歌詞の中には、その時代の環境や生活ぶりなどが反映されていたりする。
作者の感情以外の要素として。
その時代にあったものなどは、時代の推移と共に消えてゆくものもあるし、完全には消えないまでも一般的ではなくなるものもある。
そうすると、その歌を歌い続けていると、時代の推移による環境変化で、あまりピンとこない個所もでてくる。
例えばレコードなどは、昔は音楽を聞く手段のメインであったが、今では一部のマニアのものになったりしてるし、クラブのDJなどが使うレコードの使い方は、昔のレコードの使われ方とは違うし。
また、元号などもそうだ。
昭和や平成などの元号を歌詞の重要な要素として取り入れてる歌なども、元号の変化によって、だんだんリアルなものじゃなくなっていく。
上記の固有名詞などは、これまでの私の自作曲の歌詞にもでてきている。
「レコード」は私の学生時代の曲「センチメンタルメロディ」の中に出てくる。
こんな出だしの歌詞だったから。
♪ すりきれたレコード 音ミゾの中
色々な思い出 横たわり
眠っているような
この歌詞など、レコードを知らない世代にとっては、あまりピンとこないのではないか。
特に「音ミゾ」という言葉など。
レコードを触ったことがない人にとっては「何、それ?」という感じではないか。
でも、レコードになじんでいた人にとっては、普通に「音ミゾ」がどういうものなのかイメージできるはず。
また、レコードの音ミゾに記憶が眠っている・・という歌詞もわかっていただけるのではないか。
でも、レコードそのものを知らない人にとっては、上記の歌詞にあまりリアルさは感じてもらえない気がする。
また、私の別の自作曲で「母校が消えた日(昭和の子守唄)」というのがあるが、これなどサブタイトルに、すでに過ぎ去った時代「昭和」という言葉が出てくる。
で、長めの歌詞の中には、昭和の色んな光景やモノが出てくるので、昭和を知らない人にとっては、歌詞の中に出てくる「昭和の光景」にあまりピンとこないのではないかと思う。
この他、私がこれまで作ってきた自作曲には、上記以外にも「その時代ならではの光景やモノ」が出てくるのがある。
時代が令和になり、昭和も平成もどんどん遠ざかっていく。
令和が進むにつれ、上記の歌などは、歌い続けていくのがしんどくなってくるのかもしれない・・などと思ったりする。
「センチメンタルメロディ」という曲などは、昔私が組んでたポップスバンドの重要なレパートリーであったし、あんがい仲間内からもそれなりに気にいってもらえたし、バンドでライブで披露した時も、当時のお客さんからもけっこう受けがよかった。
でも・・・今となっては、少しやりづらいかもしれない。
歌い辛い・・というか。
でも、まあ・・・完全に封印することはないとは思うが。
せっかく作った歌だし、それなりに自分の思い入れも入っているし。
と、ここまで私の自作曲を具体例にあげて書いてきたが、もちろんプロの既成曲の中にも、そういうものは多数ある。
時代の変化と共にだんだん廃れていったモノや光景が歌詞の重要な要素になっていた曲は、シンガーにとって段々歌い辛いものになってはいないだろうか。
しかし新時代に合わせていては、言葉は軽薄・皮相になるばかりです。
「昭和の子守唄」というサブタイトルは、そのまま残すべきですね。
尚、私も散文や詩を作る時は、敢えて新時代要素は排除しています。
「CD」を「レコード」に置き換えたり、「スマホ」「携帯電話」は一切使わずに「ダイヤル回して」に切り換えたり…。
詩に相応しい言葉は守るべきですね。
私は自分の好きなことを続けてきただけで、さほど流行を追ってる意識はなかったです。
とはいえ、多少なりともその時代時代の作風の変化は見てはいましたけど。
昭和の子守唄・・・これはもう歌詞の内容から言って今さら変えようはないですね。
変えてしまったら、あの歌はあの歌ではなくなってしまいますし。
そう、おっしゃる通り、歌詞にふさわしい言葉というのはありますね。
替え歌ならともかく(笑)。