現実妄想ごっこ

ぼくが過ごす日々の
現実の妄想や妄想の現実を綴ります。

僕は僕だけど僕は僕だから

2011-03-25 13:54:00 | Weblog





「おやすみなさい」


  石垣りん


夜が満ちてきました
潮のように。
ひとりひとりは空に浮かんだ
地球の上の小さな島です。



朝も 昼も 夜も
毎日
何と遠くから私たちを訪れ
また遠ざかって行くのでしょう。



いままで姿をあらわしていたものが
すっぽり海にかくれてしまうこともあるように。
人は布団に入り
眠ります。



濡れて、沈んで、我を忘れて。



私たち 生まれたその日から
眠ることをけいこして来ました。
それでも上手には眠れないことがあります。



今夜はいかがですか?



布団から やっと顔だけ出して
それさえ 頭からかぶったりして
人は 眠ります。
良い夢を見ましょう。



財産も地位も衣装も 持ち込めない
深い闇の中で
みんなどんなに優しく、熱く、激しく
生きて来たことでしょう。



裸の島に 深い夜が訪れています。
目をつむりましょう。
明日が来るまで。



おやすみなさい










震災地もまだ寒い日が続いているみたいね。




自分の無力さに、汚さに、幸福さに、こんなにも直面する日がこれまでにあっただろうか。

何もできない自分は無力すぎて。

背徳な考えに一瞬でも満ちた自分は汚すぎて。

恵まれた生活に浸っている自分はあまりにも幸福で。




こんな自分ケリたくなるくらいキライって、シカオ兄さんの曲にもあるけど、ほんとにそう。




どうにかしたくて。

どうにかなりたくて。

歯がゆくて。

絶対に何かできることがあるはずで。



だって僕たちは等しく人間なわけで。

状況が、違うだけ。




偽善とか善い人ぶりっことか、

そんなんじゃなく、

ただ、必要とされている気がするのです。



自己満足

自意識過剰

無力なくせに

僕は僕の批判をする。

そうやって僕を律する。

こうやって僕は今までここに立ってきた。



だけど、それでも。





ただ、今は節電とか募金とかしかできないって、ほんと皆が言ってる通りで。

クソつまんない人間だ、僕は。

心底、思う。







とか、言ってみたりして。




誰にもどうにもできないことってたくさんあって。




そんなことに涙して何の意味があんのかって。




それでも僕は、忘れたくないのです。




失くしたくないのです。




僕の感性を。




僕の幼さを。







どうしても、今、読みたい詩がある。

それが見つからない。

石垣りんさんの「春」っていう詩。

今、見たくてしかたなくて。




僕は詩も短歌も俳句も創るけど、誰かの作品を読むってあんまりしない。

どうしても表現やリズムが頭にこびりついてしまったりすることがよくあって。

そうなると僕の言葉が見えなくなったりするの。

あれはすごく不安だから、部誌以外の他人の詩はスランプ時以外読まない。




でも石垣りんさんの詩は中学の頃から好きで。

あと寺山修司と茨木のり子。

特別。



見つかるといいな、「春」。


















泥に埋まった宝物



ポイってできたら 辛くないのに




世界のてっぺんから悲しみが



しんしんと降り積もっているみたい



強がりさえも 覆うほど




ココに居ることは奇跡だろう



こんなにも冷たさを感じるのは



私が暖かいから




信じたくない屍の上



「今」を不幸とは呼んではいけない



これが「幸せ」かは判らなくても




誰もが等しい人間



今 居る 私も



泥に 眠る あの人も



同じ世界を 生きた




手を繋ごう



抱きしめよう



悲しみと



苦しさを




真っ黒のそれに包まれないように



暖かい私で包み込んで




大丈夫よ



大丈夫よ



一緒にお眠り





朝がきて




目を覚まして




それでもまだ




悲しみは




居るけれど







ようようと日は私に射すから




土の下の冷たい貴方ではなく




暖かい私に降り注ぐから






私はもう少しここで生きるみたい




ここが貴方の上だとしても