83,4年頃のことだ。
当時はまだ東京の精密部品の製造会社に勤めていて、生産技術部門に転属して、3年目のことだった。
ちょうどフロッピーが5インチから3.5インチへと移り変わってきた頃で、私の会社も、5インチのヘッドから、3.5インチ両面のヘッドへと生産が移行していた頃のことである。
今は、3.5インチFDDが2、3千円で買える時代だが、当時は3.5インチ両面ヘッド(キャリッジにアッセンブリ済み)が3千円以上した時代である。
それまで、他社の測定器を使っていたのだがこれが高かった。
自社で作れないか、と言うことと、取引先のV社からの依頼もあり、その測定器を生産技術で作ることになったのだが、設計を任されたのが私だった。
5インチの測定器を見本に、部品点数が500点あまりの測定器を設計した。
肝心なのが基準位置を出すことだ。機械的(光学的)に出せれば一番良いのだが、当時の技術や発想ではどの社でも技術的に出来なかった。
私や課のメンバーも発想に行き詰まり、結局電子的方法を選択せざるを得なかったのが、今でも残念に思う。
それでも、機械的誤差(可動部のクリアランス等)を抑える工夫を随所に織り込んで、V社に納入できたことにある種の達成感を感じたものである。
その後に、3.5インチ両面ヘッドの基準器設計の心臓部分を任されたのだが、設計95%まで進んでいたのだが、病気の進行に伴い秋田に帰ってきた。
心残りであった。
当時はまだ東京の精密部品の製造会社に勤めていて、生産技術部門に転属して、3年目のことだった。
ちょうどフロッピーが5インチから3.5インチへと移り変わってきた頃で、私の会社も、5インチのヘッドから、3.5インチ両面のヘッドへと生産が移行していた頃のことである。
今は、3.5インチFDDが2、3千円で買える時代だが、当時は3.5インチ両面ヘッド(キャリッジにアッセンブリ済み)が3千円以上した時代である。
それまで、他社の測定器を使っていたのだがこれが高かった。
自社で作れないか、と言うことと、取引先のV社からの依頼もあり、その測定器を生産技術で作ることになったのだが、設計を任されたのが私だった。
5インチの測定器を見本に、部品点数が500点あまりの測定器を設計した。
肝心なのが基準位置を出すことだ。機械的(光学的)に出せれば一番良いのだが、当時の技術や発想ではどの社でも技術的に出来なかった。
私や課のメンバーも発想に行き詰まり、結局電子的方法を選択せざるを得なかったのが、今でも残念に思う。
それでも、機械的誤差(可動部のクリアランス等)を抑える工夫を随所に織り込んで、V社に納入できたことにある種の達成感を感じたものである。
その後に、3.5インチ両面ヘッドの基準器設計の心臓部分を任されたのだが、設計95%まで進んでいたのだが、病気の進行に伴い秋田に帰ってきた。
心残りであった。