どういうことなの?と思うとき
集団自決に限らず歴史全般に言えることですが、当事者の証言というのは貴重かつ重要な一次資料であることに異論はないと思います。その当時を「リアル」に伝え受けとめることができるような、もしかしたら唯一のものかもしれません。
そうはいっても、証言というのは人間の記憶というものが元になっていますので、そこには当然のように、事実とは異なるものも入ってしまうことがあると思います。
去年の同じ日の夕食を事細かに記憶している人はいないでしょう。それが長い年月であればあるほど、思い出すのがより困難になっていくものであるのも、特に異論があるとは思えません。
その中には時々、本当に記憶違いなのかどうか分からないものがあります。特に軍隊に関するもの、軍事学的観点といえるものに関する証言には、全てではないのですが明らかに不可解な証言もあるのです。
渡嘉敷島の集団自決における当事者の証言にもそのようなものがありましたので、今回は軍事学的観点から考察したいと思います。
ここであらかじめ説明いたしますが、不審な点があるというだけで、証言をした人物を「嘘つき」呼ばわりする気は全くございません。記憶違いを責める気もございません。むしろ、記憶違いがないほうがおかしいという個人的見解を堅持しておりますので、その辺については切にご理解いただきたいです。
まずは「挑まれる沖縄戦」から以下に引用いたします。
「(玉砕場で)陣地方向から来た防衛隊が、村長に耳打ちをした。村長がおるから、私は近くにおった。何を言っているか分からなかったけど、うんうんと、村長は頷いて、それから天皇陛下万歳というあれがでてきた。
私は、手榴弾を二発持っていた。確か役場でもらってきた。それで僕がもらっているものが、ものすごく古いやつだったものだから、村長がこれはだめだといって一個は最新式のものをくれた。私の家族も、それから姉婿の家族もおじさんたちもおばさんたちもちかくにおった。手榴弾がないから仲間にしてくれという人たちも一緒になった。家族だけで七、八人。みんなで二十人ぐらい。みんな一緒に、号令で、天皇陛下万歳で、そのあとあっちでもこっちでもバンバンバンとやった。私は二発、兄貴は二発だが、四発ともだめだった。取り扱い方があんまり。九十七式は後ろの安全栓を抜いて、ネジを締めなきゃいけないが、兄貴は軍人だからね、やったけどだめだった」
当時15歳の役場職員であった方の証言です。
役場の職員で役場から手榴弾をもらってきたそうですから、自決命令の決定的証拠になっている「兵事主任の証言」と同じ現場に居合わせたか、「兵事主任の証言」を当時から知っていた可能性がある方なのですが、その辺については全く不明です。
ちなみに「挑まれる沖縄戦」は2008年出版なのですが、同じ方の同じ証言が2007年6月14日付けの「沖縄タイムス」朝刊に新証言として掲載されています。なお「兵事主任の証言」については当ブログ「誰も知らない「兵事主任の証言」」で考察しておりますので、ご興味のある方は読んでいただくとありがたいです。
「兵事主任の証言」はともかく、ここで注意を引くのが手榴弾に関するいくつかの不思議な現象というか、どうしても疑問を持たざるを得ないような証言をなさっているのです。
まず「僕がもらっているものが、ものすごく古いやつだったものだから、村長がこれはだめだといって一個は最新式のものをくれた」という部分です。ここだけを読むと何が古くて、何が最新式なのか全く分かりません。
しかし後半部分の「九十七式は」という箇所から察するに、九十七式というのは九十七式手榴弾ということになります。
九十七式手榴弾というのは、旧日本軍が1937年(昭和12年)に採用した手榴弾のことです。太平洋戦争時は一般的な手榴弾として使用され、沖縄戦でも例外なく支給されたものです。
上記の証言では九十七式手榴弾が「最新式」というような印象を受けますが、実は必ずしも最新とはいえないのです。
旧日本軍の手榴弾には複数の種類がありました。そのなかでも九十九式手榴弾というのが採用されたのは1939年(昭和15年)です。こちらも一般的に使用されておりました。
では九十七式手榴弾より古いといえるものはなにかというと、1931年(昭和6年)に採用された九十一式手榴弾です。
採用順に並べますと九十一式→九十七式→九十九式になります。九十七式を基準とするならば九十一式手榴弾から九十七式手榴弾へと、まさに「最新式」のものに替えてもらったということになりそうですが、先程指摘した通り九十九式が存在する以上、必ずしも最新のものではないことが理解いただけると思います。
ちなみに九十一式と九十七式の外見はよく似ているのに対して、九十七式と九十九式は全く違う形状をしております。
渡された九十七式手榴弾そのものに、経年劣化等の不具合があった可能性も考えられます。集団自決時に手榴弾の不発が多かったという証言が多数ありますので、何らかの劣化による不発の可能性もあります。
「村長がこれはだめだといって一個は最新式のものをくれた」ということですから、この状況を常識的に考えれば、証言者や村長は手榴弾の外見上に何か、例えば錆が付着しているといったようなものに対して「古い」といった可能性も否定できません。
上記の証言を最初に取り上げたのは沖縄タイムスの2007年6月14日付の朝刊で、「村長の「陛下万歳」を合図に防衛隊員、耳打ち「それが軍命だった」」という見出しで掲載されました。「軍命」なのか否かという観点だけでとらえ、沖縄タイムスとしては「軍命だった」という「結論」みたいなのですが、肝心の手榴弾については単なる不発という扱いのみです。
そういうわけで型式あるいは年式の古い手榴弾なのか、それとも個体そのものの劣化等によるものなのかが全く分かりません。あまりにも情報が少ないのです。
住民たちが持っていた手榴弾の存在が、集団自決においては重要な要素になると思われるので、入手の経緯などといったことも含め、より詳細な考察が必要なのではありますが、そういった点は全くといっていいほど考慮もされていません。
集団自決の実像を解明する手掛かりにもなり得るのに、これ以上の考察をしようとしないその姿勢が、非常に残念でならないです。
さらには誰が考えても明らかに不可解な証言をしている箇所があります。
その点については次回以降に続きます。