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認知機能検査を受けてきました

2024-11-21 12:40:06 | 日記

75歳以上の高齢者運転免許更新の条件となる認知機能検査を初めて受けてきました。更新時の半年前に更新時点で75歳以上であると今までと違ったお知らせはがきがやってきます。

今までは高齢者講習等の受講だけだったのですがこれに認知症を診断する検査が加わります。居住している地域ではその受験場所は運転免許試験場(更新場所)になりWEBによる予約が必要になります。

この検査の内容は16個の絵を覚え、一定の時間経過後にこれを書く検査と、当日の年・月・日・曜日・時間を書くものです。出題される絵は、A~Dまでの4つのパターンがあり、各パターンには16枚の違ったジャンルの絵が並んでいます。

この4つのパターンは今のところ変更がないようなのでこれを前もって覚えておくことになります。覚え方はいろいろあるようですがオススメは4つの絵でストーリーを作っておく方法です。例えば左上の「刀、アコーディオン、足、テレビ」では、「アコーディオンをかけて歩き()腰にはを差している、でテレビの脚=足」のように何でもよいので連想できる情景を作ると覚えられると思います。ただしこれをA~Dの64枚について全部やっていくと、各4コマは覚えられてもそれがA~Dのどれだったかがゴチャゴチャになる恐れもあります。

採点は 絵を覚える×2.499年・月・日・曜日・時間×1.336 で、合計が36点以上で合格となります。なので年月日等はOKとすると5×1.336+2.499×絵の数>36から正解しなければならない絵の数は12枚になります(ネット等では絵は1枚5点で半分できればOKとの記事もありますがこの数値が合格時にもらえる書類に書いてありましたので最新の情報だと思います)。

実際に検査を受けてみた感想ですが、一般的な試験の様に机に座ってヨーイドンで始まるのかな、と思っていましたが、この検査はそれぞれ(各机で)別々にヘッドフォンのナレーションを聞いて、タブレットの問題にタッチペンで解答を書くものです。なので各人の開始と終了はバラバラになり周囲の人の入れ替わりが激しく、とても集中できる環境ではありません。そこでヘッドフォンの音量を大きくしておくのがオススメです。

何でもそうですが試験、検査と名の付くものは少なからず緊張が伴い、大勢の受験者が周りにいる中で行うのであまり簡単に考えない方が良いと思います。この日も完璧に覚えていったつもりですが、ポンと記憶が飛んで満点はとれませんでした。

なおタブレットの個別検査なので解答の記入と採点が同時に実施されていき、途中で合格点に達すると画面に「合格・終了」の表示が出ますので、早い人では数分で終了することもあるようです。


戦後の米占領軍撤退に遭遇した記憶・・・幼いころの思い出から

2023-11-17 11:42:22 | 日記

もう70年以上東京の郊外・小平市に住んでいます。こちらに引っ越してきた当時は家もまばらで、畑地がどこまでも広がって西に見える山裾まで達しているようでした。

小平に来てすぐのことです。家から少し北に歩いたところに、市(当時は町)の中央を貫く青梅街道があります。ある日その西の方からガラガラ、ゴーゴーというものすごい音が聞こえ始め、次第に近づいてくるのです。その音は何時まで経っても消えることはなく、子供心に恐ろしいと思ったようですが、母親に連れられその音を「見に」青梅街道まで行きました。

音の正体は米国の戦車、装甲車とトラックの列でした。その車列は延々とつながり、何時までたっても果てることはありません。当時はまだ砂利道だった青梅街道を、ホコリをもうもうと立てながらゆっくり走っていました。家がまばらなはずの街道の両端には、こんなにいたのか、と思うほど見物の人だかりがありました。

それは昭和27年(1952年)に発効されたサンフランシスコ平和条約に基づき、立川や大和、横田基地に展開していた占領軍(米陸軍)が引き揚げる、その「歴史的瞬間」に遭遇したようです。その時はまだ小学校に上がる前でしたが、未だに強烈な映像として覚えています(多分1954年か55年の春ごろ?)。

多摩地区は戦前から飛行場や軍事施設、工場が多く点在し、そのため戦後多くの占領軍が展開されていたようで、小平にも畑の中に米軍家族用と思われる西洋風の住宅があちこちに建っておりました。しかしいつの間にか段々と元の畑に戻っていったことはあまり記憶に残っておりません。

ただいつも星のマークを付けた大きな飛行機(グローブマスター輸送機)が小平上空を南北方向に飛んでいました。家の上を通過すると障子がビリビリと振動し、それを亡くなった母親が空襲を思い出す、と言って怖がっていました。

まだ戦争のことをまったく知らなかった幼いころの思い出です。