暮れ。
街を歩く。
電車に乗る。
色んな人とすれ違う。
皆、それぞれの思いを持ち、それぞれの人生を生きている。
どんな人も、その人の人生では主役だ。
運がいい人もいれば、運の悪い人もいる。
どんな仕事でも。
それを物語として描く場合、どんな人を主役として描くかによって、物語の展開は違ってくる。
たとえば、漫画。
漫画には色んなジャンルがあるが、サラリーマン漫画というのも一つのジャンルとして確立している。
サラリーマン漫画の特徴として、主人公がやたらと運がいい場合が多い。
こんな偶然、実際にはそうあるもんじゃないよ・・と言いたくなる幸運な出来事が、1人の主人公に何度も訪れる。
いやあ、うらやましい(笑)。
例えば、偶然助けた老人が実は大会社の社長だったり、偶然助けた人がこれから営業に行こうとしてる会社のキーパーソンだったり。
主人公が普段「小さな親切」をしてあげた人が、必ず後日の仕事に関わってきて力になってくれたり。
そんな都合のいい偶然、そうそうあるもんじゃないよ・・と、ため息をついてしまうこともある(笑)。
よくもまあ、こう都合よく運ぶものだな・・と(笑)。
もちろん、普段人に親切にすることは良いことではある。
それが見知らぬ人であった場合、現実には その人とはその場限りの交流で終わったり、その親切が「大きなお世話」になる場合だってある。
現実には、町などで見知らぬ人に親切をした見返りが必ず仕事にある・・なんてことは、そうそうない。
あったとしたら、その人が今後の仕事の重要人物になるであろうことが分かってて親切にする・・という場合だったりすることもあるだろう。
漫画では、主人公はそんな「下心」は持っていずに、単に親切心や道徳心や男気や心意気でピュアな気持ちで人を助ける。
それゆえ、助けられた人は感謝したり、その主人公にほれ込んだりする。
そこまではいいのだが、そういう「助けられた人」が、その後ちゃんと主人公の仕事にからんでくる・・というのが、やはり・・漫画たるゆえんなのかなあ(笑)。
そういう漫画を読んでると、自分もこういう幸運に何度も出会いたいものだと思ったりするのだ。
もちろん、運も実力のうちではある。
だが、それにしても、運が良すぎるし、都合が良すぎるなあ。
こういうことをして自分が助けてあげた人が、自分に助けられたことで「こんな風に思ってほしい」とか「こんな立場の人であってくれたら」という願望どおりに感じてくれたり、願望通りの立場の人であってくれたりし続けててくれる。
助けるごとに、助けた相手は必ずそういう人であってくれている。
こんな幸運は、実際には人生にはそうそうはないと思う。
そうか!
こういう漫画の出世モノは、「幸運夢物語」として読めばいいのか(笑)。
つまり、一つのおとぎ話なんだね。
シンデレラのサラリーマン版なのかもしれない。
なんか、そう考えたら、少し納得してきた(笑)。←自己完結完了。
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