あの状況は、いつまでも続くと思っていた。
そうであってほしかったし、そうなるのだろうとも思っていた。
もしかしたら、感覚が麻痺してたのかもしれない。
何十年もの年月は、重い。
十分に重い。
だが、その重みは、支えていた床があったから。
床だって、年月と共にもろくもなろう。
床に水をこぼしたりしなかったか?
急な衝撃を与えたことはなかったか?
そりゃ疲れもするだろう。
別のベクトルの存在には気づいていたはず。
だが、そのベクトルを甘く考えていると、重みすら打ち破る更なる重みもやってくるのだ。
それは、まったく新しい局面をもたらす。
そうなったら未練よりも、切り替えでないと乗りきれないこともある。
年月に甘えてばかりはいられない。
重みに頼ってばかりはいられない。
良くも悪くも、そこかしこに感情はある。
切り替えしかない時がある。
それしか道を開けない場合もある。
ほら、時がゆくよ。
こうしている間にも。
切り替えて新しい局面を迎え、早く今を過去にしよう。
失ったものはある。
でも得たものもある。
失ったものがもう戻ってこないものであるなら、得たものを活かしていくしかない。
小学1年の9月に転校。クラスメートとの人間関係が出来た頃に隣の校区にある小学校に転校しました。
その時から前の小学校時代あるいは幼稚園の頃を振り返る。そんな習慣がついてしまいました。
中学生になってからは小学生の頃ばかり振り返っていたし。
こんな感じでこれからも時間を無駄にしていく事でしょう。
僕が中学生だった昭和50年代前半。その時代がリバイバルブーム。10年以上前の漫画、アニメ、音楽が再び流行った時代でもありました。昔の漫画が文庫本で再発売されていました。
私が初めて本当の意味での別れを感じたのは、中学を卒業した時でした。
別れを経験すると、過去というものへの思いが沸き上がるのでしょうね。
小学校時代のような本当の意味での少年少女時代に別れを味わうと、心に刻みこまれるものは大きいのでしょうね。
で、別れは、その人の価値観や性格などに与える影響も大きいと思えます。
先日だんぞうさんが話題にしたクラスメートの件もそうでしょう。
お互いに同じ中学校区にそのまま住んでいれば、まだ会う機会もあるのですが。
そして自分が中学生だった頃に大人だった人たち。
お祖父ちゃんお祖母ちゃんの世代どころかお父さんお母さんの世代の人たちもどんどん永遠の旅立ちをしていきます。
当時見ていたテレビドラマに出演していた役者さん達も然り。
友人も、家族も、好きだったスターも。