「日本文化原論 真なる調和への道 」 美粋書房 横山俊一

私は神道や仏教を根にする伝統文化慣習に携わりました経験を軸に『日本文化原論』と題し執筆活動を展開しております。

1)永続思想と主体性学

2021-07-28 10:53:16 | 日記

1-1習慣化された性質

しばしば、「無知な奴だ」等と蔑み人格を否定するかの表現や態度が表される。ある対象について正しい知識のないままに良し悪しの評価を下す性格には確かに良い心象は起こりづらい。乱暴な表現をもって一過的に注目を集め何か人気を集め自己の生存と繁栄を企てる発想や習慣が進むとやはりどこか人格面の深い所に欠陥らしき要素が映りこれへの的確な対応を望む自然律が働く。場を和ませる発想を持って少々崩れた表現やユニークさを起こし人々に良いエネルギーを生じさせる性格の創造が見られる。動力源の健全性が少なからずみられ他存性の意識による表現に伝わると肯定的な心象が産み出される。「前者の無知な奴だ」という性格付けとは違った根源性が浮かび上がり歪な利己的自存を根にする現象とは異質の判断を産む。

1-2自存性と他存性

表現を発信する側の意図や狙いがどのようなものか、意図や狙いに関わらず受け手の側がどう判断するかが問題だ等という観点が出現する。根源的な側面を問うと共に一過的な現象による性格付けと繰り返し起こされる習慣から対象に根付いた性格を伺い真相真価を算定する構図が産まれる。慢性化した悪意の性質や肥満な我儘気質等という利己性の強い自存願望を高める非社会性や創造性に在るか、外界の良い力を起こし他存を遂げる性質か、因果を伺い本性や本質、根源等という面の認識が定着する。根となる感性に動力源が出現し発想や思考が重ねられ行為と産出に及ぶ。慢性的な外界の敵視と略奪的な発想と思考と作為を重ねる習慣性を持つか。歪な根による堂々とした発想と創造の脆弱な歪んだ発想と手法による自存性を求める性格であるか。次第に真相が明らかになる。表向き小奇麗な演出を多用し内実は酷く傷んだ感性等という実態認識が産まれる。逆に、表向きは荒々しく実際は良き根を宿す性格という認識も起こる。

1-3根本観点の導出

根源性と根幹性と産出性と習慣の観点から主体性や人間性の質実を映す観点が産まれる。主体性や人間性を浮かび上がらせる変わりづらい概念を整え現象を適用し過不足の評価と対応に反映される。歪な発想から外堀の包囲網を企て対象を貶める等という思考と作為を慢性化する性格には良い感性が映りづらい。物的力の依存と外界の支配従属を求める感性の病んだ姿と浮かび上がる。著名人と並んで写真を撮り外界へ自己を訴求する等という発想にも根と幹の痩せた歪性が垣間見られる。堂々と対象に対面し真摯な感性と創造を投じる体質に長らくの信用が形成される。妙な政治力という創造を常識とすることのなき人間の根源性を問い具象的実感に伝わる形を概念に引き出し明瞭性を増し現象の客観評価を遂げる発想が進む。

1-4主体性原理

「憲法」や「人権」等への関心を注ぎ一般原則性と高まり各種対象への同一尺度と適用が進む。人間と生態の健全と永続という万人的な理念と主体性の一般法則が産まれる。男系と女系による特徴付けを進める前段的根本の観点を産む。人間性の良し悪しの分析と基準と要件の精査が進み社会や生態のあるべき主体性像と稼働の習慣と基調が形成される。病んだ保守性と破壊的な自由という両極的な不健全性に陥らぬには人間と生態の根本性の観点と根幹の筋道と産出の適正な大枠を引き出し、変わりづらい普遍尺度を持って現況の対面と過不足の安定した評価予測性に連ね個別施策の適正に連ねる創造原理が作られる。根と芯と全容に確かな構図が求められる。その場限りの利益追求と小手先発想と欺きを常態する性質であるほどに混乱的場当たり性の短期利益志向を常態する歪性を招く。因果の纏まりを持つ中期や長期性の領域観の形成や哲学倫理観が育たず歪な根による物的依存と外界の支配従属を求める病んだ心身性と人間性に陥る。

1-5動静概念と規則性

個々の体験と反省と改善の習慣を重ね技術性と哲学文化の両輪性を兼ねた不変的普遍の基準像を産みだす過程を重ね洗練集約性の概念を産出し価値観の形成に及ぶ動静習慣を有する人間像が産まれる。あまりに根の屈折した性格に大きな力を与えると力と活用の歪性が広がり根の性格が酷く傷んだ社会と生態を招く。経験ばかりが長く質の整わぬ歪性や感性の崩れた不健全は正よりも負の影響が広がる。予防的な施策が強められる。


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