年齢を重ねるにつれて、時間が経過するのが早く感じられる・・・という感覚は、よく語られることだ。
それを常日頃実感する方は、きっと多いのではないだろうか。年齢を重ねると、特に。
ところが、日頃そういうことを感じてはいても、時間の経過が遅く感じられる時もあったりする。
この「時間の経過」を早いと感じるか、遅いと感じるか・・については、昔から意見が分かれてきながらも、年齢と共に時間経過が早く感じられるという現象について、哲学者が研究してきたりもしているようだ。
その件に関してあれこれ調べてみても、色んな意見や主張があるようで、中々どれが正解か・・とまではいかないようだ。
そんな時は・・・自分に当てはめて考えてみると、その人なりの見解が浮かび上がってくるものではないだろうか。
なので、自分自身に当てはめて考えてみた。
すると・・こんな感じだった。
何かをしていて、それが非常に充実していると、時間の経過は早く感じる。
でも、充実していながらも、その時間帯の中で新鮮なことがいくつもあると、時間の経過は長く感じる。
子供時代に時間の経過が遅く感じたのは、新鮮な体験や、新鮮に思える出来事が多かったから。
つまり、盛りだくさんの内容が一定の時間帯に詰まっていると、普段の感覚では短い時間帯の中で様々な体験があったことで、時間をいつもの何倍も有効利用した気がして、時間経過が遅く感じられる。
また、毎日の経過が、パターン通りに進み、変化がないと、時間の経過が無為に早く感じる。
もしくは、何か変化があったにも関わらず、それに気づかなかったり、やりすごしたりしても、時間の経過は無為に早く感じる。
子供時代でも、そんな時期は、時間の経過がきっと早く感じられたような気はする。
同じ1週間でも「今週は、日数の経過が早いな」と感じた時もあったし。
ところが、毎日の経過が変化に富み、しかもそれが楽しいものであった場合は、その時は早く感じても、その期間のことを後で思い出してみると、時間経過は長かったと感じる。
一方、どんな時間感覚であれ、その時間帯を体力的な苦痛の連続で過ごすと、経過は遅くなる。
だが、終わりが管理されてて、それまでにやらなければいけないことがはかどらないと、経過は早く感じられる。
・・などなど、色々自分にあてはめて考えてたが、どうも決定打的な見解には思えなかった・・・。
ということは・・
時間の流れというものは、感情や感じ方によって変化し、絶えず「一定ではない」と考えるといいのかもしれない。
流れを遅く感じたければ、新鮮な体験を多くするようにする。面白いと思える心や、何かに感動できる心を持ち続けられるようにする。
逆に、流れを早く感じたければ、変化のない生活をおくればいい。
そういうことになるような気もしてきた。
旅行などに行った時、旅先で多くの素敵な風景を見たり、色んな体験をして、それを新鮮だったり面白いと感じると、その日は長く感じられることは多い。
同じく、旅行に行っても、旅先での環境にあまり関心を持てないと、あっけなく時間が過ぎたりする。
ということは、心や感覚の持ちようで、時間の体感速度は変えられることになるのでないだろうか。
もし今、時間の流れが早く感じるのなら、自分の心や感覚が、鈍っていってるからなのかもしれない。
もしくは、何もしようとしていない証拠なのかもしれない。
もっとも、何かをしたくても、できない場合もある。
困るのはそういう場合。
やろうと思えばやれるのに、何もする気がない場合は、自分の意識改革で何かすることもできる。
だが、何かやりたくても、様々な理由で出来ない場合は、自分の気持ちとは裏腹に時間が早く流れていってしまうことになる。そんな時、焦りや悩みや空しさや寂しさを感じるのだろう。増幅もされるのだろう。
やろうと思えばやれる状態にありながら、何もやる気がなく、しかもそれを変える気もない・・・そんな場合が一番やっかいなのだろう。
そんな時・・・時間は容赦なく早く過ぎてゆく。
そんな気がする。
あくまでも個人的な感覚を書いてきましたが、さて、皆さんは、いかがでしょうか。
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