日本舞踊を踊ると、どこからともなく、じっとりと汗をかくんです。今まで感じたことのない、躰の奥のほうから出てくるような汗。もちろん、冷や汗も。。。
浴衣浚いの写真です。
日本舞踊を踊ると、どこからともなく、じっとりと汗をかくんです。今まで感じたことのない、躰の奥のほうから出てくるような汗。もちろん、冷や汗も。。。
浴衣浚いの写真です。
『鏡獅子』その3です。さて、弥生の踊りが進むうちに、その場にあった獅子頭を手にします。すると獅子頭に魂が宿っていて、弥生の体を無理やり引きずりながらどこかへ行ってしまいます。
弥生が持っている獅子は「手獅子」と呼ばれる小さなものです。それはその日の余興に使われる小道具のひとつで、お小姓という御台所などに仕える若い腰元が余興として踊るためにそこに飾られています。それを弥生が手にするという場面設定です。
愈々、次はその獅子に魂が宿り、獅子の精が現われます。
※ 写真は国立劇場で開催された「扇菊会」で撮影されたものです。
『鏡獅子』のつづきです。振付、初演の九代目團十郎丞はこの『鏡獅子』を一度しか演じていないそうです。その後は大正3年に、六代目菊五郎丞が『鏡獅子』をはじめて演じ、以後自身の当り芸とし、没後もほかの役者によって演じられ今日に至っています。
六代目菊五郎丞と言えば、我が父が尊敬していて「菊」の一文字を私の名前にどうしても入れたがったほどでした。
辞世の句は「まだ足らぬ 踊りおどりて あの世まで」私もそのように在りたいです。
※ 写真は国立劇場で開催された「扇菊会」で撮影されたものです。
『春興鏡獅子』(しゅんきょうかがみじし)明治26年、歌舞伎座初演。
と、以外と新しいです。
石橋物のなかでは人気演目として知られています。作詞は福地桜痴、作曲は三代目杵屋正次郎、振付けは二代目藤間勘右衛門と九代目市川團十郎。長唄『枕獅子』が基になっている。
その内容は江戸城大奥の正月七日の鏡開きの日、そこへ奥女中たちがお小姓の弥生を引っ張り出し、弥生は仕方なく踊りを見せる。
ところが踊るうちに、その場にあった獅子頭を手にすると獅子頭には魂が宿っていて、弥生の体を無理やり引きずりながらどこかへ行ってしまう。やがて獅子の精が現われ、胡蝶とともに牡丹の花に遊び狂うというものである。獅子の姿は本行(能)の『石橋』に倣った扮装となっている。
江戸城大奥の鏡開きは単に鏡を開くだけではなく、その鏡餅をそりのような台に載せて大奥の中を引回し、余興などを催すというにぎやかな行事であったそうです。
普段は将軍以外男子禁制の大奥も、この日は余興の役人などが立ち入る事が出来た。この鏡開きの日に現われた獅子なので『鏡獅子』という。
※ 写真は国立劇場で開催された「扇菊会」で撮影されたものです。