当時明治大学商学部の予科学生で、和泉校舎の学食でカツ丼(当時は贅沢品?)を食べながら学友と、『大変なことになったなぁ』と話し合ったそうで、『近々オレたちも必ず召集される』と、言い、『まず生きて帰ってこられないだろう』と互いに覚悟を決めたそうです。
そして案の定繰り上げ卒業させられて神宮の森から学徒出陣。
当時の卒業アルバムはラシャ張の立派なもので、一部はこのブログ内に写真を掲載してあります(現物は明治大学へ寄贈)。
詳細は本ブログ内の『学徒出陣時の父のアルバム』のカテゴリーを参照してください。
また、出征時に本郷の家で写された写真には、3月10日の東京大空襲で亡くなった祖父(養祖父)や、看護婦をしていた祖母(養祖母)が、七生報国の幟や寄せ書きされた日の丸を背景に写っています。
出征した学友の殆どが戦死し(特攻の志願は拒まないほど血の気の多いものが多かった?)、親友の一人はソ満国境の最前線からシベリアへ抑留され、栄養失調で気息奄々として帰還。
ものすごい時代ではありましたが、親父は辛くも生き抜きました。
親父は出征時にある女性に求婚(当時は出征前に結婚するのは当たり前のことだったようです)しました。
遠縁の年下の女性で、相思相愛だったようです。
しかしながらその女性が親父の実の妹で、実父(蟷螂の実祖父)が『さすがに兄妹はまずいだろう』と悩み、『どうせ戦争で死んでしまうのだから本当のことを言っちまえ』と上の二人の実兄に『実はかくかくしかじかで、○○子はお前の妹である』と、強羅の別荘で言わせたたのです。
親父は関東大震災直後生まれ、余震の中、ガラス問屋を手広く営み、裏では貸金業までしていた実父にしても、震災で育て難いと思って遠縁にあたる看護婦をしていた女性に子を託したのです。
何も知らされず実子として育てられた親父にとっては青天の霹靂以上、それまで薬種屋のひとりっ子として育てられていたものが、失恋の上素封家の実子と聞かされ、大いなる傷心を抱いたまま戦場へ。
そして敗戦。
戸籍上は実子として届けられていましたが、実は神田でも名うてのお金持ちの三男だったことが判明し、親父は当然厭世気分。
気持ちが荒び渋谷円山町の遊郭に実父のツケで居続けを決め込んでいると、使いの者が現れてすべて清算して見合いの席へ引きずり出して結婚させられたのが現母。
小学校の行事の際に来賓として現れる『実父』を見て祖母に、『あんな人とかかわりを持っちゃいけないよ』と言い聞かせられていたそうですが、まさかその実子と結婚する羽目になるとは。
蟷螂は愚母の仲人への恨み節をよく聞かされたものです。
オジキ(母の兄)の同級生は高級官僚ばかり、『だれそれさんとの見合いが決まっていたのに』と、酔っぱらってよくこぼした。
だからというわけではありませんが、愚母はとにかく金遣いが荒く、乗り物は特2、靴は銀座のヨシノヤダイアナかねまつ、おべべはオーダーメイドのみ。
親父は夏はステテコにランニングでちびた下駄履きにサングラス、冬は汚れてボロボロのカーキ色のジャンバー、お茶大出の伯母(母の姉)に『あんた、ヤクザの情婦と間違えられないように気を付けなさいよ』と言われていましたっけ。
その後従弟のガラス問屋は時代の波に乗り遅れ、尾羽打ち枯らして都落ち。実の父親の三人の男児の中で、財産は受け継がなかったけれど金貸しの実父の血を一番受け継いでいるのが蟷螂の親父だったことは皮肉というより他ありません。
今でいう親ガチャで、親父は外れ籤を引いたのでしょう。
また、行方不明のアンポンタン大バカ間抜け倅は実祖父の血を引いているのか金遣いが大胆で、太い生命力で大借金にもたじろがないのですが、果たしてコロナ禍の今を生き延びられるかどうか。
コロナ禍も一種の戦争のようなもの、他人の運命を狂わせかねないのです。
失礼しました。
いよいよです
>オミクロン株、英イングランドで市中感染 保健相が認める - BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/59558407.amp?fbclid=IwAR3vYXNFk2-J_w8BrUMZn-wtef3lewx4AyZAIbaCMNde9-OI0Zp5UVtkEcc
でも、不興を買いそうですが
オミクロン株は感染しても軽い..というのが私の感想です。
ですから、いっそ、オミクロン株に感染して免疫が付けばよいのでは...と見立てています
一度感染して→持病持ちには命取りになる可能性があるような気がします。
3回目のワクチンは断固拒絶しますが、やはり用心に越したことはないと思います。
反ワクチンか一度感染かということならば、弱毒化した無添加ワクチンが一番のような気がします。
無添加が主流の今だからこそ、声を大にして国に訴えましょう。