土曜日はミニバス後に社会人チームでバスケをするのだが、昨日の猛暑はさすがにこたえた。
小学生はこの猛暑の中練習をしていたと思うと、練習メニューも見直す必要はあるだろう。
それでも、練習中に休んでしまう子が多いことは課題だと思ったりする。
自分の限界値を越えるのは脳がきついと感じた時なのは事実だ。
今指導する子たちはどうかといえば、きついと判断すれば休む。
これが一昔前であれば休むことは許されず、給水すらできない時代もあったが、それは環境が強制的に限界を越えさせていた。
休むことができる環境が甘えをうんでいるとしたら良いことでない…
脳がきついと感じた時、
「ここで休んで今のレベルのままな自分」
「休まず取り組んで新たな自分と出会う」
この二つが頭に浮かんだとすれば後者を選べる人間性を得て欲しい。
うまくなることを楽しむ人は、きつい時間すら乗り越えられる強さを持つ。
それは試合で相手に勝つことや誰かに褒められることで得られる優越感から来るものでなく、レイアップシュートを打てなかった人が打てるようになる瞬間なのだと思う。
自分の行動や選択が他者からコントロールされる人生ほどつまらないものはないだろう。
だから休んでるうちは強くならない、今より上手くなれないという事実は伝えつつ、彼らの選択は尊重していきたい。
彼らのキャパシティを理解し、限界をほんの少し越えられるようなメニュー構成にすることが私にできる工夫だ。
低学年と高学年でメニューをわける意図はここにあり、低学年に合わせれば高学年は物足りないし、高学年に合わせれば低学年はついていけない…
レベルに合わせた強度があり、その環境で達成感を得ていくことは高校で教わったことだった。
全て同じメニューでやらせることが平等でなく、レベルに応じて取り組ませることこそが私の中での平等だ。