国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄労働組合史 290

2011-10-02 23:17:50 | 国鉄労働組合史
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実父が9月25日に他界し、更新が遅れたことお詫び申し上げます。

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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第六節 国労の政策要求
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 分割・民営化後の国労の政策づくり

 国鉄の「分割. 民営化」から5年目の1992( 平成4) 年6月、運輸政策審議会が運輸大臣に提出した「21世紀に向けての中長期の鉄道整備に関する基本釣考え方魅力ある未来の鉄道を求めて」( 22号答申) は、わが国の鉄道の現状と鉄道への期待、そして鉄道整備とその促進策などにふれたもので、その要旨は次のとおりであった。
 ① わが国の社会経済は安定経済を持続し、成熟化の段階を迎えている。しかし近年は、東京一極集 中の是正、地方の活性化、環境・エネルギi 問題、労働力不足などさまざまな課題に面面してい る。21世紀にむけこれらの諸問題に対応しつつ、国土の均衡する発展を図り、豊かさを実感 できる社会を実現する必要がある。そのためにも交通関係の社会資本の充実. 強化を図ること が最も重要な施策の一つである。中でも鉄道は、これらの課題に対応しうる優れた交通手段と して一層の役割を果たすべく期待が高まってきている。具体的には、都市間移動範囲の拡大、 都市部の快適な通勤通学輸送を実現することである。そうすることによって、21世紀におけ るわが国の交通体系の中で鉄道が中枢的役割を果たすことが可能になると考えられる。
 ② 1987年の国鉄の分割・民営により、そのにない手は民間セクターとなった。今日、JRの経営 も順調に推移しており、民間セクターが中心となって鉄道整備の基本方向を明らかにするとき である。
 ③ 鉄道に対する国民の期待に応えていくには、相当規模の投資が必要である。しかし膨大な資金と 長期の懐妊期間が鉄道事業は必要なので、民間セクターのリスクがますます大きくなる。そこ で国が今後の鉄道整備の方向を示し、方策を講じていくことが重要であり、公的支援を行い、 資本費の負担軽減を図る必要がある。具体策としては、幹線ネットワークの質の高度化を図る こと、大都市圏の通勤・通学時の混雑緩和 ( 東京・大阪・名古屋を中心に) 、および一定規模以 上の人口を有する地方都市であって、鉄道特性が発揮しうる所は、既存の鉄道の改良により輸 送力増強を図る。
 ④ 現征の運賃負担のみでは、大規模な投資は限界が見えている。それゆえ国の支援とこれまで以上 に地域社会が鉄道整備に協力・支援を行い、相対的に低い水準にとどめられていた運賃・料金を 利用者等が考え方の発想を転換し、一層の協力と負担を求めることを検討すべき時期にきてい る。また、今後の労働力不足に的確に対応できるよう省力化に配慮した投資を進めていく。
 ⑤ ローカル鉄道は、鉄道の特性を発揮できない状況にあるが、地域の足として維持していくために 一層の努力を行い、地域( 地方自治体、住民、利用者) が支援を行っていく必要があり、今後 とも鉄道特性がない線区は代替輸送機関への転換を検討する。貨物輸送は、長期的にはモーダ ルシフトの要請が強まるが、鉄道貨物輸送の事業を巡っては課題が山積している。
   事業の健全な経営を維持しつつ、あり方を検討する必要がある

 続く
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国鉄労働組合史 289

2011-10-01 13:21:59 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第五節 清算事業団闘争と支援運動 (二)
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三 JR東日本株式上場と一株運動

 JR東日本一株運動株主会の結成と活動

 ついでJR東日本株上場後の12月15日、319人の株主が参加した「JR東日本一株運動株主会」( 解雇撤回、地元JR復帰、労使紛争の全面解決を求めるJR東日本一株株主運動株主会) が発足した。結成総会までの経過を報告した牛久保国民会議事務局長は「これまでの一株運動と違う点は、JR東日本の骨格を分析する能力がわれわれに蓄積されていること、国を除く140万人全員が一株主である点だ。プロ株主とはまったく違う上々堂々とした論陣をはり、商法がめざす近代的民主的株主総会を実現させたい」と強調した。この一株運動株主会の会長には山口孝明大教授が選出され、当面の具体的活動として
 ①一株運動株主会の拡大( 当面500人を目標) と国鉄闘争を全国に広める
 ②ニュースの発行
 ③株主総会をはじめ株主としてのあらゆる権利( 株主提案権、代表訴訟など) を行使する、などを決めた。

 明けて1994年6月29日、JR東日本第7回定時株主総会( ホテルニューオータニ) が開催されたが、これは株公開.上場後初の株主総会であった。当日の出席株主は3500人、うち一株運動株主食からは110人が参加した。この株主総会に先立って会社側には一株運動株主会から会社経営問題や労使紛争裁判など9項目にわたる「質問書」( 6月22日付) が提出してあったが、これについて会社側は「不当労働行為にあたる事象は一切ない」などと答えた。出席株主からの挙手発言者は14人、そのうち6人が不当労働行為について会社側の姿勢を厳しく追及した。なお、このJR東日本株主総会を記事として取り上げたアメリカの新聞『シカゴ. トリビューン』( 6月29日号) は、「日本の株主総会の新イベント労働者が抗議」の見出しで国鉄分割・民営化の過程での〝国労つぶし.の実態を報じた。
 さらに、1995年5月15日に開催されるJR東日本第8回定時株主総会にむけては、一株運動株主会は268人の株主から集約した331株分の委任状をもって、六議案に及ぶ「株主提案権行使請求書」を提出した。その内{谷は、①不当労働行為を根絶するため法律を遵守することや健全な労使関係への配慮、利用者.株主に対する情報開示などの定款の一部変更要求、②不当労働行為事件解決のための利益処分、③2名の取締役解任要求などで、株王総会二週間前までに52万人余の株主に送られた「株主総会招集通知」には、これら株主提案議題と議案内容がすべて記載された。株主総会では、これらの議題にそって会社側への責任追及が行われた。会社は、会場壇上前に陣取らせた社員株主600人の怒声と拍手、それに議長( 松田昌上社長) の一方的な議事進行によりこれらの議題を否決することはできたが、その異常さを一般株主にみせつけることになった。
 また、株主総会に生立て提出されていた一株運動株主会からの「質問状」( 6月20日付) について・JR東日本からは株主総会終了後も回答がなかったので、7月24日、とくに「不明瞭接待並びに商法違反の疑い」の質問に関連して、株主6人の連名で会社に要旨次のような申し入れを行った。
 「貴社の枕崎漁夫総務部長が、松崎JR東労組会長らと相計り実行したとされる『週刊文春』の昨年6月30日号の記事内容は、商法改正強化や暴射法施行により『企業の燥い交際』を禁じている法治社会に、真向から逆行するものである。しかも、当方の調査で判明した事実でも、右翼団体の攻撃中止のために松崎明氏が肩代わりした金額の総計は6百万円で、その内訳は外部仲介者への協力謝礼の名目で百万円、右翼団体への鎮静化費用として同団体の系列関係にある広域組織暴力団関係者に百万円を提供していることが、新たに判明した。
 よって、重ねて詳細な事実関係の説明、指摘事項の有無を回答されることを求め、申し入れを行うものとする。」

 続く
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国鉄労働組合史 288

2011-09-30 08:13:01 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第五節 清算事業団闘争と支援運動 (二)
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三 JR東日本株式上場と一株運動

JR株上場に対する国労などの対応

 JR東日本株の上場が予定よりだいぶ遅れ、旧国鉄所有地の売却も思うにまかせぬ状況がつづくなかで・清算事業団の長期債務( 旧国鉄債務) はなお増大しつづけていた。すなわち87年4月125兆5000億円の債務を承継してスタートした清算事業団は、その後の国からの補助、JR各社からの返済、‘定のt 地売却( 売却予定地の9割) があったにもかかわらず、JR東日本株上場が具体的日程にのぼってきた1993年夏の時点で26兆6000億円にふくらんでいた。そのこと自体、すでに「国鉄改革」目分割. 民営化策の破綻は誰の目にも明らかであったが、さらに問題にされねばならないのは上場会社の「法違反」であった。
 株式会社が株を上場する場合には、その審査項口として「法令違反行為等」「係争、紛争事件の内容」があげられているが、JR東日本はその職員採用にあたっての差別・選別をはじめありとあらゆる不当労働行為( 労組法7条違反) を繰り返し、労働委員会からは国労組合員などへの救済命令( 行政命令) が数多く出されているにもかかわらず、それに従わず( 再審査請求しても命令の効力は失われない、労組法27条5項) 、命令を無視して履行しようとしない。さらには、職場での労基法違反、安全問題についての運輸省からの警告など、法規違反は数えきれない。そればかりか不安定な労使関係、そして異常ともいえる「労使共同宣言」組合( JR総連東労組) との癒着支配、等々その「法令違反行為」は株式上場審査をクリアできないはずであった。
 JR東日本の株式上場が具体的に日程に上ってきた1993年6月1日、中央共闘( 国鉄闘争支援中央共闘会議) と国民会議( 国鉄の分割民営化に反対し国民の国鉄を守る国民会議) は、東京証券取引所と運輸省に「JR東日本株式上場にあたっての公開質問状」を提出した。その骨子は、①国鉄改革の全体の進行についての全体像を明らかにするとともに、今後の予定を全面的に明らかにすることを求める、②JR各社の分割体制について構造的変化がないことを確約するか、③労働委員会命令を遵守して労使関係を正常化することを求める、などであったが、この行動には国労本部も同席した。両団体はさらに大蔵省、JR東日本、清算事業団、大阪. 名古屋. 新潟の各証券取引所にも公開質問状を提出した。この公開質問状については7月1日までに、運輸省が口頭で「国鉄改革の全体像や今後の予定を全面的に明らかにすることはできないし必要ない、労使関係はJR東日本に聞いてくれL と、また東京証券取引所は審査中なので回答できないという返事であった。
 国労本部は7月5日、JR東日本が株式上場を本申請したことを受けて、①入札説明会に対する宣伝活動、②シンポジウム、集会などの開催、③各証券会社が行う受け付け開始にあわせたキャンペーン行動など、株上場反対の闘いの強化そ指示した。ついで7月25日から開いた第58回定期全国大会( 伊東) では、JR東日本株上場に対して次のような国労の対応姿勢を明らかにした。
  「JR東日本の株の半数である200万株が上場されようとしている。しかし、これには二つの問題がある。第1に、数々の不当労働行為を改める事もなく、株式を上場する事等は断じて許されないとわれわれは考える。にもかかわらず株式上場を強行する場合は、国鉄闘争を支援する全国の仲間に呼びかけ、一株株主運動等に取り組み闘っていく。第2に、JR7社で株を上場できるのは、本州三社だけという状況にある。これは明らかに『分割』の失敗である。仮にJR東日本の200万株が上場されたとしても、その後のJR 各社の株については、今日時点で上場の目途すらたたないのであるから、扱い上人きな矛盾が生ずる。土地と株の売却によって、長期債務の縮小を図ろうとしたが、今日の状況では不可能である。『分割. 民営化』の抜本的見直しが迫られているとわれわれは考える。」
 さらにこの大会では、一株株上運動における商法上の株玉代表訴訟や株主提案権行使などの検討を深め、JR経営姿勢へのチェック機能を果たす立場から取り組んでいくことも明らかにされた。
JR東日本株上場をその秋にひかえた9月2日、国労と中央共闘の共催で「JR株上場に異議あり!9.2シンポジウム」( 国労会館、1200人) が開かれた。シンポジウムでは、山口孝明大教授、岡田和樹弁護士・滝沢豊秋野村証券労組委員長、牛久保秀樹国民会議事務局長らをパネラーに、JR経営、労使紛争、民営化企業の株式上場問題、さらにはJR の安全問題などさまざまな観点からJR株上場に検討が加えられ、「JR東日本は株上場を強行しようとしているが、これらの問題は東日本だけに終わらず東海、西日本などの上場にも問題になってくる。全面勝利の闘いの機軸から一株運動を位置づけ、引き続き運動をつくるにとの共通認識にいたった

 続く
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国鉄労働組合史 287

2011-09-24 22:02:45 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第五節 清算事業団闘争と支援運動 (二)
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三 JR東日本株式上場と一株運動

 分割・民営化された旅客鉄道会社とくに本州三社の清算事業団保有株を上場. 売却し、それを旧国鉄の膨大な長期債務返済の一部に充てるというのが「国鉄改革」の大きな柱の一つであった。しかし、いま一つの債務返済財源すなわち旧国鉄の土地売却は、折からのバブル経済のもとで地価騰貴を促進するからと政策的におしとどめられていたうえ、1990年代に入ってからの不況と株価低迷はJR株の上場に水を差すかたちになっていた。
 それに、1987年2月の旧電電公社〝NTT株の上場時高値から数年後の株価下落は、この種国家放出株にさほどの人気が成り上がらず、JR株の上場は足踏みしていた。そして、清算事業団資産処分審議会が「JR東日会社に絞って株上場の年度内達成をめざす」ことを決めたのは、国鉄分割・民営化後5年以上経った92年7月、実際に株式市場に上場され初値がついたのは93年10月のことであった。
 1993年7月5日、JR東日本が東京証券取引所に株式上場を正式に申請した。つづいて大阪・名古屋・新潟の各証券取引所に同様の申請が行われた。そして10月26日、JR東日本株が証券取引所に上場されてついた初値は一株60万円( 額面5万円) 、翌27日にJR東日本株に売買注文が殺到して東証が同社株の取引を中断したものの2合には株価は急落し、この日の終値は52万円まで下がった。このようにJR東日本株のスタートは波乱含みであった。
 この10月28日、運輸省が発表したところによると、250万株の売却益は1兆0683億円ということであった。また、JR東海、JR西日本の株公開については、バブル経済破綻後の不況がいぜんとして回復の見通しもたたないため、1995年秋現在でもまだ具体化していない。

 続く
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国鉄労働組合史 286

2011-09-23 07:42:33 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第五節 清算事業団闘争と支援運動 (二)
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二 中央共闘・連帯する会などの支援活動

 「二度目の解雇」のあった1990年の夏から翌年春にかけて、国労闘争団の自活体制の確立は焦眉の課題であり、国労組合員の毎月カンパ、闘争回全国連絡会議の結成、生活事業センターの発足、さらには各地での事体の設立などがすすめられた。また中央共闘を中心とした3億円カンパ、越年・夏季時金カンパ、物産展援助など、さらには91年秋から始まった中労委段階における採用差別事件解決への動きに沿って、中央共闘や連帯する会などを中心とした中労委要請行動、座り込み、大衆集会など、実に多くの大衆行動が取り組まれた。連帯する会は、90年の4月以降、会員拡大と闘争団の自活体制を支える目的で北海道に4ヵ所、九州に7ヵ所・それに仙台、東京、静岡の計14ヵ所に地方事務所を設置し活動の範囲を広めた。
 1991年12月7日に開かれた中央共闘第4回全国総会( 国労会館) では、中央共闘が45団体150万人を超える組織に発展したことを確認するとともに、さらなる組織強化・拡大の方針を決定した。さらに国労闘争団の長期闘争体制を万全にするために当面8億円を目標とする「傷病・災害救援基金」の設立が承認された。この「傷病. 災害救援基金」( DLR基金、デール基金) というのは、闘争団員が病気ケガなどで働けなくなった場合の無利息貸付制度で、闘争団員の不安を解消し長期闘争にも備えることができるようにと準備がすすめられていた。その基金は、趣旨に賛同する団体と個人からの拠出金の利子を寄付( カンパ) してもらい、それを「基金」にしようというものであった。
 明けて1992年12月2百、傷病. 災害救援基金( デール基金)の設ハー総会が開かれ、理事長には日本労働弁護団の佐伯静治団長が就任した。基金は「国労闘争団員が傷病により無収入となったとき、もしくは闘争団員の死亡により遺族が生活困難に陥ったとき、闘争団員と家族及び遺族の生活補助を行い、国鉄闘争を支える」( 規約2条) ことを目的とし、その目的を達成するために「①闘争団員が傷病によって無収入となったときの生活補助、②闘争団員が死亡したとき、その遺族に対する生活補助」( 規約212条)の二事業を行う仕組みであった。
 基金設立直後の7月から給付を開始していたが、発足以来3年を経過した95年3月3日現在で基金契約は総額5億7686万円、そこからの拠出金( 基金利子カンパ) は5892万円となった。
また、給付は当初、亡くなった闘争団員の遺族をはじめ月平均15人が対象となり、一人が平均約10万円前後であったが、94年4月からは給付基本額を1万円増額、同年10月からは対象者を2ヵ月以上傷病者から1ヵ月以上傷病者へ短縮した。
 一方、連帯する会は1993年11月で5周年をむかえたが、それを記念する事業の一つとして「傷病. 就学・闘争支援基金」( カンパ箱) が全国的に取り組まれ、95年6月現在でカンパ集計は2270万円となり、この基金の主目的である闘争団員子弟に対する入学金貸付額は94年が18○万円、95年が636万円という実績であった。
 なお、1995年5月3日( 憲法記念日) の『朝日新聞』全国版全一面を使った〝JRに人権を1047人の復職を求めます〃との意見広告は、内外に大きな反響を呼んだ。これは、6月の東日本旅客鉄道株式会社( JR東日本) 株主総会へむけて、それぞれの分野で活躍している70人の学者・文化人・弁護士などが呼びかけ人となった「万人新聞意見広告を拡げる会」が賛同者とカンパを募って実現したものであった。JR東日本は、姑息にも朝日新聞社を訪れて朝日新聞紙上のキャンペーン広告撤退を通告したり、「労使共同宣言」労組のJR総連が国労への根もない誹誘・中傷を繰り返し、それと連動して革マル派機関紙『解放』が"国労が秘密献金〃などのデマ記事を連載し、さらには意見広告呼びかけ人や賛同人に対し中央共闘加盟組織を詐称しながら嫌がらせ電話を執拗に集中した。中央共闘は、これらのデマ宣伝に抗議する声明を発表した。

 続く
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国鉄労働組合史 285

2011-09-22 08:15:31 | 国鉄労働組合史
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第五節 清算事業団闘争と支援運動 (二)
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一 1047人再解雇と闘争団の結成

 株式会社アルバ( 国労生活事業センター) の設立

 〝敵よりも一日長く闘う態勢を〃を基本的スローガンとして、闘争団の自活および内外からの支援と並ぶ闘争団の課題であった物販活動の全国統一化がなり、1991年5月から国労生活事業センターとして活動を開始した。はじめは準備不足もあって苦闘したが、スタッフと内外の積極的な協力により問題を克服し、91年夏季・年末物取へと事業を展開した。夏季売上げ実績( 6月-9月) は、一般・闘争団・産直商品・直販等あわせて2億4000万円、年末売上げ実績( 10月~12月) は同じく2億8○○○万円になった。
 この生活事業センターは、その設置当初から法人化( 企業組合か株式会社) のプランであった。そこで、91年から92年にかけての事業実績をふまえながら法人化への準備がすすめられ、1992年9月2日の準備金で①法人化については国労全額出資の株式会社とする、②国労生活事業センターは9月末をもって解散し株式会社アルバがすべての事業を継承する、などが決まった。
9月4日からの第57回定期全国大会決定を経て、9月24日に株式会社アルバ( 600株・3000万円) が設立され( 法務局届出) 、同日、第一回取締役会が開かれて社長には永田国労本部委員長が就任した。
 株式会社アルバ( 国労生活事業センター) の業務実績は、1992年度でみると受注件数2万4000件、金額で7億4000万円であった。この業績は必ずしも良いとはいえなかったが、あらためて国労闘争に貢献する事業目的を確認しあい、その後も組合員1人1万円購入運動などを展開し、売上げ拡大に組織的に取り組んでいった。
 一方、各単位闘争団でも、1990年12月発足の博多闘争団による企業組合クリーンセンター福岡を皮切りに、協同組合方式や有限会社方式による各種事業体が設立され、1995年3月段階で事業体数は17( 北海道10、九州7) 、その事業所( 営業所)数は20ヵ所、これらの事業体で働く闘争団員従業員は会社役職員などを含め総勢271人( うち団員外16人) となった。事業の内容も土木建築請負、木工品生産販売、農産物・海産物販売、ソーセージ類製造販売、雑貨販売、清掃業、ビルメンテナンス、家屋修繕、運送業、印刷、ユーザー車検代行業、通信. 電気設備工事、家電製品販売、クリ⊥シグ取次店、など多種多様にわたった。
 事業体の96年4月現在の状況は次のとおりである( 国名、事業体の名称、事業内容の順) 。   
 稚  内   ㈲ユーズカンパニー(91・3・30 ~) ー本建築請負業、建物清掃 業、雑貨販売、水産加工. 販売、警備乗法に基づく請負業、

 音威子府   労働者協同組合おといねっぷ(91・6 ~) 羊葵・木工品の生産・販売

 名  寄   ㈲サンピア(91.3.H-)~清掃請負、軽運送(94・9-) 、商品( 野菜せんべい等) 販売、クリーニング取次店(95・3 ~)

 北  見   ㈲北見ユニティー(91.5・27 ~) 農産物・海産物の販売、コンクリートブロックの製造請負

 留  萌   労働者協同組合るもい(93.7.10 ~) ー鹿食油リサイクル石鹸の製造・販売、市水道検針委託業務、市公園清掃管理業務

 深  川   生活者労働者協同組合( 生労協) 深川(93・9・23 ~)ユーザー車検代行業、公園管理ー生活住宅関連、土木建築関連、農業関連

 釧  路   ㈲ユーカラ(93・3・18 ~)~運送( チャーター便)の請負

 帯  広   ㈲スモークハウス(94・6) 手作りソーセージ類の製造、販売

 札  幌   ㈱セリオ(93.4.1-) 物資販売( 商事部) 、十本・建築・設計等請負( 工事部)・食堂

 函  館  労働者協同組合道南ネット(93.9・10 ~) 堆肥化促進資材ぼかし肥の製造・販売、家屋の修繕・印刷、看板製作

 門司・小倉・八幡  ㈲ポポロ(92・11・25 ~) 1医療下請け業務( 救急車の運転、マイクロバスの運転( 送迎) 、守衛( 防災) 業務、食材運搬等) 、米販売

  筑  豊  ㈲アクティブ企画ふくちゃ(92・7・1 ~) 総合メンテナンス

  博  多  企業組合クリーンセンター福岡(90・12-) 貯水槽清掃. 管理1、洗管、緑化管理、公園管理、造園工事、飲食事業

  鳥  栖  企業組合クリーン九州(95・11・5 ~) 樹木の伐採、庭園・側溝の清掃等の環境整備、洗骨、建物等の保守・管理

  佐  賀  企業組合クリーン佐賀(95・8・11 ~) ビル・ハウスクリーニング、洗管、側溝等の清掃、緑化管理

  佐世保  赤絵工房有田焼絵つけ

  長  崎  企業組合長崎テクノス(95・3・27 ~) 制御盤・分電盤組立配線、信号. 通信設備の保全. 検修、一般通信設備工事、一般電気設備工箏、家電製品の販売大分NRU サービス(93・7・16 ~) 病院夜回父付業務、便利屋( 引っ越し、ビルメンテナンス等)

  熊  本  企業組合クリーン大牟田(96・3・14 ~) 清掃一般事業、配管洗浄事業、便利屋業、他に店舗( 自然食品、海産物、化粧品、浄水器、無公害製品)を経営

  鹿児島・志有志・川内・姶良伊佐・都城   ㈲ワーカーズ鹿児島(93・2・1 ~) ハウスクリーニング業( 建物引き渡し清掃、一般住宅清掃、リフォーム等) 、建築基礎工事、土木工事、塗装工事、引っ越し業他
  宮  崎  ワーカーズ鹿児島{呂崎支店(96・2・1 ~) ユーザ車検代行業、電気工事一般、物資販売

 続く
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国鉄労働組合史 284

2011-09-20 22:42:55 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第五節 清算事業団闘争と支援運動 (二)
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一 1047人再解雇と闘争団の結成

 国労闘争国全国連絡会議の結成

 闘争団の組織的自活体制の確立が切実な課題となってくると同時に、闘争団ごとでの生活苦、生活不安がさまざまなたかたちで表面化し、また物品販売の取り組みと成果のアンバランス、それに団員などの病気やケガ人の続出という事態も生じてきた。そこで、これまでの「闘争団ごとにどうするか」という単位闘争団レベルの対策から、「どの闘争団が脱落しても闘いは勝利できない、国鉄闘争に勝つためには全国36闘争団がそれぞれの経験と教訓を学ひあい、一体となった闘いが問われているしという観点から、90年10月17~19日の全国闘争田代表者会議での報告と討論を経て、12月7日「国労闘争回全国連絡会議」が結成され発足した。
 連絡会議は幹事会を開いて、①物販の全国統一化、②互助会の発足、③退職金供託金の利子活用、などについて論議し意思統一を行った。その結果、91年夏までには物取の全国統一化の体制を整えることができ、本社・配送センターにスタッフを配置し、全国オルグがカタログを配布し、郵送分( ダイレクトメール) を含めて全国ネットワークをつくり、全国一本化の実をあげはじめた( 5月22日、国労生活事業センターの設置・国労会館5階) 。
 ついで、ケガや病気によって休業を余儀なくされた闘争団員や家族の苦境を少しでも救助するために、国労闘争回全国互助会が91年7月1日に発足した。互助は、闘争団組合員のうち会の口約に賛同したもので構成し、会費( 月額500円、原則として半年前納制) と雑収入その他寄付金で運営することになった。会員が事故や病気などにより自活体制に支障をきたした場合に、所属闘争団の申請により互助金からその期間に準じて5万円を限度に見舞金が給付される仕組みであった。発足から一年間の実績は、
38件の申請について総額128万円余が給付された。
 闘争団連絡会議が結成されて一年半が経過した1992年5月28日、各地労委命令にもとづく早期全面解決を求めていた国労に対して、中労委は採用差別事件についての「解決案」と「会長談話」を提示した。しかしその案は、不当労働行為にはまったく触れず、①希望するものを一ヵ月だけ雇用、②その後は広域採用の実施、③関連企業の雇用努力、というもので、国労のとうてい受け入れられるものではなく、同日この案を拒否した( 前述、本章第4節) 。この時点から国労闘争は新たな局面に入り、闘争団はこの事態を受けて、あらためて生活体制の総点検. 見直しを行い、長期闘争態勢の確立へむけ取り組みを強化した。
   
 続く
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国鉄労働組合史 283

2011-09-20 12:30:41 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第五節 清算事業団闘争と支援運動 (二)
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一 1047人再解雇と闘争団の結成

 全国オルグの配置計画実施に先立って、4月9日から5月2日まで試行的に14人( 北海道8人、九州6人) の上京オルグが取り組まれたが、5月10日からは第一次全国オルグ総勢124人( 北海道68人、九州56人) が本州. 四国の各県に配置され、活動を開始した。一方、6月7~9日にかけて東日本関係の国労と中央共闘が取り組んだ北海道現地闘争団激励・交流には273人が参加し、道内13単位闘争団すべてと交流し、再解雇された453人全員を激励した。
 また、国労中央闘争委員会は6月4日付の『国鉄新聞』号外で、解雇された仲間に対する「生活支援」カンパを全組合員に訴えた。
その具体的内容は、次のとおりであった。
 ① 組織内で取り紺む「闘争回生活援助カンパ」は毎月2000万円( 夏冬手当時には別に6000万円) を目標に全組合員が取り組む。( 闘争団を除く)
 ② 上記カンパは、1990年5月より実施し、別途指示する期間までとする。
 ③ カンパは任意カンパとする。カンパの目的をふまえ、各級機関はすべてのJR 職場内の労働者に呼びかけて全力をあげ取り組む。
 さらに6月13日に開いた国労第157回拡大臨時中央委員会は、①闘争団の自活体制の確立と組織内カンパの扱い、②1047人の解雇撤回・JR 復帰を求め、労働委員会命令にもとづく早期解決を目指す闘い、③JR職場に働く労働者の労働条件改善、安全輸送体制の確立を一体のものとして闘う方針、④第二次闘争国全国オルグ、などを決定した。8月2日からの第55回定期全国大会( 東京・品川総合区民会館) でも、「毎月1人1000円・総額3000万円確保、夏冬手当時は別にそれぞれ6000万円確保目標」の自主カンパを決定した。
 
  
 続く
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国鉄労働組合史 282

2011-09-18 07:51:39 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第五節 清算事業団闘争と支援運動 (二)
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一 1047人再解雇と闘争団の結成

 国労闘争団の「自活体制」確立

 再度にわたる「解雇」との闘いは、長期化を余儀なくされた。
国鉄分割・民営化過程が〝国労つぶし〃であり、徹底した選別と差別による国労組合員排除が不当労働行為であることはどの労働委員会も認め、組合側への救済命令を発した。しかし、旧国鉄=JR各社はそれを無視し、再審査に持ち込んだり行政訴訟に訴えて事態の解決にあたろうとはしなかった。その結果が、清算事業団からの二度目の解雇であり、解雇撤回闘争と解雇後の生活は両立させねばならず、闘いは新たな段階に入った。国労本部は、それまでの清算事業団闘争本部( 1989年9月発足) を改組して「解雇撤回・JR復帰を求める国労闘争回本部」を発足させ( 1990年4月12日) 、今後の闘いに備えた。池本・支部・分会には全国で三六の闘争団が結成された。
 4月23~25日、国労本部は各エリア・地方代表と国労闘争同150人を国労教育センター( 大川) に集め、国労闘争国全国交流学習会( 闘争団結成労働学校) を開いた。この集会で、闘争団の自活体制にむけて討論するとともに、この年( 1990年) 5月10日から6月5日にかけて実施する北海道・九州・本州の闘争団による全国オルグ体制について意思統一した。全国オルグは、総勢140人からなる北海道・九州の闘争団が各県の人口100万人に一人の割合で配置され、1カ月間にわたり支援カンパの要請と「連帯する会」の会員拡大を中心に訴えて回るという計画であった。
 また「生活体制の確立」にむけては、本部から次のような方向が提起された。
 一、「自活体制」の確立
  1 4月分は賃金、5~7月は雇用保険により個人対応とする。
  2 8月以降は「自活体制」を基本に組織的な自活体制とするが、45歳以上の者 は引き続き10月まで個人対応とする。
  3 組織的な自活体制にもとづき、「闘争団」ごとにアルバイト等により生活資金 を確保する。
 二、 清算事業団生活援助基金の確立
  1 組織内カンパ……国労組合員( JRおよび清算事業団木来業務) は、「生活援助」のカンパを毎月行う。
   ① 国労組織として毎月全体として3000万円を目標とする。( 5月より)
   ② 期末手当時は国労組織として6000万円を目標とする。
     育費. 医療費の有無. 共働きの有無等、実情により貸付金の増減ができるよう検討する。なお、特別な任務についた場合( 地方議員等) は各人の個人対応として整理をはかる。
   ⑤ カンパはJRに働くすべての労働者にも訴える。
  2 国鉄闘争支援共闘会議が取り組んでいる「3億円カンパ」……「国鉄闘争支援カンパ」として闘争関係の他、「清算事業団生活援助基金」として活用をはかることとなる。
  3 「連帯する会」については、目標の15万人会員へ全力をあげる。
   ① 会員拡大により、一定額が「清算事業団生活援助基金」へ繰り入れとなる。
   ② 全国統一闘争を原則とし、「連帯する会」以外の個別の「守る会」など類似のものは、国労機関としては行わない。
    ただし、他単産・団体等が自主的に行うものは別。
   ③ 北海道・九州に地方事務所を設置し、発送業務等の「内浄化」を行う。
 三、 物販活動について
  1 全国統一物販については、中央段階でそのための準備にはいる。
  2 5月10日~6月5日までの期間に行う全国オルグの主日的は、カンパと、連帯する会L の会員拡大を中心にして取り組む。
  3 全国統一物販カタログができるまでの間における全国オルグ( 5月10日~6月5日指定県内) の物販は、関係地本 ( オルグに出す側と受け入れ側の地本) 問で調整する。なお、他の争議団と競合しないよう配慮する。
  
 続く
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国鉄労働組合史 290

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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第五節 清算事業団闘争と支援運動 (二)
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一 1047人再解雇と闘争団の結成

 二度目の解雇

 「国鉄改革法案の審議の中で政府は『組合間韮別は行わない』『一人も路頭に迷わせることはしない』と国会で答弁し、衆・参 両院における付帯決議でも『組合間差別は行わない』ことを明記している。 にもかかわらず、国鉄当局とJR 各社は、新会社の 採用にあたって公然と国労を若別・選別し、多くの国労組合員 のJRへの採用を拒否した。この事実は各地の労働委員会が厳 格に審理し、不当労働行為と断定し、救済命令を交付しているのである。
  JR各社が地労委命令を不服として中労委に一再審査を申し立てているとはいえ、地労委命令の効力は失われないことは明白である。このような事実を十分知りながら『解雇』予告を行うことを提案することは民主主義の諸制度はもちろん、労働法体制を蹂躙するものである。とりわけ、『地元JRを希望する者』に対して『再就職の意思と希盟が無い者』という不当なレッテルを貼り、3月20日に『解雇』を予告することは働く意思さえ否認する暴挙である。したがって、3月9日に提案した『辞職しない職員の取り扱い』に関する部分を全て撤回するのが民主主義社会の道理である。
  われわれ国鉄労働組合は、一人の首切りも認めず地労委の命令の実施を求めるとともに、3月31日までの間に1日も早く問題の解決を図るよう強く要求する。」国労本部はさらに「解雇」予告提案に対して、①希望退職者の退職金上積み、②宿舎等居住者の住宅事情尊重、③退職後再就職希望者への再就職斡旋、などの第二次要求を提出し( 3月14日) 、当局と団体交渉を継続していたが、3月20日、事業団側は解雇予告を強行した。この暴挙に、国労はただちに抗議声明を発表するとともに、19~21日の72時間第三波全国統一ストライキを整然と決行し( 1万5000人参加) 、さらに27~31日の第四波全国統一ストに突入した( 8770人参加) 。28日には世界労連が、この解雇予告について日本政府( 海部首相) に対し抗議声明を発表した。
 3月31日午前、国労本部は委員長を先頭に立ったままで事業団との団体交渉に臨み、出席した当局側に「人間に返れ、首切りを撤回しろ」と抗議した。当局は「法失効によりやむを得ない、本日終了時までに就業規則にもとづき措置する」と答えたのみで、国労は「二度の首切りをし、法も人権も踏みにじり、自分だけは二度までも多額の退職金を手にして辞任する。自分たちで勝手に再就職の枠を設けそれに従わない者は首だという。われわれはここに座っている責任者全員を絶対評さない。必ず民主主義と人権に対する犯罪者として頭を下げさせてみせる」と通告して団交を打ち切った。
し かし、国鉄清算事業団当局は3月31日 午後、1047人に解雇通告を行った。解雇通告を受けた1047人の内訳は、北海道で523人、九州で489人、本州・四国で35人であった。また、組合別では、国労が966人、全動労が64人、千葉動労が9人、その他が8人となっていた。国労内では、北海道で453人、九州で489人、本州・四国で24人が再「解雇」された。
 
 続く
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国鉄労働組合史 289

2011-09-16 07:21:16 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第五節 清算事業団闘争と支援運動 (二)
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一 1047人再解雇と闘争団の結成

 二度目の解雇

 国鉄改革、分割. 民営化関連法のうち再就職促進法は1990( 昭和65) 年4月1日までの時限立法となっていたが、国鉄清算事業団当局は90年12月9日、国労本部に「雇用対策の終了時の取り扱いについて」を提示した。その内容は、まず①3月1○日以降19日終業時刻までに辞職実用書の提出を受け付ける、②辞職時は原則として3月31日、③退職条件は従来通り、というものであった。そして、辞職しない職員については次のような扱いをするとしていた。
 ① 「再就職を必要とする職日貝」に指定した者のうち19日までに( 交渉過程で31日までと修正) 辞職の申し出をしない職員貝に対し20日に解雇予告を行い、解雇予告手当を支払う( 就業規則23条4号「経営上やむを得ない事由が生じた場合」による) 。
 ② 解雇予告を受けた職員がその後辞職申請を出し、かつ所属長がそれを承認した場合は、解雇予告は取り消したものとする。
 この解雇通告提案は、国労本部が第156回拡大中央委員会を開催しているさなかのことであった。中央委員会の昼休みは緊急抗議集会となり、事業団本社前には急を知った支援団体や国労組合員など500人を超える人波ができ、抗議のシュプレヒコールがこだました。翌3月10日、国労は清算事業団に対し次のような要旨の申し入れを行い、即刻「解雇」予告提案を撤回することを求めた。
 
 続く
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国鉄労働組合史 288

2011-09-15 07:43:59 | 国鉄労働組合史
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第四節 中労委段階での闘いと202億損賠の取下げ
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 緊急命令を求める闘い

 国労は、神奈川採用差別事件の中労委命令の交付を受けて、採用命令の救済を得た組合員4人について、JR東日本が1995年11月22日行政訴訟を提起したことに対し、中労委に緊急命令を申し立てるよう要請、中労委は1996年2月に6日東京地裁に中労委命令履行の緊急命令を申し立てた。さらに、東京採用差別事件で救済された2人の組合員についても、1996年2月23日会社が行政敗訴訟を提起したことに対し3月18日中労委に緊急命令を申し立てるよう要請し、中労委は4月24日、東京地裁に緊急命令を申し立てた。
 国労は、右の二つの事件で緊急命令を獲得することによって採用を拒否された組合員の職場復帰を実現することは、両事件のみならず採用差別事件全体の解決に大きく影響するものであると位置づけ、緊急命令獲得に全力をあげて取り組むこととなった。

 最高裁判決勝利など裁判の動向

 1996年2月23日、最高裁は秋田バックル事件でJR東日本の上告を棄却し、国労側勝利の判決を言い渡した。この事件は、バックルの部分に国労了ク入りのベルトを着けて仕事をしていた本荘保線区の組合。組合員に対し、就業規則違反を理由に教育訓練の名のもとに就業規則の書き写しなどを強要し、胃潰瘍を再発させたことに対し、JR東日本および本荘保線区長に慰謝料の支払いを請求していたものである。秋田地裁( 1990年12月14日) 、仙台高裁秋田支部( 1992年12月25日) は、この国労組合員の行為は就業規則違反に当たらないとし、就業規則の書き写し等の命令は懲罰的なものであったことを認め、人格権を侵害する違法なものであると判断し、慰謝料1万円の支払いを命じた。最高裁判決は、仙台高裁の判断を全面的に認め、会社の上告を棄却した。
 一方、東京地裁は、1995年3月14日、国労東京地本新幹線支部の組合バッチ事件についての行政訴訟の判決で組合バッチ着用を理由とする夏期手当カット等について不当労働行為とした東京都労委命令( 1989年2月7日) を取り消す不当判決を言い渡した( 都労委は東京高裁に控訴申し立て) 。
 組合バッチをめぐる不当労働行為事件については、神奈川地労委、埼玉地労委など13件の救済命令が出されているなかでの東京地裁判決であり、就業規則による組合バッチ着用禁止を正当とした都労委命令を取り消した東京地裁判決の考え方が定着すればその影響するところは大きく、国労は東京高裁での逆転勝訴を実現するために全力をあげて取り組むことを決めた。
 
続く
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国鉄労働組合史 287

2011-09-14 21:55:40 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第四節 中労委段階での闘いと202億損賠の取下げ
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五 相次ぐ中労委命令と緊急命令獲得の取り組み

 採用差別事件で相次ぐ中労委命令

 採用差別問題の解決について大きなカギを握るといわれていたJR東日本の採用差別事件についての中労委命令が注目されていたが、中労委は神奈川採用差別について、1995年10月27日一命令を出した。
 命令は、救済を求めていた9人の組合員中6人について不当労働行為の盛立を認め、587年4月1日に採用したものとして取り扱うよう命じる一方、12人については認めなかった。初審神奈川地労委命令( 1988年12月16日) の全員救済命令を変更して12人について不当労働行為の成立を認めなかった理由は、採用候補者名簿不登載の理由とされた停職処分が相当とされたことによるものであり、大阪採用差別事件についての地労委命令変更と同じような考えにもとづくものであった。
 国鉄の分割・民営化にともなうJR各社への採用差別事件は、大きく分けて二つのタイプが存在していた。一つは、「北海道. 九州型」の採用差別事件であり、一つは、「本州・四国型」の採用差別事件である。
 「北海道. 九州型」の採用差別事件の特徴は、JR北海道、JR九州、JR貨物の各JR会社への採用にあたって運輸大臣が定めた採用人員を大幅に超える採用希塑者があり、大量の国労組合員が採用拒否されたという点にある( 例えば、北海道事件の場合、命令の救済対象者1704人、福岡事件458人、長崎事件151人・佐賀事件257人など) 。これに対し、「本州・四国型」の採用差別事件の場合には、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国への採用希望者が運輸大臣の定めた採用人員枠に充たなかったにもかかわらず・国労組合員が差別的に採用を拒否されたもので、それゆえ救済対象者の数も少ないという特徴がある救済対象者は大阪事件こ人、神奈川事件9人、東京事件9人、静岡事件1人など) 。
 「本州・四国型」事件の第一号命令の大阪採用差別事件は、前述のとおり大阪地労委の救済命令が覆されたため、神奈川事件が初めての中労委救済命令となった。
 大阪事件、神奈川事件で示した中労委の「本州・四国型」採用差別事件の不当労働行為成否の判断枠組みは、まず第一に名簿不登載の理由とされた停職処分( 1983年4月以降の非違行為により停職人ヵ月以上または2回以上の停職処分を受けた者が名簿不登載基準とされた) が、その事実関係からみて相当であるか否かを検討し、次いで処分が相当とされた者については不採用は不当労働行為に当たらないとし、相当でないと判断された者については、国労嫌悪の反組合的意図などを総合的に勘案し、当該処分は国労所属を理由とするものであって、不採用は不当労働行為に該当する、というものである。
 中労委はこのような判断基準によって、その後「本州・四国型」の採用差別事件について次々と命令を発し、東京採用差別事件についての命令( 1996年12月2日) では、8人中5人について不当労働行為に当たるとし、岡山採用差別事件については岡山地労委命令( 1990年1月18日) を取り消して救済申立を棄却( 1995年11月30日、一人) 、宮城採用差別事件については2人中一人について不当労働行為とした( 1996年3月29日) 。
 中労委命令はさらに、不当労働行為の成立を認められた者についても、1990年4月2日に清算事業団から解雇された者は救済対象から除外したこと( この結果、神奈川事件での救済は4名、東京事件での救済は2名となった) 、バックペイを60%に制限したことなどの点では北海道事件の命令と同じである。しかし、「本州・. 四国型」採用差別事件においては、「北海道・九州型」事件の場合と異なり、JR発足時の1987年4月1日に採用したものとして取り扱うことを命じており、明確な採用命令である点で重要な意義ある命令であった。
 JR東日本は、神奈川採用差別事件、東京採用差別事件についての中労委命令の取り消しを求める行政訴訟を東京地裁に起こし、国労も、神奈川、東京、岡山、宮城の採聖別事件について、救済が否定された組合員に対する中労委命令の変更を求め、行政訴訟を提起した。
 
続く
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国鉄労働組合史 286

2011-09-13 08:04:12 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第四節 中労委段階での闘いと202億損賠の取下げ
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四 202億損賠訴訟の取下げ

続き

  1、 事業団と国労及び国労会館とは、八重洲国労会館の明渡しにつき、基本的合意が成立したことを確認し、訴訟上の和解手続において、速やかに、同旨の訴訟上の和解を成立させる。
  2、事業団は、事業団と国労及び国労会館との間において、八重洲国労会館明渡しについての訴訟上の和解が成立したときは、国労に対する202億訴訟は取下げることとする。
 こうして、202億損賠訴訟は12月27日に正式に取下げられた。
 国労会館の明渡しについての和解内容は、新会館建設費用等を十分可能とする明渡料の支払いを条件とするもので、最終的な明け渡し期限は98年3月末となっている。
 国労会館明け渡し問題との同時解決という点はあったにせよ、長年の懸案であった202億損害賠償請求訴訟について取下げさせるという当初の目的を実現したことは、国労の権利闘争の大きな成果であった。
 訴訟の取下げが実現した背景には長期粘り強い法廷闘争が展開され、結審・判決を目指した国鉄当局・事業団の意図を挫いたこと、署名運動などの法定外の取組み、国際運輸労連(ITF)の再三にわたる取下げを求める決議などの国際世論、自民、社会、さきがけという村山連立政権下という政治状況等があった。
 一方、202億損害賠償訴訟が結審となり、判決が出されるのはないかと強い関心を寄せていたJR総連は、運輸省に対し、95年1月13日「今回の202億問題の処理は、国鉄改革完全遂行にとって大きなマイナスであり、JR総連としては認め難い」「国鉄改革にことごとく反対し、今日においても全く変わっていない国労を救済したことは、苦労してきたJR労使を否定する何物でもない」などとする要請書を提出した。
 国労は、合意書を調印した94年12月24日、「約18年間にわたる長く苦しい裁判でしたが、私たちはこの訴訟の和解解決を契機に、未解決のままにある問題、とりわけ1047人の不採用事件をはじめとして、全ての事件の解決のため、全力を上げて参ります。今後も健全で正常な労使関係を構築するために努力していく決意です」との永田委員長声明を発表し、懸案の202億損害賠償問題の解決を機に、不採用問題などの早期解決の実現を目指して組織をあげて闘うことを表明した。

続く
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国鉄労働組合史 285

2011-09-12 10:00:00 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第四節 中労委段階での闘いと202億損賠の取下げ
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四 202億損賠訴訟の取下げ

 国鉄当局(分割・民営化以降は清算事業団)が国労を相手に起こしていた202億損害賠償請求訴訟は、事業団が94年12月27日訴を取下げたことによって解決した。
 202億損賠訴訟は、1975年11月26日から12月3日まで当時の公労協の中心的な組合として、国労・動労(当時)がスト権回復の要求等を掲げて闘ったいわゆるスト権ストに対し、国鉄当局が翌76年2月に国労・動労を相手に東京地方裁判所に提起したものである。
 国鉄当局は、分割・民営化を進めるなかで、分割・民営化に賛成する方針に変更した動労などと86年8月27日に労使共同宣言(第2次)を締結し、杉浦国鉄総裁は8月28日、宣言締結を受けて、「動労は再度の労使共同宣言でストライキ等違法行為を行わないと宣言し、新会社以降後においてもスト権行使は自粛することを明言した。また、動労は国鉄の諸政策に積極的に協力し、さらに分割・民営化による国鉄改革に賛成し、これに一致協力して尽力する旨約束した。よって、動労については訴訟を取下げ、動労の労使協力路線を将来にわたって定着させる礎にしたい。」旨の談話を発表し、9月3日動労に対する訴を取下げた。
 国鉄当局が共同被告としてきた動労についてのみ訴を取下げ、国労については訴を継続するという露骨な組合間差別の中で、国労は厳しい法廷闘争を続けた。
 訴提起以来18年余、94年9月8日の第70回の口頭弁論をもって審理は終結し、95年3月頃に判決が言渡されるという状況を迎えた。
 判決となれば、公労法によるスト禁止法制のもとでのストライキであったことからみて、国労側に厳しい判決も予想されるなかで、国労はあくまでも提訴された当時に確認した「訴訟を取下げよ」との方針の実現を目指し、取下げを求める団体署名運動(23000団体)などに取り組む一方、亀井運輸大臣、清算事業団当局と精力的な交渉を行い、清算事業団が財団法人国鉄労働会館と国労を相手に起こしていた国労会館明渡請求訴訟問題との同時解決ということで、事業団側と国労の合意が95年12月24日に成立した。


続く
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