アマチュア無線局 JH0FHB

25年越しの14MHz SSB無線機の製作

黎明期の通信を考える

2020年11月08日 | アマチュア無線

【2020.11.08】
「鉱石ラジオの実験-5」で紹介した松本市のKさんから「古い電波関係の展示会」の案内のメールが届いたのは、10月1日のことだった。
「電信記念日(10月23日)」に因んで開催されるとのこと。

10月31日(土)は、やや遅めの昼食を済ませて約80Km先の会場へ向かった。
無線通信には全く興味を示さないカミさんも一緒である。
カミさんは道中の美しい紅葉や、喉かな景色を堪能している様子だった。
そして、会場の東筑摩郡山形村図書館に到着したのは午後3時だった。

早速、見学をさせて頂くと珍しい電波通信機器の他に、日本人が世界で初めて製作した増田屋のラジコンバス等が展示されていた。
主催者のKさんにお会いできなかったのは残念だったが、有意義な一日だった。
今回、主催者の許可を得て写真を紹介させて頂くことになった。

展示品の中で、特に興味深かったのが「カメラ型の真空管式携帯ラジオ」だった。
その旨をメールでKさんに伝えると、沢山の写真や資料を送って下さった。


カメラのケースにシャーシが組み込まれていて、真空管やバリコンの羽根が見える。
1950年代の製品で、ただ驚くばかりだった。

<黎明期の通信>
以下は会場の掲示物からの引用。

・古代から人々は情報伝達の方法を色々工夫してきた。
・のろし、太鼓、ホラ貝、かがり火、飛脚、伝書バト、手旗信号、信号灯
・電信が発明されるまでは、不確実で少しの情報しか伝えられなかった。
・電信記念日は、1869年(明治2年)東京―横浜間の仮設工事の始まりを記念して制定された。

<タイタニック号の大惨事>
1912年、処女航海の北大西洋で氷山と衝突し沈没した。
戦争犠牲者を除くと20世紀最悪の海難事故だった。
世界最大の豪華客船で、最新の造船技術と造船工法で建造された不沈船と言われたが・・・
沈没の前にはマルコニー社の既定の遭難信号「CGD」をモールス信号で発信したのだが他の船舶の救助は難航し多くの犠牲者が出た。尚、国際救助信号の「SOS」は1906年にベルリンで調印されていたが、この時は使われなかったのが真実らしい。

<筆者の感想>
現代はスマホで「ビデオ通話」ができる時代だが、黎明期の通信について調べたり考えて見るのも面白い。

ところで、今年の紅葉は目を見張るような美しさである。
下の写真は、11月7日(土)の市内の貞祥寺と荒船山の様子。
晩秋だな~。

<貞祥寺>

<荒船山>

コメント (2)
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