時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

大きな青果市場があった、昭和の秋葉原

2007年10月31日 | 懐かしい系、あれこれ

秋葉原。いまは「アキバ」という言い方のほうが通りがいいだろう。
アキバは、今じゃオタクの町、電脳の町として世界的に有名。

だが、私が子供の時のアキバは、今とはまったく違う町だった。
それは決して「アキバ」ではなく、「秋葉原」という場所だった。

駅前には大きな青果市場があった。
私の父は当時自営業をやってたので、時々車に乗せてもらい、市場に連れてもらっていた。
連れていってもらう時は、いつも早起きさせられたものだ。
で、眠い目をこすりながら、車(ミゼットだったかもしれない)の助手席に座り、朝もやの町の中を一路秋葉原に向かった。


市場の中はなにしろ活気があった。大きな屋根でおおわれた市場の中では、あちこちでセリが行われていた。
セリに参加する前に、市場の近辺にある大衆食堂で朝飯とあいなる。
食堂の中では、威勢のいいお客さんがいっぱい。
どんな定食があったのか、その料理が美味かったのか不味かったのかはもう忘れたが、元気な大人たちに混ざって料理を食べていると、なんともいえないパワーが自分の中にも宿ってくるような気分だった。気分がハイになってくるんだ。

そこでのだんぞう少年は、なんだか大人の仲間入りしたような、おませな少年だったに違いない。

市場の外では朝日が町を照らしていた。その陽光は、キラキラしてた。まぶしかったから、そう見えたのだろう。


青果市場の中を父の後をついて歩きまわるのは楽しかった。わくわくした、
学校の中や、当時の友達との遊びでは味わえない世界がそこにあった。
大声で吠えるようにセリに参加する男たち。どこか殺気だっていた(笑)。そこには甘い世界は無く、子供心に、遊びではない戦闘モードというものを教わった気がする。
せわしなく荷物を運ぶ男達。心持ち、早足だった。
はちまきをまいてたり、腰にビニール製(?)の前掛けみたいなものをつけてたり、くすんだ帽子をかぶってたり。
普段中々お目にかかれない男達の姿がそこかしこにあった。


青果市場の中は、子供にとってはものすごく広く感じた。
まあ、もし今もその市場があったとしたら、そんなに広くはないと感じるのだろうが(笑)。
どちらにせよ、ちょっとしたワンダーランドがそこにあった。大人の男の世界をかいま見た気分だった。男の戦場にいるような気分は、学校では味わえなかったからね。



やがて、我が家は引っ越した。引っ越し先でも自営業を始めた父は、新たな市場を探し出し、そこに行くようになった。
もう秋葉原の市場に行く事はなくなった。

そうこうしてるうちに時が進み、気づけばいつの間にか秋葉原の市場は無くなってしまっていた。


今の秋葉原は、青果市場があった場所にはもうその面影はない。
もうすっかり別の町に変わってしまった。
今も、秋葉原に行けば、かつて市場があった場所を私は「ここにあったんだよ」と説明できる。
でも、かつてそこに市場があっただなんて、もう誰も信じられないだろう。


アキバと秋葉原。
同じ場所に存在した町で、フルネームをひらがなで読めば読み方は同じ。
「あきはばら」。
でも、アキバと秋葉原は全く違う町。
「あきはばら」は「秋葉原」から「アキバ」に変わり、そこには別の町がやってきたのだ。
かつて秋葉原と呼ばれた町は、時という名の地層の中に埋もれていった。
で、地慣らしされた後に、若者文化の発信地ともいえる町が引っ越して来た。
もう青果市場はない。


かつて「秋葉原」という町にあった青果市場は、活気あふれる大人の男の世界だったのだ。
そこにいた男は、一見怖い。時には殺気だってもいた。商売人にとっては、勝負の世界だったのかもしれない。

でも、そんな男たちでも、いったん自分の勝負を離れれば、やさしい笑顔を見せるということを、私は知っていた。









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