最近私は、毎回楽しみにしているコミックの数は減っている。
その中でも、この作品は、最近の私が毎回楽しみにしている数少ないコミック作品のひとつ。
これは、主人公は海徳光市という漫画家である。
海徳は手塚治虫と同じ年齢で、同時代に活躍している漫画家という設定だ。
時代は昭和30年代。
当時、手塚はコミック界の頂点に君臨していた。驚異的な連載の数の他に、アニメなども手がけ、まさにコミック界をリードしていた。
主人公である海徳も、そこそこの売れっ子漫画家だった。
作風は戦記ものだったので、手塚作品とはジャンルはかぶらなかった。
海徳は手塚治虫が大嫌いと言いながら、実は筋金入りの手塚ファンでもあり、手塚の動向がいちいち気になって仕方ない。
常に手塚を意識しており、対抗心もあって、手塚のマネをしたりもする。
そのマネの仕方は、けっこう短絡的で、妙におかしかったりもする。
とはいえ、手塚はいつも海徳の先を行っており、どうしても海徳は手塚に追いつけない。
筋金入りの手塚ファンでもあるから、実は手塚作品の素晴らしさも人一倍理解している。でも、だからこそ、クヤシイ。
なんか、このへんのくだり、私は映画「アマデウス」でのサリエリを思い出してしまった(笑)。
この海徳という漫画家にモデルがいるのかどうかは分からない。多分、当時手塚と同時代に生きて、同時代に活躍した漫画家の何人かを集合させた人物ではないかとも思える。
この「チェイサー」を読んでると、当時手塚と同時代に生き、同時代に活躍し、手塚にリードされた漫画家たちの何人かは、海徳と同じ気持ちを多かれ少なかれ持っていたのではないかとも思えたりする。
もちろん、手塚治虫をリスペクトする漫画家も多かったには違いないが。
これまで、・・例えばトキワ荘を題材にした漫画などでは、そこに登場する漫画家たちにとっては手塚はリスペクトの対象であり、憧れの存在として描かれていた。
だが、この「チェイサー」は、そんな手塚に勝手に対抗心を燃やす、手塚と同年代の漫画家が主人公・・という設定が面白い。
そんな視点の漫画、これまでありそうでなかったから。
勝手に・・・というのは、この物語の中で、当の手塚が海徳をどう思っていたかは一切描かれていないからだ。
手塚が海徳の存在を知っていたかどうかも分からない。
まあ、研究熱心だった手塚のこと、海徳のような漫画家がいたら、絶対知ってはいたとは思うが。まあ、海徳のことをどう捉えていたかはともかく。
作者のコージィさんは、熱心な手塚ファンらしい。
この「チェイサー」を読んでると、作者が手塚に敬愛の気持ちを持っているのはよく分かる。
実際、これを読んでると、当時の手塚作品を読み返したくもなってくる。
海徳を通じて、いかに当時の手塚が凄かったかが伝わってくる思いだ。
手塚の陰に、こういう漫画家もきっといたはずだ。
「チェイサー」は、ある意味、手塚治虫を、外側から間接的に描いた作品・・・そんな感じだ。
むしろ・・間接的に外側から主人公にしている感もある。
手塚を勝手にライバル視する海徳の目を通じて。
そこがまたこの作品の独特なところだ。
物語全編に渡って、実際には手塚は主人公には絡んでこないのに、手塚の存在感は凄いから。
ともかく、これまでにあった漫画家モノの作品としては、一風変わった切り口の作品で、非常に面白い。
絵柄がまるきり手塚系列の絵柄ではないというのも、そのギャップもなにやら面白い。
一度、この「チェイサー」をドラマ化でもしてくれないかなあ・・と思う。
手塚治虫の出てくる作品の、スピンオフ作品としても楽しめるとも思う。
トキワ荘を題材にした作品との対比で読んでも、面白いと思う。
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