国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄労働組合史 284

2011-09-11 10:00:00 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第四節 中労委段階での闘いと202億損賠の取下げ
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三 行政訴訟へ

 中労委は、その後、福岡採用差別(94年10月4日)、熊本採用差別(94年10月4日)、鹿児島採用差別(94年12月20日)、宮崎採用差別(94年12月20日)、長崎採用差別(95年4月7日)、佐賀採用差別(95年4月7日)、大分採用差別(95年6月15日)と相次いで命令を出した(命令内容は北海道と同旨)。 中労委命令についてJR各社は、北海道採用差別事件をはじめ全てについて東京地方裁判所に命令取消の行政訴訟(北海道事件につき94年1月21日)を提起し、一方国労側も初審命令から後退した救済方法等の取消を求めて行政訴訟を提起した。(北海道事件につき94年3月23日)また、大阪不採用事件では国労側が行政訴訟を提起した(94年3月23日)。JR側は行政訴訟での争点を国鉄改革法の規定を盾にJRに不当労働行為責任はないという一点にしぼって、中労委命令を違法として攻撃した。
 さらに中労委は、東京電気工事所配転差別事件(94年12月20日)、東京自動車脱退強要事件(94年12月20日)について東京地労委の救済命令を支持する命令を発したが、これらの事件についてもJR東日本は行政訴訟を提起した。
 JR側が救済命令の取消を求めて行政訴訟にもちこんだ事件のうち、一連の不当労働行為事件の第一号救済命令(東京地労委88年3月3日)となった新宿車掌区担務差別事件については、94年11月11日最高裁判所判決の言い渡しがあり、国労が勝利し、確定した。
 国労は、中労委命令を機に1月28日に開催した第164回拡大中央委員会において、改めて全面解決に向けた要求を決定し、要求実現のために政・労・使の交渉テ-ブルづくりを政府に求める取り組みを行うことを確認した。要求内容は次の通りである。
  ① JR各社は、平成2年4月1日国鉄清算事業団から解雇された者を昭和62年4月1日をもってJR各社に採用したものとして取り扱い、平成2年4月2日から就労するまでの間の賃金相当額を支払うこと。JRは解雇された者を直ちに復職させ復帰後の勤務先・職種は労使間で交渉すること。
  ② JRへの復帰を希望しない者については、退職金の割増しをするとともに、再就職の斡旋を行うこと。
  ③ 広域採用等に応じた者のうち地元JRに復帰を希望する者については「転籍」をさせ、その為の基準を確立すること。
  ④ 配属・配転、出向等の不当労働行為について直ちに原状回復をさせるとともに、一連の不当労働行為によって生じた組合員に対する賃金、一時金、昇給・昇格等の不利益扱いを是正すること。
  ⑤ JR各社は、国労に対する労務政策を改め、すべての労使紛争の解決をはかり、今後は正常な労使関係の確立をはかること。
  ⑥ JR各社は、この間の不当労働行為による一切の損害金及び諸費用について解決金として支払うこと。 

続く
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国鉄労働組合史 283

2011-09-10 20:33:20 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第四節 中労委段階での闘いと202億損賠の取下げ
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二 中労委命令の内容と評価

 国労は「中労委命令をふまえていかに闘うか」を総括し(94年1月17日国鉄新聞号外)、次のような方針を明らかにした。
 「この命令は、政治的な意味合いを持った調停的な命令であり、解決に向けた糸口となる内容なので、 理論的な整合性はない。国労にとってギリギリの選択を迫る内容と言える。言い替えれば、中労委が力関係、あるいは私たちの闘う決意を判断して出してきたものと見るべきであろう。
  私たちが、今後どのような方針でいくかが問われている。もちろん、この命令だけで解決できるわけがない。私たちは、この命令を批判しつつも、全面解決を進める突破口にしながら、国鉄闘争全体の中で位置付けて方針をたてるとともに、全面解決要求を作成し、内外に明らかにする。私たちが留意しなければならないのは、要求づくりを通じた国労内部の団結づくりであり、敵の分断を許さない態勢作りである。道筋は、そのために政府を全面に引き出し、私たちと政府・JRグル-プとの話合 いの窓口を政府内部に作らせることであり、政・労・使による 交渉のテ-ブルを実現させることにある」との方針を確認した。
 中労委命令について、JR北海道、JR貨物は、「採用候補者の選定について、当社に権限と責任がないという、これまでの当社の主張が認められなかったものであり、極めて遺憾があります」との談話、JR西日本は「結論において当社の主張が認められたことは当然であるとしても、当社をはじめとするJR各社は、労働組合法第7条にいう『使用者』にあたらないという当社の主張が認められず、誠に遺憾であります」との談話をそれぞれ発表し、JRが最大の論点としていたJRの不当労働行為責任についての中労委の判断を批判した。
 また、マスコミは中労委命令についてふれた上で、「紛争の終着駅へ労使互譲を」(「朝日新聞」社説12・25)、「JR労使はテ-ブルにつけ」(「読売新聞」12・12・25)、「中労委命令で解決を図るとき」(「毎日新聞」12・25)などの主張を掲げた。
 
続く
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国鉄労働組合史 282

2011-09-09 07:48:16 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第四節 中労委段階での闘いと202億損賠の取下げ
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二 中労委命令の内容と評価

 中労委は93年12月24日、係争中の一連の不採用事件のうち北海道不採用事件と大阪不採用事件についてようやく命令を交付した。
 不採用事件の中労委での審査において、最大の争点となったのは、初審と同様、JR各社が不採用について不当労働行為責任を負うかという点であった。北海道地労委をはじめとする各地労委の命令は前述のとおりであるが、中労委はJR側の主張を退け、JRの不当労働行為責任を明確に認める判断を示した。
 しかし、その一方で中労委は、北海道地労委の救済命令を一部変更し、救済方法も後退させた。即ち、中労委は、北海道地労委命令が救済申立対象者を1704名全員について不採用を不当労働行為とし、昭和62年4月1日をもってJR北海道、JR貨物の社員として採用したものとして、取り扱うよう命じていたのを改め、不当労働行為の成立は少なくとも一部の者について認められるとして、救済方法は、①JR両社は、救済対象者のうち、平成2年4月2日に清算事業団から離職を余儀なくされた者であって、命令交付後に両社に採用されることを申し出た者のなかから、改革法の提示した職員の採用基準等を参考として改めて公正に選考し、その結果採用すべき者と判断した者を、昭和62年4月1日をもって同社の職員に採用したものとして取り扱い、命令交付の日から3年以内に就労させなければならない。②両社は、選考の経過、判定の結果及び選考が公正に行われたことについて、それらに用いた資料を添えて、それぞれ当委員会に報告しなければならない。採用対象者の就労すべき職場・職種について、それぞれ申立人国労と協議しなければならない。③採用対象者に対し、平成2年4月2日から就労するまでの間、昭和62年4月1日に職員として採用されていたならば得られたであろう賃金相当額の60%に相当する額を支払われなければならない、等々とするものであった。
 不当労働行為の成立を一部組合員に限ったこと、救済対象者を事業団からの解雇者に限ったこと、JRへの採用について、改めて選考という手続を必要としたこと、バックペイを60%に制限したこと等中労委命令は初審命令の完全救済からすれば、不十分な救済にとどまった。
 一方、大阪不採用事件については、大阪地労委の不当労働行為成立の事実認定を覆して、不当労働行為に該らずとするもので、国労として極めて納得し難い判断であった。
 永田委員長は中労委命令について、直ちに次のような総括的コメントを発表した。
  1、不採用が不当労働行為とされる場合、その責任はJR側が負うとした判断は、極めて当然であ る。国鉄改革法の規定を盾に、法的責任はJRにはない、とするJR側の主張は完全に否定さ れた。
 2、北海道不採用事件においては、採用にあたり国労組合員に対する差別的取り扱いがあったことが 認められた。
  3、しかし、北海道不採用事件の救済方法が、救済対象者の範囲を清算事業団から解雇された者の 中から「公正な選考」による採用を命じていること、3年以内の就労という就労時期を設けた ことなど、地労委の救済方法を後退させている点は遺憾である。
  4、大阪不採用事件については、不当労働行為の成立自体を否定し、地労委命令を覆したことは、 到底納得できるものではなく、極めて不当な判断である。
  5、しかし、JRの法的責任が肯定され、不採用が不当労働行為にあたることが改めて中労委の判 断として示されたことは重要な意義があり、JR及び国は命令を厳しく受けてあるべきである。
 
続く
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国鉄労働組合史 281

2011-09-08 08:00:06 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第四節 中労委段階での闘いと202億損賠の取下げ
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一中労委「解決案」と受諾拒否

 北海道地労委、九州各県地労委の採用差別事件についての救済命令に対し、JR側は中労委に再審査を申し立てた。
 中労委は、国労側が中労委での全面一括解決を要求していたこともあり、まず、JR東日本の出向事件から解決を図りたいとの方針を打ち出し、公益委員、労働者委員、使用者委員各.名をもって公正する「三者懇談会」により労使双方からの事情聴取を行った。90年10月から91年4月まで事情聴取は重ねられ、「出向について厳格・公正に行う」などを確認する中間的整理を行った。
その後、中労委は、91年4月以降採用差別事件について、優先的に解決すべきであるとの国労の申入れに基づき、労使から事情聴取を続けた。91年9月4日以来中労委段階での解決を図るべく、正式の和解手続ではないが公益委員、労働者委員、使用者委員の三者で構成する「三者懇談会」を設けて労使から事情聴取を重ねた。
 91年12月25日に至って中労委会長は、①問題解決に向けて、早急に且つ積極的な取り組みを行う必要があり、中労委は一層の努力を傾注する。②そのために、労使に対して、問題解決に向けての案を示し合意形成を図る。③労使合意の目標を平成3年度末とする。④それまで合意に至らない場合は、中労委は、最終的な解決案を示して、問題の解決を図る。」と発言し、翌92年3月31日「なるべく早い段階に最終的解決案を示して問題の解決を図りたいと考えています」との談話を発表した。そして5月28日中労委は、労使(使は、JR北海道、JR貨物、JR九州)を呼んで「解決案」を示した。
 中労委が示した「解決案」の骨子は次のようなものであった。
  (1) JR各社と各組合は、和解により早期、円満な解決を図る。
  (2) JR各社と各組合は、1000名に及ぶ人達が離職し、定職のない状態でいることは放置しえない状態であると認識する。
  (3) JR各社は、平成2年4月1日付で国鉄清算事業団から解雇されたもの(対象者)の雇用の場を確保するため、①希望者の居住地等に基づき定める区分に応じて雇用する。
   雇用期間は1ヵ月(有給・労務提供不要)、②本州四国4社と貨物会社は、北海道、九州居住者の採用について努力する、③JR各社は、対象者に対し、関連企業における雇用の場の提供について最大限努力する。
  (4) JR各社は中労委への再審査申立を取下げ、各組合は地労委命令の履行を求めない。
 「解決案」を示されたその席で、国労側は受諾できないと発言、同日、「本日提示された解決案は、17都道府県の労働委員会から出された命令を全く無視したものであり、不当なものと言わざるを得ない。我々は、団結権侵害の被害者であり、不当労働行為の救済申立人であり、且つ初審命令において救済を受けている者である。従って、我々は、本日提示された解決案を受け入れることはできない。よって中労委の責任において命令を発することを求めるものである。我々は、組合員の団結と運動を更に強化し、地労委命令に基づいた解決を求めて更に闘うことをここに表明する。」との永田委員長声明を発表した。
 一方JR各社は7月30日中労委に対し、「本解決案に対し関係労働組合が『昭和62年4月に遡って地元JRに採用すること』等を要求して全面拒否を回答し、命令を求めるという事態に立ち至った現時点においては、当社において本解決案の受入れをこれ以上検討する意味が失われたものと判断せざるを得ない」旨回答した。
 国労は、その後中労委に対し、早期に命令を出すよう要請行動に取り組んだ。
 
続く
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国鉄労働組合史 280

2011-09-07 07:59:58 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第三節 賃金・労働条件・安全確保をめぐる取り組み
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三 安全確保の取り組み

 労働時間短縮と要員問題・安全問題

 さて、週4〇時間労働制へむけた労働基準法の改正もあって、199〇年代に入るとJR各社もダイヤ改正を機に労働時間の短縮策を実施してきた( 前述) 。しかし、交通産業労働者の場合、当然のことながら毎日の定時間労働が繰り返されているわけではな
いから、労働時間の短縮は一律には行われない。JR 会社の職場では、運転士や車掌など、列車乗務では列車ダイヤにもとづく変則勤務、駅・営業関係では隔日交替・変形勤務の組み合わせなど、また保線・施設関係では日勤勤務および勤務繰り上げ、繰り下げによる深夜勤務、事業所では変形日勤の組み合わせがそれぞれ主な勤務形態となっており、ほぼすべての職場で労働基準法第32条の2による、ヵ月単位の変形労働制である。そして、労働時間の短縮はそれぞれの職種・勤務形態によって異なり、それぞれの職種・勤務形態ごとの労働時間短縮の方法、あるいは要員増を行わないための職場「合理化」の方法も異なる。例えば運転職場では、行先地における折り返し時間を労働時間から外して賃金を払わない「休憩時間的時間」としたり、駅職場では自動改札機を増やしたり、ホームでドアの開閉や発車指示を出す乗車係が廃止されたり、駅ホームに監視テレビカメラを設置してホーム要員を減らしたり、検修職場では車両点検回数を減らしたり、等々である。
 95年12月27日夕刻、東海道新幹線三島駅で起きた新幹線初の乗客死亡事故は、JR各社における安全対策の強化を追求してきた国労の危倶が、痛ましくも現実化した犠牲であった。翌28日の各紙朝刊はこの事故を報じたが、『日本経済新聞』28日付夕刊は警察による事故原因究明開始と会社側の言い分を次のように報じた。
  「東海道新幹線三島駅ホーム付近の下り線路上で2十7日、列車のドアに挟まれて引きずられたとみられる私立高校2年川原崎祐輔さん(!7) が死亡していた事件で、静同県警三島署は2十8日、名古屋市中村区橋下町にあるJR東海の車両基地に捜査員数人を派遣、収容された事故車両を検分するなど本格的な事故原因の究明を始めた。三島署によると、川原崎さんはホームで電話中、乗車予定の列車が動きだそうとしたため慌てて飛び乗ろうとして事故に遭った。同書は列車が発車する間際の川原崎さんの行動を中心に駅員やホームにいた利用客ら目撃者から事情を聞いている。
 一方、JR東海は同日未明、石塚正幸取締役と新幹線鉄道事業本部の建守猛運輸営業部長が記者会見し『まったく責任がないとは言えないが、ホームに駅員を配置して安全には気を配っていた』と釈明。川原崎さんがドアに挟まれていることに駅員が気付かなかった点については『原因がはっきりしない。よく調べて対策を考えたい』と述べた。『ホーム上で安全確認する駅員が少なかったのではないか』との質問には『事故当時、発車間際の安全確認は1人でやっていた。三島駅程度の規模なら、基本的にホームの駅員は1人』と答えた。」
 翌96年1月26日に開いた第167回拡大中央委員会で国労は、この三島駅死亡事故にもふれながら、当面の闘争方針として「安全輸送確立の闘い」を要旨次のように決めた。
  「JR職場の労働条件は、相次ぐ効率化・『合理化』により、運転事故や労働災害の多発にみられるように深刻な事態となっている。
  九州運輸局では昨年11月、JR九州会社の相次ぐ運転事故に対し、局長名で警告を発していたことが報道されている。さらにJR東海会社では、昨年12月に東海道、山陽新幹線の営業開始以来初めての旅客死亡事故が発生するという事態もおきている。これらの事故は、効率化・『合理化』による徹底した要員削減と多能工化や兼事化がすすめられる一方で、十分な研修・教育がされないまま木光業務に従事させられている結果によってひきおこされているとも指摘されている。
  われわれは、安全第一の立場に立ち、事故を未然に防止するために、事故の背景にある効率化・『合理化』を検証するとともに、ゆがんだ労務政策や人事政策の是正を求めて、今後とも安全確保を要求して闘って行く。木部は、このような痛ましい事故を防止する観点から、労基法や労働安全衛生法を重視し、『職場の総点検・摘発運動』の取り組みを強化して行くこととする。」
 
続く
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国鉄労働組合史 279

2011-09-06 07:12:22 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第三節 賃金・労働条件・安全確保をめぐる取り組み
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三 安全確保の取り組み

 職場からの安全点検調査   
 
 この「安全総点検調査」(91年2月)による集計表によれば、1000件のうちの46.7%が「安全確保で設備・機器に問題がある」と回答し、「検査、修繕、運転当の諸規定は守られていますか」という設問に対して、守られているという回答は6.1%、ほぼ守られているという回答は48.0%であり、両者を合わせても54.1%でしかない。「多能化で仕事に不安がありませんか」という設問に対して、不安であるという回答が49.5%,少し不安であるという回答が32.7%であり、両者を合わせると実に82.2%が多能工化に対して何らかの不安を抱いているということになる。また「予備部品は確保されていますか」という設問に対して、確保されているという回答は4.1%でしかなく、確保されていないという回答が10.7%,不足することがあるという回答は34.7になっている。必要な時に、必要なだけの部品在庫を持てば良いという、いわば「在庫なし経営」を見習った結果として、必要不可欠と思われる部品さえもが確保されていないJR職場の状況が明らかになった。
 また、「管理者は規定や技術のことを知っていますか」という設問に対して、「よく知っている」という回答は3.0%で、「まあまあ知っている」という回答の27.0%と合わせて、30%が「知っている」ということになる。これに対して、「余り知らない」
とう回答は34.9%であり、?ほとんど知らない?という回答の13.2%と合わせると、48.1%が「規定や技術を知らない」と回答している。「知らない」という回答が「知っている」という回答を上回っていた。これらのことは、公共交通事業を営むJR会社が、いったい安全問題にどの程度の気を配っているのか、その経営姿勢を厳しく問われなければならないことを示していた。
 
続く
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国鉄労働組合史 278

2011-09-05 08:54:30 | 国鉄労働組合史
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第三節 賃金・労働条件・安全確保をめぐる取り組み
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三 安全確保の取り組み

 職場からの安全点検調査   
 
 1989年3月から4月にかけて国労東日本本部は、400の職場を対象に安全総点検を実施した。その結果は報告書『JRの安全を職場から総点検する』( 1989年9月) としてまとめられた。それによると、乗務員の職場の問題点として、
①「旅客サービス」を理由とする列車のスピードアップがはかられた結果、駅間の運転時分、停車中の旅客乗り降り時間が短縮されたこと、列車の最高速度は曲線区間及び旅客駅通過時を含めて引き上げられたこと、
②運転士は定められた列車の測度と運転時分を守り、列車の遅れを出さないために、また、列車の編成両数の違いによって生じる各駅の停止位置の違いよるミス防止など、非常に大きな精神的緊張を求められていること、
③大幅な人員削減が要員不足を招いており、1週平均労働時間は40時間を基準としているとはいえ、実際上はこれを超過化していること、特に予備勤務者の労働時間については48時間を越えていること
④運転時間が長いことから運転士の食事時間、仮眠時間が不規則になっていること、そのために規則正しい生活ができない状況になっていること、
⑤運転士に対する教育・訓練が不十分であることなどが明らかになった。

 また、検査・修繕部門では、
①JR社は車両の検査作業を行うための「規定」を改悪・緩和させたことが、安全基準の低下を招いていること、この「規定」についての説明や教育も不十分であり、日常的な技術教育については単なる資料の配布にとどまっていること、
②経験豊富な車両技術係が国労所属の組合員であるという理由から当該職務からはずされているために、職場に経験豊かな技術者が少なくなり、判断業務をともなう検査・修繕業務に支障をもたらしていること、
③過去7年間にわたる新規採用の抑制と「55歳定年制」の結果、年齢構成の面で見ると技術者断層が生じていること、
④「分割・民営化」以降の要員削減とその後の「ダイヤ改正」によって、検査・修理職場では時間的余裕をもって作業に従事することができなくなっていること、
⑤職場によっては、残業をしないとその日の検査・修繕作業が終わらない状況も生じていること、
⑥就業時間外に「小集団活動」が強制されており、タダ働き残業が強いられていることを指摘している。このような職場実態を踏まえて、『報告書』は「JR以降の検査・修理職場の実態は、安全・サービスの行き届いた車両を国民・利用者に提供するどころか、車両は故障を抱えたまま走っています」と強く警告した。
 施設管理・保守部門ではJR以降後、線路の保守・点検に関する基本的な考え方が大きく変更された。国鉄時代に行われた「定期修繕方式」が廃止され、「整備目標値」によって整備する方式に変更された結果、目標値にまで達しなければ多少の軌道の狂いは修繕しないことになり、また、軌道整備基準値以内であれば修繕せず、整備基値を越えて初めて修繕を行うということになった。
人員削減と平行して進められた修繕作業方式の変更は、巡回検査周期の変更、保守状態検査基準の変更、軌道材料検査基準の変更、分岐器細密検査基準の変更などとも関連し、それら一連の基準緩和策は、実際に保線作業に従事する「管理室」の判断に依存する割合を強めることになったばかりでなく、管理室の統廃合に伴う線路巡回範囲の拡大と要員不足状況のなかで、いわば検査作業の手抜きをさえ強いられることになった。しかも、いったん事故・故障が起これば、その責任だけがしわ寄せされる仕組みになった。 JR社における人員削減、規制基準の緩和が、職場労働者の安全作業の確保の問題に、また、列車の安全輸送という問題に多大な影響を及ぼしていること、実際上、JR職場の実態は労働者が安心して業務に専心できる体制になっていないことを、『報告書』は、以上の職場以外の職場においても具体的に明らかにした。 ついで国労本部は、「安全基準が守られていない状況が当たり前になっている」「要員が足りなくて年休も取れず、休日労働が拡大するなど、労働者の健康が侵されている」「予備品がなかったり、管理者が仕事のことについて知識がなかったり」するという職場状況、「国労が安全問題を提起したり安全点検運動を行うことを敵視し」、これを「企業倒産運動だとして避難」するJR社とJR総連を見据えながら、国労本部が釧路、旭川、札幌、青函、盛岡、秋田、仙台、新潟、高崎、水戸、千葉、東京、長野を対象として 労働者と乗客の安全を守るために「安全総点検調査」に取り組
んだ。

続く
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国鉄労働組合史 277

2011-09-03 07:06:47 | 国鉄労働組合史
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第三節 賃金・労働条件・安全確保をめぐる取り組み
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三 安全確保の取り組み

 事故防止. 安全対策の要求と取り組み
   
 1992年12月、新型新幹線「のぞみ」は時速270キロでの高速運転を売り物に登場した。しかし、そのデビュー当初からトラブルがつづいた。主な故障では、東海道新幹線名古屋~三河安城間でブレーキ故障により立ち往生し5時間マヒ状態( 92年5月6日) 、新大阪駅でブレーキ解除できなくなり修理に3時間( 6月23日)、大阪ー京都間で車両電気系統故障で初の運休( 7月1日) 、山陽新幹線で1週間に人件も窓ガラスひび割れ発生( 93年3月18~24日) 、等々。また、「のぞみ」型でなくても当時、一部車輪が動かないまま「ひかり」が火花を発しながら走ったり( 91年9月20日) 、大阪第一車両所構内で車両入れ替え中に脱線( 92年3月19日) 、その他でも台車の異状やパンタグラフ船板取り付けネジ部品の脱落などが発見された。さらに驚くべきことに、このころ( 92年7月~10月) のJR東海で無資格運転が横行していることが判明した。無資格運転者延べ84人のうち72人が新幹線を運転していた。
 このような事態を深刻に受けとめた国労西日本本部は、人員削減を強行したために余裕のない仕事と労働条件の切り下げが押しつけられていること、業務遂行に必要な技術教育が軽視され、労働者の技術力や専門的知識よりも増収や提案活動を重視する労務管理が行われていることなどを批判しながら、92年6月、JR西日本会社および東海会社に対して本格的な事故防止・安全対策を講じるように、骨子次のような申し入れを行った。
 1 「のぞみ」を含む新幹線に関しては、次のような対策を早急に取ること。
  ① 4月に実施した「のぞみ」車両の総点検の内容を、労働組合への説明を含めて社会的に明らかにすること。
  ② 全車両及び線路、高架橋、橋梁、トンネル等の構造物、電車線( 架線) 、電力、通信等すべての施設、設備の安全総点検を実施し、必要な安全対策を確立してただちに実行すること。
  ③ 当面の措置として、「のぞみ」の安全運転が確保されるまでの間、速度を制限し特別料金の収納を行わないこと。
  ④ より抜本的には、新幹線を全面運休して、すべての車両、施設. 設備等の点検、補修などを行うこと。
 2 新幹線及び在来線を通じて、労働者がゆとりを持って働ける人員を配置すること。
 3 労働者に対する技術・職能に関する教育・訓練を充実すること。
 一方、奥羽本線福島~山形間の在来線を併用する形で92年7月に開業した山形新幹線では、その1ヵ月の間に緊急ブレーキ作動や信号の誤操作による急停車、普通列車事故による遅延、車内冷房装置故障による室温上昇、連結器故障や架線事故による立ち往生等々が相次いだ。国労東日本本部と国労東北協議会は、7月18日に山形新幹線現地調査団を派遣して実情を把握し、その問題点を明らかにするとともにJR東日本会社に安全対策の強化を申し入れた。その内容は、①80力所ある踏切の安全対策にむけ立体化、監視員配置、見通しの悪い踏切の除草や障害物の移転、安全キャンーンの強化、②400系( つばさ型) の電気使用量が予想を超えるなかで変電設備の現状と対策の明示、③駅での案内、ホームの塞監視など必要薯貝の配置、④在来線削減にともなう新幹線の定期券利用制度の設定、⑤必要な教育と訓練の実施、⑥冬季対策を講じること、の六項目からなっていた。ついで8月17日と18日には、国労関係者のほか東北五県の国会議員、県・市会議員、県民の足を守る会、文運労協代表なども参加した第2次現地調査を行い、いわゆるミニ方式による新幹線建設についての問題点を究明した。
 また、1991年12月から92年8月にかけて、九州運輸局がJR九州会社に対し警告書を3回も送付していることが明らかになった( JRになってから5回) 。警告書が出されたのは、多数の死傷者が生じた事故あるいはそれにつながる可能性のある重大事故が起きたときであった。JR九州会社における91年度1年間の運転事故の発生件数は鉄道運転事故97件( 踏切事故等) 、運転阻害事故274件( 災害原因支障等含む) であったが、92年度上半期( 4月~9月) の運転事故の発生件数はすでに鉄道運転事故70件、運転阻害事故64件となっていて、前年度と比較すれば約40%の発生件数増加となっていた。
 こうした事態のなかで国労九州本部は92年8月6日、JR九州会社に「相次ぐ運転事故の発生に対する申し入れ」を行い、さらに理由をいわずに団体交渉を拒否する会社に10月6日「運転事故等の発生に対する緊急申し入れ」を行って、団体交渉拒否の理由とその責任を問うた。これに対し会社側は、団体交渉拒否の理由として「労働条件の問題ではない」と述べて誠実に対応しなかった。国労九州本部は、こうした会社側の態度に抗議するとともに10月21日、福岡県地労委に緊急あっせんを申請し、①団体交渉の拒否を行わないこと、②事故が発生した場合、その概要・原因等について会社側から組合側に提案または説明を行うルールを確立すること、③安全・安定輸送確立と事故防止のための労使の専門会議の場の設置、などを求めた。10月22日に行われた第1回あっせんにおいて、労使双方からの聴取のあと労使間の団体交渉で問題を詰めることになった。
 この過程で、会社側の態度が社会的に批判をうけたことから変わり、①事故の概況. 原因. 対策等は必要により説明する、組合から求めがあれば必要により説明したい、②事故発生件数説明の取り扱いは別途検討し成案ができしだい組合に提案したい、③団体交渉の必要ありと判断される事項についてはその取り扱いを行う、④安全問題について労使の必要な協議を行う、などを回答してきた。これをうけて地労委は11月9日、労使双方に「安全問題に係わる労使の協議については、ほぼ合意が成立したようであるのでこの合意内容を尊重して運営されたい」との口頭勧告を出したが、労働協約がまだ締結されていないなかで安全確保に取り組んできた国労九州本部のひとつの成果であった。

続く
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国鉄労働組合史 276

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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第三節 賃金・労働条件・安全確保をめぐる取り組み
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三 安全確保の取り組み

 事故原因を究明する取り組み
   
続き

  五月一四日に起きた信楽高原鉄道の大事故は、安全軽視、営利第一主義のJRの経営姿勢を厳しく問い直す契機となった。
 会社はこれまで、事故は減少したと公言してきた。運輸省もこれに追随し、会社側の報告だけをうのみにし、われわれが安全対策に重大な欠陥があると指摘しても一れに+ 分耳をかそうとはしなかった。信楽高原鉄道の事故責任は明らかに信楽高原鉄道とJR西日本会社にある。四二名の奪われた生命は返らない。
 二度とあの大惨事を引き起こしてはならない。
  安全は確率で考えるべきものではない。乗客はもちろん、踏切等においても事故によって人命を朱つような事故は絶対に起こしてはならない。もちろん、貨物輸送においても国民の財産が破壊されてはならない。安全を守るためには何が必要なのか、これが明らかにならなければならない。
 ① 安全基準、安全システムが厳格に守られなければならない。
 ② 運輸省の諸法令が緩和されるのではなく行政指導を強化し、安全第一の見地から厳しく調査・勧告 などがなされるべきである。
 ③ コスト中心の経営姿勢を改め、労働者の健康と基本的人権を守るための必要な要員を確保する。
 ④ 労働者に対する差別、労働組合の分裂など不当労働行為をいっさい行わないこと。
 ⑤ 業務に必要な教育. 訓練を十分に行い、不慣れや未熟のまま就労させないこと。そのための教育 期間・内容・要員を確保すること。
 ⑥ 〝合理化?や労働条件の変更については労使の団交を十分誠意をもって行い、一方的な実施をしな いこと。
 ⑦ その他社会的な問題であるが、下請関連企業とそこに働く労働者へのしわ寄せをやめること。こ のような視点から安全闘争を次により展開する。
 ① 全職場で安全総点検を行い、問題点と要求を集約し、現場長解決を要求する。
 ② 支部は分会の集約に基づき、要求と問題を整理し、地本は支社等との交渉を強める。
 ③ また、運輸局・支局への要請行動も行う。
 ④ 共闘組織や地域住民の協力を得て、〝JR安全サービスウオッチング〃を全国で展開する。その 結果はマスコミに発表し、関係省庁. 自治体、JRに要求を申し入れ、交渉を大衆的に組織す る。
 ⑤ 安全基準. 諸規程を守らないことを見逃さず、これをチェックし、規程の厳守を厳しく要求する。
 ⑥ 要員不足がどこの職場にも広がっているが、要員要求を全職場から組織する。
 ⑦ 各地方で?安全シンポ〃を組織する。

続く
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国鉄労働組合史 275

2011-09-01 08:28:16 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第三節 賃金・労働条件・安全確保をめぐる取り組み
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三 安全確保の取り組み

 事故原因を究明する取り組み

 91年5月14日に正面衝突事故を起こした信楽高原鉄道は、JR西日本会社発足直後の87年7月に当時の信楽線をJRから切り離し、地元自治体等によって運行されていた第三セクターであった。事故は同社の列車と同線に乗り入れたJR西日本会社の世界陶芸博覧会用臨時列車が正面衝突したもので、死者42人、重軽傷者614人の犠牲者を出し、1963年11月の鶴見事故以来の大惨事であった。事故発生直後、国労は京滋地区本部に現地調査団事務所を設け、15日には西日本本部・近畿地本合同の第一次調査団を現地に派遣した。
 事故の直接的な発端は、「信楽駅の出発信号を赤( 停止信号) から緑( 進行を指示する信号) へ何らかの理由で変えることができなくなったことと、同鉄道が赤信号のままで列車を出発させたこと」であったが、その背景には赤字ローカル線を廃止し、第三セクターに転換させた「分割・民営化」策の展開、そして利潤追求のみを重視してきたJR 会社の経営姿勢があった。すなわち、単線の軌道をたった1両の列車で1日に18往復していた信楽高原鉄道が、世界陶芸博へのJR 列車の乗り入れによって26往復に増え、このことによってたった37日間で通常の半年分を輸送してしまうまでにしたこと、さらに5キロの距離を隔てて位置する駅間を2分差でほぼ同時に出発し、一方が4つの駅で客扱いをした後、急ごしらえした30メートル複線部分で待機し、時速100キロで走行する列車を30秒間でやりすごさせる列車運行が無理に行われたことであった。これらを考慮するならば、信楽高原鉄道での列車衝突事故は?未必の事故〃でもあると指摘された。
 国労は、5月30日に開いた第159回中央委員会において「信楽高原鉄道のように自治体と利用者. 住民に負担を強い、労働者を過酷な労働条件におく第三セクター化された鉄道は122社127線区」にも及んでいることを指摘しながら「安全輸送の確立を求める緊急アピール」を決議した。当時元国鉄技師長ですら、JRが「鉄道のシステムを破壊したことと技術的な対策をたてないで官僚的に合理化を強行したことにが多くの事故の原因だと指摘していた(『諸君』91年7月号掲載の瀧山養論文) 。この年9月10日. 11日に開いた第56回定期全国大会( 日本教育会館) においても国労は、91年度運動方針として「営利第王義をやめさせ、安全第一にJRを変えさせ、国民の生命と財産を守り、自らの健康と生命を守るたたかい」を要旨次のように決定した。
   
続く
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国鉄労働組合史 274

2011-08-31 23:43:36 | 国鉄労働組合史
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第三節 賃金・労働条件・安全確保をめぐる取り組み
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三 安全確保の取り組み

 事故原因を究明する取り組み

 従来も国労は、JR体制発足直前に発生した傘部鉄橋列車転落事故( 86年2月28日) に際して調査団を派遣し、ただちにその原因究明に取り組んだように、多くの事故調査による原因究明の実績と蓄積をもっていた。それらはいずれも、現場労働者の経験と技能・知識と報告、事故による被害者および列車等利用者の声が大きな比重を占めており、会社側の原因究明姿勢とは明らかに違っていた。傘部鉄橋事故については、国鉄当局側は、中央の「事故防止委員会」( 87年1月23日) での国労側の追及に対し「線路や車両構造上、運転取り扱い上も問題はなかった、再びこのようなことのないよう徹底調査しており、労働組合に安全問題で知ったふりはさせない」などと述べて、国労側の合同調査を拒否した。
 国労は、この傘部鉄橋列車転落事故について、少なくとも三つの要因を指摘することができるとした。すなわち、第一に、福知山鉄道管理局が強風波浪警報が前日発せられていたにもかかわらず、この地域の気象状況から適切な強風対策を講じていなかったこと、第2に、転落した「みやび号」という列車は、増収. 効率化を重視するキャンペーンが張られていた状況のもとで福知山鉄道管理用運輸部が計画した臨時列車で、国鉄の幹部職員の関心は鉄道の安全輸送よりも増収活動で成績を上げることに集中していたこと、第3に、86年11月のダイヤ改正にともなって、傘部駅に最も近い有人駅であった香住駅の運転主任3名が廃止され、傘部駅に据えつけられた風力計の受量装置は香住駅に置かれており、25メートル以上の強風が吹いた場合にのみ福知山の鉄道管理用のCTC装置に警報が鳴るという仕組みになり、国鉄の分割・民営化にむけての人員削減によって、日中刻々と変化する風力の状況を把握することができない状況にあったこと、などであった。
 JR発足後最大の死傷者事故となった88年12月5日朝の京中野駅追突事故は、起こるべくして起きた事故であった。国労千葉池本は事故当日、会社側が死亡した乗務員に責任を転嫁し、施策に問題はなかったような記者会見を行ったことを批判しつつ、次のような要旨「声明」を行い、事故の原因を明らかにした。
  「京中野駅構内での事故はこれで三度目だ。前回1980年10月17日の事故の背景には、①過密ダイヤ、②定時運転、③信号機( 短小間そく区間) 問題、④ ATS 問題等々のあることが判明し、東京地裁は国労の指摘した事情をとりいれた。しかし今回の事故は、その内容を全く生かさず12月1日からのダイヤ改正で運転時分を3分40秒も短縮、その結果、連日遅れが生じ、当日も4分の遅れが出るという状況のもとで起きた。
  国労は、現場の業務実態を無視した運転時分の短縮は事故のもとだから安易にすべきでないと主張してきたが、会社側は『問題はない。問題が多く発生した場合は修正することもある』と、つっぱねてきた。また、現場の運転上も『新型車両にしても遅れはなくならない』と言っている。まさに今回の事故は起こるべくして起きた事故であり、人命軽視による人災だと断言することができる。
  われわれは警告する。乗客の生命と財産を守るため公共交通機関としての責務を全うし、安全第一主義に徹すべきことを。
 四たびこのような事故を起こさないために、われわれはJR会社の利益優先の施策に対し、公共交通機関の基本に戻すため全力をあげて闘う。」
   
続く
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国鉄労働組合史 273

2011-08-28 07:57:51 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第三節 賃金・労働条件・安全確保をめぐる取り組み
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三 安全確保の取り組み

 JR発足後の事故多発の背景と原因追及

 公共交通事業における安全性は、その利用者の財産と生命を守るためには絶対の要件である。同時に、その事業に働く労働者にとっても健康と生命を守るために看過できない労働条件である。
それにもかかわらず、国鉄の分割. 民営化を日前にひかえた1986年12月28日、山陰線傘部鉄橋から回送旅客列車が墜落し鉄橋下の蟹加工工場を直撃、6人の死者、6人の負傷者を出した事故は、強行される「国鉄改革」?分割・民営化策の暗い影をのぞかせた。そして、JR 体制の出発した87年は数字的に事故は減ったが、しかし翌88年から事態は一変した。降雨量を改ざんして貨物列車を脱線させた事故( 88年8月、東北本線北上) 、脱線した列車の状況を把握しないまま対向列車を発車させ、その列車も脱線させた事故( 10月、上越線渋川) 、線路閉鎖をして工事中の場所へ列車が進行して脱線転覆した事故( 89年10月、常磐線磯原) 、駅下り本線に待機中の列車に上り列車が進入衝突した事故( 89年4月、飯田線北殿) 等々、国鉄時代には想定もできなかったような事故が続発した。その間、88年12月には駅構内に停車中の電車に後続の電車が追突してJR発足後最大の死傷事故( 総武線東中野) が発生していた。
 90年代に入ってからの2、3年にかぎっても、構内脱線、信号誤認( 以上北海道) 、山形新幹線つばさ号のトラブルつづき、車体検査の期限切れ、保線作業中に列車が突っ込んだ死傷事故( 以上東日本) 、東海・山陽新幹線のぞみ号の車両故障続発、高速運転によるバラスト飛散による旅客負傷事故( 以上東海・西日本) 、脱線事故、信号故障( 以上西日本) 、架線切断、下請け企業出向者死傷事故( 以上四国) 、列車横転、安全側線での脱線事故、異線進入( 以上九州) 、走行中台車亀裂脱線( 貨物) などが相次ぎ、運輸省・地方運輸局からもたびたび各社に警告書が発せられた。また、走行中にハンドルを握ったまま乗務員が死亡する事故も発生した( 以上北海道・東日本) 。
 こうしたJR各社における事故多発の背景とその原因として、次のようなことが指摘できた( 90年度運動方針) 。
 ① 「合理化」の相次ぐ強行によって、労働強化が肉体的精神的限界にまで労働者を追いつめていること。
 ② 安全に関する諸規程が緩和され、厳格な基準が「標準」にかえられ、検修業務が省略化され、検査、修繕、保守が十分行われないこと。 
 ③ 仕事に不可欠な教育. 訓練が簡素化され、それに加えて多能工化が広がって、仕事に精通した労働者が育てられていないこと。
 ④ 労働組合間差別とQCなど労働者間の競争が労働者間の信頼感を失わせ、職場が不安定であること。
 ⑤ 管理者が安全よりもQCや増収にのみ目を向け、責任を果たす体制になっていないこと。
 ⑥ 関連下請企業とその労働者へのさまざまな圧力から無理な仕事が強行されていること。
 ⑦ 在庫半減運動が強調され、部品不足が目立ってきていること。
 ⑧ 予防保守から発生主義に根本的な安全対策が変更され、安全基準が無視されていること。
 ⑨ 安全投資が不十分なこと。
 ⑩ 安全問題について、会社側は労働者の意見を聞くこともせず、団体交渉を無視し、特定の組合との関係など異常な労務政策がみられること。
   
続く
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国鉄労働組合史 272

2011-08-27 08:30:37 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第三節 賃金・労働条件・安全確保をめぐる取り組み
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 国労東日本本部はこの提案をうけた後、さらに細かな問題点を質しながら特別休日の指定、配転・出向者の扱い、出張の場合のみなし労働時間などについて解明を求めた。また、当然のことながら労働時間短縮にともなって賃金が引き下がらないようにしなければならないが、会社側はこの時間短縮によって約2% の賃金改善になると算出していた。東日本本部は、ただちにこれらの会社提案とその問題点を明らかにしながら資料を作成し、その学習を開始するとともに、職場でどのような問題が生じるのかなど討論と検討を呼びかけた。
 1995年3月20日の横浜土木技術センターにおける「是正」指導につづき、明けて96年2月8日、鶴見労働基準監督署は鶴見駅長を呼んで労働基準法違反の「是正」指導を行った。これまで駅職場では、所定の休暇の申し込み( 病気. 忌引. その他の休暇)が出るたびに休日呼び出しや日勤勤務が徹夜勤務に変更させられ、しかもこれらの勤務について必ずしも超過勤務手当が支払われるわけではなかった。そこで、国労の各職場で行われていた変形労働時間制の学習、点検・摘発運動のなかから、1ヵ月単位の変形労働時間制では「業務の都合により任意に勤務時間の変更はできない」ことを知り、94年9月、鶴見駅改札職場で発生した忌引により休日を徹夜勤務に変更された組合員が、休日の超過勤務手当が支払われなかったことを労働基準監督署に申し立てていたのであった。これについて同監督署が、「1日入時間を超えた労働時間を特定していない日に『15時間20分』労働させたので、入時間を超えた労働時間については時間外労働の扱いになる」との会社指導を行ったのである。
 国労は、労働基準法の最低基準すら無視したJR各社の就業規則を労働基準決並みにさせるために、全国の職場から労働基準法違反の事例を摘発しつつ労働基準監督署への申告闘争に取り組んできたが、先の貨物会社に対する「指導票」交付につづき横浜土木技術センター所長・鶴見駅長への「是正」指導をかちとり、その闘いを前進させたのであった。
 これより先、94年7月29日・30日の第59同定期全国大会(日本教育会館) において国労本部は、こうした職場からの労働条件改善・権利確立の闘いについて、骨子次のような総括を行った。
  「国労の闘いは、労基署等を活用して大きな成果をあげている。
 そのひとつは、東日木における『団体旅行の添乗業務に従事する場合の取り扱いについて』であり、貨物会社における93年 4月の時短実施後の超過勤務手当の算出の仕方について、『月間実労働時間が、前月25日までに指定した勤務指定表により算出した月間所定労働時間をこえた場合に超勤手当を支給する』『年休は月間の所定労働時間に繰り入れるが、超過勤務の算出をする場合、月末の勤務処理の際は、年休の日は、月間所定労働時間から控除して計算』させることとし、昨年4月にさかのぼっ て清算させた成果である。
  これらは、少数の国労組合員でも要求の正当性に確信をもち、粘り強い調査活動の上に、第三者機関を活用することによって勝ち得た闘いの成果であり、他労組組合員の中にも国労の闘いに支持と共感をよせ、組織復帰につながる要素をつくった。」
  
続く
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国鉄労働組合史 271

2011-08-26 06:36:50 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第三節 賃金・労働条件・安全確保をめぐる取り組み
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 JR東日本会社における労働時間短縮の取り組み

 JR東日本会社は91年3月ダイヤ改正時に、①特別休日48日、年間休日数100日を原則とし(従前は95日) 、②年間所定労働時間2088時間を約60時間短縮するという「第一ステップの労働時間短縮」を実施し、93年12月のダイヤ改正時には、①特別休日57日、年間休日数109日を原則とし、②年間所定
労働時間2013時間を約100時間程度短縮するという「第二ステップ」の労働時間短縮を実施していた。しかし、週40時間労働制を規定した改正労働基準法が施行されて1年以上経過しているにもかかわらず、JR東日本会社における労働時間の実態は、年間所定労働時間が1912時間43分、年間休日110日( 以上加重平均) となっていた。95年9月20日、国労東日本本部は会社に対し骨子次のような「労働時間短縮に関する申し入れ」を行った( 同日、別に「労働時間及び勤務に関する申し入れ」を行い、変形労働時間における始終業時刻の就業規則明記、翌月所定労働日・所定休日の勤務表での特定( 前月25日) など多くの問題点と改善を要求) 。
 1、週法定労働時間44時間の事業場については、40時間とすること。
 2、労働時間短縮にあたっては、「完全週休2日制、年間総労働時間18○○時間」の計画目標( 経済審議会、労働省) にもとづき、休日増を中心に「日勤」勤務と「交代勤務」の1日当り労働時間の短縮を加味して実施すること。
 3、労働時間短縮にあたっては、安全運行とサービスの確保を損なうことなく、適正な要員を配置すること。
 これに対し会社は11月1日、いわば「第三ステップとしての労働時間規縮」実施について、骨子次のような回答を行った。
  「経営の実績・経営環境等の社会の動向等を勘案しつつ、労働条件総体の観点から、会社発足以来取り組んできた1連の労働時間短縮における最終目標である年間総労働時間18○○時間(加重平均) を、おおむね今世紀中に達成することを労使は一致協力して目指す。
  平成人( 1996) 年度においては、前項の目標を達成するため、『第三ステップ』として、次の内容により労働時間短縮を行う。
 (1) 年間の休日数は114日を原則とする( 現行は平均110日) 。
 (2) 平成9年(1997) 年度の一週間の法定労働時間40時間の実施を念頭におき、日勤勤務については、‘日当り労働時間の10分短縮も行う。
 (3) 勤務種別として最も年間所定労働時間が長い交代勤務については、1日当り労働時間の10分短縮を行い( 1勤務20分) 、休日増とあいまって年間所定労働時間を8○時間程度短縮する。
 (4) 以上により、年間所定労働時間( 加重平均) 約193時間を約50時間短縮するとともに、年休使用の一層の促進や時間外労働の短縮等に労使が地道に取り組むことにより、年間総労働時間( 加重平均) の18○○時間合前半達成を目指す。
 (5) 実施時期は平成8年4月1日とするが、1日当り労働時間の短縮については、3月ダイヤ改正時に繰り上げ実施する。」
  
続く
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国鉄労働組合史 270

2011-08-25 10:00:00 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第三節 賃金・労働条件・安全確保をめぐる取り組み
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 JR貨物会社における労働時間短縮の取り組み

 労働基準法改止にともなうJR貨物会社における労働時間知縮は、まず91年4月に週46時間労働制に対応するため「年末年始休暇の1日増」が実施されたが、1週平均46時間を越えていた隔日交代勤務については「1勤務で22分の休憩時間拡大」が行われた。しかしこれは、拘束時間をまったく変えずに手持ち時間を休憩時間に置き換えただけで、〝ゆとり時間〃を削減したに過ぎなかった。ついで93年4月に週44時間労働制に対応するため「①祝日、年末年始など有給の休H を無給とし労働時間から除外する、②特別休日を8日増とし年間52日とする、③変形期間を4週間から1ヵ月単位とする」などを行った。しかし、これらの?時短〃で評価できるのは特別休暇の8日増だけで、その実際は国民祝日14日、年末年始4日の計18日と特別休日8日増の合計26日分の労働時間が年間所定労働時間から除外されたということであって、〝名目時短〃あるいは〝ペーパー時短〃ともいうべき代物であった。そして、これら貨物会社における91年時短も93年時短も、ほとんど要員増無しで行われた。
 さて、1994年12月のダイヤ改正時に実施するとして提案された貨、初会社における労働時間短縮目通40時間労働制とは、骨子次のような内容であった。
 1、1ヵ月を平均して、1週間の労働時間は40時間以内とする。
 2、1日平均労働時間  (1) 日勤2種( 現業) 現行7時間38分を3分短縮し、7時間35分とする。
  (2) 隔日交代現行入時間21分を21分短縮し、入時間とする。
  (3) 動力車乗務員現行7時間16分を16分短縮し、7時間とする。
 3、勤務種別
  (1) 日勤1種( 非現業) 月単位で平日の一勤務労働時間を7時間50分としつつも7時間40分または入時間10分とすることがある。
  (2) 隔日交代現行の拘束時間23時間から25時間までの5彩を、22時間から24時間30分までの17形に拡大し、一勤務16時間を超えるものには調整休日。
  (3) 変形勤務現行の拘束時間4時間から17時間までの25形を、4時間から21時間までの63形に拡大。
 4、「調整休日」とは、勤務種別の1日平均労働時間に調整するために設ける休日との考えから、「調整休日」とは労働時間を調整するために設ける休日とした。
 これは、労働基準法のいうコカ月単位の変形労働時間制」( 第32条の2) をひきつづき採用しているが、多くの問題点があった。
すなわち、①1ヵ月単位の変形労働時間制では、冬日、各週の労働時間の特定が必要であり、その特定された労働時間は使用者が業務の都合などによって任意に変更できないこと、②勤務の振り替え等によって特定された労働時間を超えて働かされた場合は、1日、1週、変形期間の3段階で時間外労働の扱いをしなければならないこと、③始業終業の時刻、勤務ダイヤによる場合は各直勤務組み合わせの考え方、勤務割表の作成手続きとその周知方法、休日振り替えの具体的理由・振り替えるべき日などを就業規則に明記しなければならないこと、これらの問題点や労働基準法に違反している点を指摘し、国労は貨物会社にその是正を求めた。
 さらに、隔日交代勤務の形を増やしたり、待ち合わせ時間をカットしたりして勤務改悪. 労働強化がはかられており、貨物会社の「7000人体制」への布石と考えられた。
 国労は、他労組等が会社提案で大筋妥結にすすむなかで9月5日、会社側に「国労の考え方と態度について」申し入れるとともに、組合員には同月7日、「勤務改悪反対、真の時短をめざす闘いの継続」を指示した。そして、交渉のなかで対立した①乗務員の「待ち合わせ時間は労働時間」であるとの確認を求める、②冬日. 各週の労働時間の特定を求める、③変形勤務の始終業時刻の就業規則への明示を求める、の3点について全国的に労働基準監督署に申告し、国労の闘いを継続・強化することとした。
 これらの取り組みによって、翌95年3月29日、中央労働基準監督署からJR貨物会社に対し、動力車乗務員について「毎月25日に翌月分の勤務指定表( 行路表) を示して各乗務員の各日ごとの仕業を特定していますが、当該変形期間後に行路変更が行われ、当初の勤務時間を超えかつ法定労働時間( 1日入時間、週44時間) を超える労働が生じた場合には、その部分について時間外労働の対象とする必要があります」、動力車乗務員以外の現業社員に対しても「同様に取り扱うことにという『指導票』が交付された。
 
続く
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