迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

【DAY28】つながらない日々

2005年06月15日 | 旅する。
どのネットカフェに行っても、日本語が表示できない。
フォント自体がないのだ。
あるところではインストールを試してくれたが、結局失敗して、書き込みどころかまったく読めない事態に陥った。

ドイツとチェコでは「T-mobile」というシステムで、ワイヤレスLANのHotSpotがある。
そのリストをドイツでダウンロードしておいたのだが、それによればすぐそばに、そのHotSpotがある。
かくしてそのショップと談判した結果、
「そこのオープンカフェでつながるよ」。

【DAY27】スラヴ叙事詩の行方

2005年06月14日 | 旅する。
アルフォンス・ムハ(ミュシャ)の畢生の大作、スラヴ叙事詩を見にモラフスキー・クルムロフへと出かけた。

裏から見ると廃屋と見まがうような建物のなかに、それは展示されていた。
ムハは、スラヴ民族が一体となる夢を見ていたようだが、まさに夢のままに、いまだにスラヴ地域では争いが絶えない。

静かな街で、ムハの夢は静かに眠っている。

少ない観光客はあるのだが、大型バスで乗り付けては去っていく。
路線バスを乗り継ぐような酔狂な輩は私だけのようだった。
小さな店で、動物たちが客を待っていた。

【DAY25】バドワイザーのふるさと

2005年06月12日 | 旅する。
日程の都合というか、急ぐのが性に合わないので、チェスケー・ブディヨヴィツェに1泊する。

ここは「ブドヴァイザー・ブドヴァル(ドイツ語)」というビール醸造所のあるところで、有名なアメリカの「バドワイザー」と綴りが同じである。たぶん、ここの名前が由来であろう、と言われている。

しかし、チェコで言われている軽口では、
「バドワイザーとブドヴァイザーの違いは明白である。
ブドヴァイザーはビールだが、バドワイザーはビールではない」
ということになる。

【DAY24】お城の森で

2005年06月11日 | 旅する。
チェスキー・クルムロフは、観光客のために生かされているような街だが、仕事の口はあまりないらしい。
バス停で出会った青年はシュコニッツァで働いている、という。

この森もまた、観光客のために保存された公園のなかにある。

【DAY21】記憶しつづけること

2005年06月08日 | 旅する。
旧市街の北にあるユダヤ人地区の史跡を回る。
いくつかのシナゴーグが、博物館として機能している。
ひとつの文化の記録と、その文化を民族ごと抹殺しようとした事例の記録。

写真の墓地は、20世紀のホロコーストとは無縁の古い墓地だが、その迫害の歴史を思うと言葉がなくなる。

【DAY20】ガーゴイル

2005年06月07日 | 旅する。
寒い朝だった。
西岸の丘にのぼった。
プラハの街並みが、よく見えた。

ぐるぐる森の中を散歩して、修道院や美術館を見て回る。

このあいだ来たプラハ城は、中に入らずに建物の外観を眺めて歩く。
大好きなガーゴイルが、しっかり突き出ていて、嬉しかった。

【DAY19】アール・ヌーヴォー

2005年06月06日 | 旅する。
チェスキー・クルムロフへ、列車で行こうか、バスで行こうか、悩む。
駅へ調べに行った。
ついでに、駅の階上にあるカフェに寄って撮影してきた。1920年代がそのまま残されているようなところだ。
20年代ということであれば、アール・ヌーヴォーその後、という感じかもしれない。
アール・ヌーヴォーはごく短期間の様式、というか時代精神であった。

その後、バスターミナルで四苦八苦して情報収集。
列車も安いが、バスはさらに安い。ううむ。結局、まだ悩んでいる。

【DAY18】プラハの空

2005年06月05日 | 旅する。
今日も小雨まじりの天気だったが、ヴィシェフラドへと向かう。
日曜日の朝、子ども連れで来る人々も多い。

眺望を楽しみ、スメタナやクーベリックの墓にお参りして、ベンチで少し休む。
先ほどまでの雨が嘘のようにやんで、空が晴れてきた。

【DAY16】プラハでの再会

2005年06月03日 | 旅する。
プラハに着くと、そこはツーリストで溢れかえっていた。

4年前の来日時に隅田川の屋形船に招待したM教授に電話したら、夕方にでもビールを飲もう、と言う。
よく晴れた日の夕方、外に出したテントの下で、よく冷えたビールを飲む。

チェコのビールの旨さは、とくに日本人にはこたえられない。しかも安い。
何より、旧友と飲むビールは旨い。

帰路、ヴルダヴァ川(モルダウ川)沿いを歩いてみた。
遅い夕陽を背に、白鳥たちが泳いでいた。

【DAY15】ドレスデンにて

2005年06月02日 | 旅する。
ドレスデンは第二次世界大戦でもっとも激しい空襲にさらされ、ほとんど都市全体が崩壊した。
同様に甚大な損害を受けた都市にロッテルダム(オランダ)、コヴェントリー(英国)などがある。
「ドレスデン」「ロッテルダム」「コヴェントリー」という固有名詞は、「ヒロシマ」や「アウシュヴィッツ」と並んで戦争の痛ましさを示す象徴でもある。

そのドレスデンでも、遅まきながらフラウエン教会の修復工事が始まっている。
そしてまた、旧東ドイツからの脱却と、アメリカ資本と文化の急速な流入も。

馬車は、古き良き時代を指し示す記号であると同時に、現代の観光産業の装置でもある。