明日は3月11日、7年前、東日本大震災があった日ですね。
当時私は武蔵小金井の飲食店で調理長をしておりました。
金曜日ということもあり宴会の予約が多数入っていて、早出して
仕込みに追われていました。
この日はテレビ局の撮影クルーが来ていました。
外国のお金持ちのお嬢様二人が日本でアルバイトを経験するというような企画でした。
突然の大きな揺れ。
ドリンカーでポットが落ちて割れる音、ガシャガシャと暴れる食器
フライヤーはバシャバシャと油を散らしていました。
私は積み上げた食器が倒れないように支えながら揺れが収まるのを待ちました。
長かった・・・途方もなく長く感じました。
後から聞いた話では2つの大きな地震が時間差で来て繋がって長い揺れになったとか。
キャーキャー叫ぶお嬢様達、日本に来て早々大変な目に合いましたね。
撮影クルーは「これはおおごとだ」と撮影を中断して帰っていきました。
(後日撮り直しになりました)
当日に書いた日記が見つかったので一部抜粋
-------------------------------------
2011年3月11日21時33分
あれ?・・・地震・・??
最初はそんな感じ。
なんだか船に乗っているかのような ゆ~らゆ~らした揺れ。
今日は我が店でTV撮影のある日。
世間知らずの外国のお嬢様にバイトを経験してもらうとかいう番組らしい。
本社からは 幹部が数人、TVクルー、出演者の女の子たち、賑やかになってきたところで
撮影スタート。
本社の女性「ここが女子更衣室。これに着替えたら私に声かけてね~♪」なんて
言ってたときのこと。
お嬢様の悲鳴。壁に掴まり周りを見渡すTVクルー。
「ガス止めろー!」と叫ぶ幹部社員。
ドリンカーからお湯用のポットが2本転落、がっちゃーーん。
キッチンはステーキ用鉄板の下に敷く木板が落下。
ワレモノではないので被害なし。
長い。 長い。 まだ終わらない。 だんだん船酔いみたいな気持ち悪さに。
そりゃそうだ。昨日は朝9時出勤でTV撮影のため朝5時まで休憩なしで立ちっぱなしで大掃除、
恐怖の20時間労働、そして仮眠3時間を取ったあと 再び出勤。
万全の体調とは言えない。
余震が続く。 洗い場の水面がタプタプと音を立てて揺れている。
3件あった宴会の予約は全てキャンセル。 今までの苦労はいったい。。
食材も無駄に。
TV撮影は中止。それどころじゃないと。
予約もなくなり、フリー客もまばらなので 万全をとって早上がりさせてもらうことに。
寒気がする。顔が真っ赤だと言われた。熱があるっぽい。ノドが痛くてツバも飲み込めない。
やたらと風が冷たい。冷たいを通り越して痛い。
精を付ける為、焼肉屋で食事。
バス乗り場に行列。 かなり混んでる。 JR全線が止まったそう。
公衆電話にも行列。 こんな光景はじめてみた。
ケータイが繋がらないからでしょう。
茨城にいる家族が心配。
何回電話するも「規制中」と出て繋がらない。 無事でいてくれ。
うちに着いた。
玄関を開けると鏡が落下していたが 奇跡的に割れていなかった。
ベッドやPCデスク、引き出しなどが かなり動かされてる。
TVは土台をTV台に固定していたので無事でした。
地震対策 やっといてよかった。
スマートフォンは緊急地震速報を受信できないんだ。
ちょっと残念。
対応ケータイ持っててちゃんと設定してある人、どうでした?鳴りました?
ちょっと前に深夜にやってたアニメ「東京マグニチュード8・0」だったかな
あれ思い出した。
とにもかくにも忘れられない一日となりました。
あ・・また余震・・・
----------------------------------------------------
当日はかなり寒かったこと、当時のスマホは緊急地震速報(エリアメール)に
まだ対応していなかったこと、地震対策をしておいてよかったこと、
余震が何度も起こったことなどが書いてあって 当時を鮮明に思い出しました。
あまりの余震の多さに「地震酔い」なのか「本当に揺れているのか」わからなくなり
水を入れたペットボトルを置いていましたね。
水面が揺れてるかどうかを見て判断していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/ff/ed454e8c1d723b67d480247e68080c19.jpg)
巨大津波、それによる原発事故。計画停電。
余震に怯えながらそれらのニュースを聞き
日本はどうなってしまうのかと皆が不安がっていました。
こちらは震度5強ということで 大した被害はありませんでした。
津波もないですしね。
被災地では震度7。筆舌に尽くしがたい大変な思いをされたことでしょう。
2万人近い方々が亡くなられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/4b/a080671040272f775f65c493202bdd07.jpg)
思い出したくない記憶ではありますが
忘れてはいけない記憶でもあります。
当時私は武蔵小金井の飲食店で調理長をしておりました。
金曜日ということもあり宴会の予約が多数入っていて、早出して
仕込みに追われていました。
この日はテレビ局の撮影クルーが来ていました。
外国のお金持ちのお嬢様二人が日本でアルバイトを経験するというような企画でした。
突然の大きな揺れ。
ドリンカーでポットが落ちて割れる音、ガシャガシャと暴れる食器
フライヤーはバシャバシャと油を散らしていました。
私は積み上げた食器が倒れないように支えながら揺れが収まるのを待ちました。
長かった・・・途方もなく長く感じました。
後から聞いた話では2つの大きな地震が時間差で来て繋がって長い揺れになったとか。
キャーキャー叫ぶお嬢様達、日本に来て早々大変な目に合いましたね。
撮影クルーは「これはおおごとだ」と撮影を中断して帰っていきました。
(後日撮り直しになりました)
当日に書いた日記が見つかったので一部抜粋
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2011年3月11日21時33分
あれ?・・・地震・・??
最初はそんな感じ。
なんだか船に乗っているかのような ゆ~らゆ~らした揺れ。
今日は我が店でTV撮影のある日。
世間知らずの外国のお嬢様にバイトを経験してもらうとかいう番組らしい。
本社からは 幹部が数人、TVクルー、出演者の女の子たち、賑やかになってきたところで
撮影スタート。
本社の女性「ここが女子更衣室。これに着替えたら私に声かけてね~♪」なんて
言ってたときのこと。
お嬢様の悲鳴。壁に掴まり周りを見渡すTVクルー。
「ガス止めろー!」と叫ぶ幹部社員。
ドリンカーからお湯用のポットが2本転落、がっちゃーーん。
キッチンはステーキ用鉄板の下に敷く木板が落下。
ワレモノではないので被害なし。
長い。 長い。 まだ終わらない。 だんだん船酔いみたいな気持ち悪さに。
そりゃそうだ。昨日は朝9時出勤でTV撮影のため朝5時まで休憩なしで立ちっぱなしで大掃除、
恐怖の20時間労働、そして仮眠3時間を取ったあと 再び出勤。
万全の体調とは言えない。
余震が続く。 洗い場の水面がタプタプと音を立てて揺れている。
3件あった宴会の予約は全てキャンセル。 今までの苦労はいったい。。
食材も無駄に。
TV撮影は中止。それどころじゃないと。
予約もなくなり、フリー客もまばらなので 万全をとって早上がりさせてもらうことに。
寒気がする。顔が真っ赤だと言われた。熱があるっぽい。ノドが痛くてツバも飲み込めない。
やたらと風が冷たい。冷たいを通り越して痛い。
精を付ける為、焼肉屋で食事。
バス乗り場に行列。 かなり混んでる。 JR全線が止まったそう。
公衆電話にも行列。 こんな光景はじめてみた。
ケータイが繋がらないからでしょう。
茨城にいる家族が心配。
何回電話するも「規制中」と出て繋がらない。 無事でいてくれ。
うちに着いた。
玄関を開けると鏡が落下していたが 奇跡的に割れていなかった。
ベッドやPCデスク、引き出しなどが かなり動かされてる。
TVは土台をTV台に固定していたので無事でした。
地震対策 やっといてよかった。
スマートフォンは緊急地震速報を受信できないんだ。
ちょっと残念。
対応ケータイ持っててちゃんと設定してある人、どうでした?鳴りました?
ちょっと前に深夜にやってたアニメ「東京マグニチュード8・0」だったかな
あれ思い出した。
とにもかくにも忘れられない一日となりました。
あ・・また余震・・・
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当日はかなり寒かったこと、当時のスマホは緊急地震速報(エリアメール)に
まだ対応していなかったこと、地震対策をしておいてよかったこと、
余震が何度も起こったことなどが書いてあって 当時を鮮明に思い出しました。
あまりの余震の多さに「地震酔い」なのか「本当に揺れているのか」わからなくなり
水を入れたペットボトルを置いていましたね。
水面が揺れてるかどうかを見て判断していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/ff/ed454e8c1d723b67d480247e68080c19.jpg)
巨大津波、それによる原発事故。計画停電。
余震に怯えながらそれらのニュースを聞き
日本はどうなってしまうのかと皆が不安がっていました。
こちらは震度5強ということで 大した被害はありませんでした。
津波もないですしね。
被災地では震度7。筆舌に尽くしがたい大変な思いをされたことでしょう。
2万人近い方々が亡くなられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/4b/a080671040272f775f65c493202bdd07.jpg)
思い出したくない記憶ではありますが
忘れてはいけない記憶でもあります。