小さな出来事、大きな足跡

小さなことを積み重ねて気が付くと自分の型ができている。取るに足りない事にも意味はある。

花の咲く場所

2022-05-08 10:14:41 | 帰省・家族

GWは今年も帰省。今年は弟も帰省して父、弟と墓参りもした。先だってめまい症になったのが亡弟の誕生日だったので

これは墓参りに来いというメッセージなのか?と気になって、父に提案したのだが、考えてみれば墓参り数年ぶりだ。

閃いた時に行動して、それが次の行動に繋がるって来る事はあるもので、今回は父の勧めにしたがって近所の散歩もした。

 

普段帰省しても、家事手伝いと休養で一歩も外に出ないが、散歩してみたい気持ちはあった。散歩したいという気持ちを放置して

いるうちにめまい症になってしまった。ちょうどいい隙間時間も出来たので行こうかなと思ったら行かねばとヨロヨロしながら出かけた。

特に見どころがなくても22年も暮らした場所は特別な場所だ。年のせいか野に咲く名もなき花に深く感動。住宅しかない場所だから

民家の庭から飛んで行って空き地に咲いているみたいの増えたけど、探すといる。野花の可憐さと逞しさに心打たれると共に

こうして家の近くで今も野花が見れる有難さを堪能することが出来た。

 

 

街が整備されると、こうした花々も姿を消し、代わりに歩道沿いなどに園芸店で扱ってる品種の花々が整然と植えられる。

その後頑張って隙間から花を咲かせたとしても、植えこまれた花でない物は草むしりの対象となり、根気強くむしられ続け、

やがて完全に姿を消す。人に害を与えるような事何もしてないのにね。害どころか手間もかけてない。自立してるのだから。

世の常としての理不尽の一端をこんなところにも感じるなと思い家に戻る。

こちらわが実家の庭。園芸店で購入した花々が並び、両親の日々の癒しとして共に暮らしている。隙間をぬって野花が咲いているのを、私は

そのままにしておいたが、やはり整然と植えてる花との対比になってしまい、ランダムにちょろちょろ小さくさいている花はうるさく見えがち

で、抜いて整然と美しい庭にしたい気持ちにはなるのだ。立場変われば見かたも変わる。

自立してるだけでは足りない。環境を見極めて咲かないと排除されてしまう。なんだか人生訓みたいなオチになっちまったが

休みの日ならではの花見はやはり楽しい。

連休明けはまたそうそう休めない日々が始まるので、まずは小さな花にも気づける心の余裕はキープできるよう体調管理頑張りましょう^^



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