先日、久々に柴又に行ってきた。
私が正式に柴又に行くのは、これで2回目。
前回柴又に行ったのは、もうかなり前のことになる。まだ駅前に寅さんの銅像もなく、寅さん記念館もまだなかった頃だ。
その後、テレビなどで、柴又に寅さんの銅像や、寅さん記念館などが出来たことを知り、いつかまた行ってみようと思ってはいたのだが、中々実現しないでいた。
今回やっと、重い腰をあげた・・というわけだった。
柴又は、東京の外れにあり、川を渡ればそこは千葉・・そんな位置にある。
私が行くとなると、同じ東京ではありながら、そこそこ時間がかかる町だ。
高砂駅で金町線に乗り換え、柴又駅に到着。寅さんの町に、やってきたぞ。再び。
まず電車を降りて、改札を出る。
その改札やホームは、「男はつらいよ」で、最後に寅さんが柴又を去ってゆく時に電車に乗るシーンと基本的に今も同じつくりになっており、なにやら安心する。もちろん、基本的に同じ設計とはいっても、新しくなってきれいになってる部分はあるにしろ。
ちなみに、映画の最後に、いつも寅さんが再び柴又を出て行くのは、たいがい失恋した後に失意で柴又を去っていく・・というパターンだった。で、妹のさくらが、この改札まで寅さんを見送りに来ていた。
その時に寅さんが乗る電車は金町線という電車で、寅さんの行先は、いつも高砂駅方面行きであった。
高砂駅は、柴又の次の駅である。そう、1駅隣の駅。それは金町線の始発&終点駅なのだ。その高砂駅から寅さんは、行き先によって乗り換える電車を変えて、日本全国に商売(?)に向かっていたことになる。
いわば、高砂駅こそが、寅さんがどこへ向かうかのターミナル駅みたいなものであり、東京から旅先への移動の拠点であったろう。
浅草方面。途中で乗り換えて京急方面。日暮里・上野などのJR山手線方面。船橋・成田方面。千葉方面。
途中でJRに乗り換えれば、その後の乗り換え次第で、日本全国どこにでも向かえる。
柴又駅から高砂駅までの1駅の移動の間に、寅さんは次の行き場所を決めていたのか、それとも、高砂駅にいったん出たところで、「気の向くまま」に気分で行き先を考えたのか・・それは寅さん本人でないと分からない。
少なくても、高砂駅で寅さんが、その先自分がどこに向かうかを考えてるシーンは、私は映画では見た覚えがない。
たった1駅だけの移動時間は短いので、すぐには行き先を思いつかないかもしれない。となると、とりあえず高砂に出て、そこから乗り換えを繰り返し、JR山の手線などで東京駅に向かったかもしれない。東京駅に出れば、日本の様々な方面に向かえるので、いったん東京駅に出て、そこで行き先を考える・・なんてパターンもあったのではないか。
とはいえ、どこに向かうにしろ、柴又からどこか地方に旅立つ場合は、はじめの一歩が高砂駅であることにはかわらないし、さしあたって高砂駅に出ないと、旅は始まりようがなかったはずだ。
まあ、なんにせよ、柴又駅の高砂駅方面行きのホームは、日本全国に旅する寅さんの旅の出発点ではある。
このホームを寅さんは、どんな思いで立っていたのだろう。
ともあれ、柴又駅の改札を出ると、目の前にいきなり寅さんの銅像。
もう、いきなり寅さんモード全開だ。もう、これだけで、町が寅さん一色な気がする。
前回私が柴又に来た時には、まだなかった銅像だ。
なんでも、これはパワースポットでもあるらしい。
さて、さっそく商店街を歩いてゆく。
少し歩いたら、おもちゃ博物館発見。見ると、1回は駄菓子屋になっている。
この店は、帰りにゆっくり寄ることにして、先を急ぐ。
腹が減ってるので、「とらや」で昼飯を食べることにした。これは予定通り。
前回来た時は、はす向かいの「高木屋」でお団子を食べた覚えがあるので、今回は「とらや」でオムライスと、草団子を注文。
ここは、「男はつらいよ」でも初期はロケに使われた店で、店内には、あのお馴染みの階段が残っていた。
そう、寅さんが柴又の「くるま菓子店」に帰ってきて、2階の自室(?)に上がる時にいつも登り降りしていた階段だ。
なんでも、「男はつらいよ」の寅さんの団子屋は、初期はこの「とらや」がロケ地に使われ、途中から、はすむかいの「高木屋」が使われていたとのこと。
初期の寅さん映画では、この団子屋の名前は「とらや」だったのに、途中から「くるま菓子舗」という店名に変わったのは、そのへんも関係しているとか。
なんにせよ、実在する「とらや」も「高木屋」もどちらも寅さんのロケ地であることは変わりないようだ。
さて、オムライス。なんていうか、懐かしい味のオムライスだ。昭和のオムライスって感じ。
で、草団子は粘り気が強く、あんこもたっぷり添えられていた。
店にはひっきりなしにお客さんが入ってきており、中々繁盛しているようだ。今でも。
とりあえず昼飯をとった私は、ともかく帝釈天に向かうことにした。
道は1本なので、迷いようがない。
ちなみに・・・・地形的に書くと、寅さんが「くるま菓子舗」に帰ってきた時にいつも店の前の道を通ってくるが、その道は一本道で、片側は帝釈天にそのまま通じ、もう片側の方向は、そのまま駅に通じる。
くるま菓子舗が「とらや」であろうが「高木屋」であろうが、帝釈天はすぐである。
帝釈天に通じる道は、今でも賑わう商店街で、団子屋、おみやげ屋などがひしめいており、店では煎餅なども定番商品のようだ。
浅草などに行くと、外国人の来訪者も多いが、ここ柴又はそうでもなかった。少なくても私が行った時はそうだった。
まあ、浅草に比べたら、けっこうこじんまりしてるし、これはこれでいいのかもしれない。
おそらく、柴又に来る人は、多くの人が寅さんを思い浮かべてくるであろう。もしくは、ズバリ寅さん目当てで来る人もいるはず。
浅草は「日本の観光地」として外国人にも有名であるが、柴又はやはり寅さんがメインアイコン。
寅さんがどれだけ外国人に知られているのか知らないが、もしも寅さんを好きな外国人がいたら、かなり「通」ではあると思う。
やはり浅草などに比べたら、寅さん目当てで柴又に来る外国人は、そりゃ少ないのかもね。
噂では・・北朝鮮の故・金正日氏は、熱心な寅さんファンだったらしい。
もしも日本と北朝鮮が良好な関係であったなら、金正日氏は、柴又に来ることを希望したかもしれない。
さて、とらやを出て、商店街を少し歩いた私は、すぐに帝釈天の門に着いた。
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