ドキドキ☆貧ちゃんライフ

気ままな生活でいつも貧ちゃんなドキドキがちんこライフを送っているシステムエンジニアのつぶやき

少し考えてみた2

2013年06月06日 | 日記
前のブログでは「死刑に賛成ですか反対ですか?」という考えてみた。
今度は無期懲役および終身刑についてだ。

結論は「今は分からない」のでここで少しずつ考えていこうと思う。
まず「無期懲役」は出所できます。一方「終身刑」は出所できません。という違いがある。
「無期懲役」と「終身刑」
ちなみに日本には終身刑はありません。

日本で無期懲役に値する犯罪を起こした犯罪者を前提にすると
・俺のたちの血税で犯罪者を養うのは嫌だという感情的な理由。
・刑務所の部屋の数足りるの?という素朴な疑問。どうやら定員オーバーらしいので更正施設を作ってそこに
 移送しているみたい。

俺としては定員オーバーでも何でも良いから刑務所に求めるのは
・二度とこんなところに来るものかと思わせるような生活をさせること。
 抑止力です。刑務所の暮らしが快適であれば再犯は絶対に防げない。
・罪を償って出所したものに対しては一定期間生活(住むところと仕事)を保障してあげること。
 出所しても住むところも仕事もないのであれば再犯に走る可能性が高いと考えられる。
・刑務所自体が組織としてカネを稼ぐシステムを作ること。
 国民の税金に頼らずに刑務所を運営して欲しい。国からは最低限の補填で済ますようにして欲しい。(俺の感情的名理由だ)
 そうプライオリティの高くない案件のプログラムを書かすとか非常に良いと思うんだけどな。
 もちろん仕事の割り振り方に工夫は必要だが。
 プログラムが書けない人間でもプログラムを書くプロジェクトに投入されるご時勢なので、刑務所でやっても
 構わないのではないか?
 仕事は何でも構わないのだが、才能のある人材には超法規的に国が引き抜いて国益のために働いてもらう。

ここまで考えて俺が出した結論は
無期懲役の犯罪者の適性によって国益のために出所できるようになるまで働いてもらう。それも危険を伴うことを。
新薬の被験者とか
こんなことをいうと人権がどうのこうのいう輩がいるが彼らだって他人の人権を傷つけているまたは奪っている
のだから遠慮は要らないと思う。

少し考えてみた

2013年06月06日 | 日記
とあるSNSで「死刑に賛成ですか反対ですか?」という質問があった。
ディベートなどでは良く取り上げられるテーマだが、俺も考えてみた。

結論からいうと俺は「死刑賛成」の立場だ。
日本で殺人事件を起こした犯罪者を前提に理由をいうと
・俺のたちの血税で犯罪者を養うのは嫌だという感情的な理由。
・人が生きるという最低限の権利を奪っておいて、殺した人間にも生きる権利があると言うことは道理に
 合わないと考えているから。

ネットでも「死刑 賛成 反対」で検索すると山ほど議論が出てくる。
死刑について考えてみませんかという
ところでは
・死刑は犯罪の抑止力にはならない。
・被害者の報復感情
・冤罪の可能性
をメインに書かれてある。基本的に反対の立場だ。

・死刑は犯罪の抑止力にはならない。
 そんなの当たり前だ。用意周到に行った犯罪ならともかく殺人は衝動的にやってしまったものもあるからだ。
 衝動的であれ人権を奪ったことには違いないのだから、犯人にも同様に人権は放棄してもらうべきだと思う。
 そういう意味では必ずしも死刑にする必要はないのだが。人権を放棄する方法が死以外にないのなら死刑に
 するべきだ。

・被害者の報復感情
 感情で判決(法)が左右されてはならない。でないと国の根幹が揺らぐ。被害者の無念さや憎悪を考えると殺しても
 物足りないと考えるのは当たり前だ。しかし、それが理由で刑を決めるべきではない。不可抗力で殺人を犯した
 としても法に照らし合わせて刑を決めるべきである。それで死刑なら仕方ないと思う。

・冤罪の可能性
 このことを持ち出す輩には何のために長い時間をかけて裁判をしているのか?と逆に問いたい。
 地方裁判所→高等裁判書→最高裁判所と3つも裁判を経て刑を確定させているのに冤罪って…
 死刑について考えてみませんかには
 「日本でも最高裁で死刑が確定した後、再審請求で無実が明らかになった人が戦後4人います。」とある。
 これは警察や検察などの能力の問題であって死刑反対の理由にはならないと考える。

他のサイトも見ているが賛成派の方が感情的だ。「自分の親兄弟が殺されても同じことが言えるのか?」
など非常に感情的な意見が多い。俺が自分の親兄弟を殺されたなら仇討ちさせてくれと法執行機関に頼むかも
しれない。俺も人を殺すのでそのせいで俺が死刑になるのは構わない。喜んで受けてやる。

いろんなサイトの議論を読んでいて思ったのが、日本には儒教(論語)を基本とした非常に優れた文化がある
ことを忘れていることだ。子供達が素読をしていた時代は殺人事件もなく平和だったのか?なんていうわけじゃなくて
「道理」に照らし合わせて物事を考える文化があったと言いたいのだ。
道理に照らし合わせて考えると死刑制度の是非の議論は新しいステージに進むと思う。

俺の推量では道理に照らし合わせて死刑制度を考えると死刑反対になると思っている。確固たる理由はないが
論語では師は「殺ってよし」とは曰っていないし。

あなたは死刑制度は賛成ですか、反対ですか?