ミニバス記録

バスケノート

自分に生きる

2024-07-28 19:56:00 | 日記
あの子は怒られないのに自分は怒られる

女子の数名がそんな感情を抱いていることは意外であり、嬉しさもある。

「ひいきだ」という考えはそれなりに頑張っているのであれば誰にでも起こりうる考えなのだ。
同じ経験は私にもある。

小学生の頃2人で廊下を走って、私だけが怒られたことがある。

当時は私だけが怒られることは不平等だと思ったが、廊下を走ったら危ないという事実に変わりはない。

誰かに怒られるということは、変わらなければならないことを教えてくれるということ。

「怒られた」という事象にとらわれず、自分に足りなかったことを考える必要がある。

私が高校時代に上手くなれたのはここが大きかった。

仲間や先生に指摘されても、その事象よりも自分だけを見続けた。

例えば、高校1年生の私は自分なりに自主練をしていたが、周りは「変わらない、練習してない」という評価。
そこで確かに自分はまだできないことばかりだと自分に目を向けることができた。

「誰かは怒られなくて、自分は怒られた」
ことばかりを考えていてはできなかった自分はいつまでもできないままである。

小学生から自分を見ることのできる選手など早々いないが、中高も通用する選手、そして大人になっても強く生きる精神は今ここで学べるようにしよう。

今の彼らは、少なくとも頑張れている。
しかしそれは、私に評価されるかされないかでしかない。
私に怒られた、怒られなかった
ノートで褒められた、厳しい言葉を書かれた

私の評価に左右されなければ、怒られても怒られなくても自分のすべきことは変わらない。

人に認められるために生きる人生ほど空虚なものはないだろう。

確かに褒められることは嬉しいが、強い人の核に「認められるため」という感情は存在しない。

自分と向き合った結果認められて、尊敬されるのだ。

私も私のすることに対して結果しか見ない。
上手くなるために全てをつくし、その結果に対する評価は見ない。
私が嫌われたとしても、二度と会いたくないと思われたとしても、必要な声をかけ続ける。

私は決してこのスタイルを変えない。

彼らが4月を迎える頃、自分に生きることができるようになる日まで。