目で美術を選んだ私。クラブ活動も美術部を選んだこともあり、高校に入っても水彩画を描く機会はそれなりにあった。
私の場合は、選択科目で美術を選び、クラブ活動は美術部を選んだから、水彩画を描く機会は中3が最後にはならなかった。要するに私には美術に対する興味や趣向があったから、そうなったのだ。
だが、人はそれぞれ興味のあるものは違う。
美術にはあまり興味がなく、それ以外のものに興味がある人も多い。
例えばスポーツとか、法律とか、商売とか、その他。
そういう人は、美術が必修科目だった中学を卒業してしまうと、その後例えば水彩画を描く機会なんて、確かになくなってしまう人もいるし、その状態のまま人生を過ごしていく人もいるはず。
だとすると、中3の美術の最後の授業で先生が言った「この中には、水彩画を描くことはこれが人生最後になる人もいるはず」という言葉は真実味や現実感をともなって響いてくるようになった。
確かにあの時美術の先生が言った通りだ・・と実感して。
まあ、中には何かのきっかけで、大人になって改めて水彩画に興味を持つことになる人もいるかもしれないけどね。
中学の頃までは、必修科目として美術があったから、美術に興味がない人でも美術の授業の体験ができた。
だが、それ以降は、それが必修科目ではなくなってしまうと、それに興味がない人はもうそれをやる機会は生涯なくなる人もいるのだろうね。
そしてそれはもちろん、水彩画に限らないわけで。
実際私にしても、水彩画は必修科目じゃなくなってもその後やる機会はあったが、例えば彫刻などはやる機会はないままだ。必修科目のプログラムじゃなくなってからは。
そうなるとそれは小中学校に学んで体験したのは、生涯最後だったことになる。
また。それは美術に限らない。スポーツなどにも言えるし、他にもあるはず。
大体、走り幅跳びなどは、私は小中学校時代にやったのが最後になっている。
貴方にも、小中学校時代に必修科目・必修プログラムとしてやったもので、中学卒業以来やってないことはあるのではないだろうか?
となると、小中学時代に必修科目・必修プログラムとしてやったのは、それが生涯最後の体験ということになってしまうのだ・・・。
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