気まま夫婦ドライブ旅

山とドライブ好きな夫と、
無免許インドアな妻「私」の写真旅日記。
房総半島中心です。

夫婦ドライブで円満になるのか

2013年07月14日 | ひとりごと



ひまつぶしに検索してみると、夫婦でドライブすると冷えきった関係も修復されて

円満になるなんて出ていたのでそういうもんかな~と思いました。


うちの場合は読んでもらってる人にはわかるとおり、

私が夫の趣味につきあっているという姿勢なので、

円満になるじゃなくて、夫が好きなこと出来て機嫌が良くなるだけのことです。


ドライブでこんな妻の態度は嫌われるといくつか項目が出ていました。


まずうちの場合は、私は助手席に絶対座らないということです。

つきあって初めの頃は座っていたのですが、

目が回るようになったので夫の後ろの席に変えました。

ここだと走行中のカメラ撮影が全方位的に構図がとりやすい。

助手席にはカーテンがひけないので、直射日光がすごく暑いし日焼けしてしまう。


何より事故が怖い。後ろの席だと見晴らしがいいので危険な時すぐ注意が出来ます。

夫は右に気を取られていて、左から接近する車に気づかないことがある。

何度か怖い瞬間がありました。

なので助手席に座らないのは本能的なものです。

夫婦が並んで座り助手席に妻が座るといいとか、そんなの決めつけです。

よその車でも並んで座っている人が多いですが、私は遠慮させてもらっています。


食べることもまず夫に食べさせる、飲み物も飲んでもらう。

私の方が夫に勧められています。自分だけ食べていることはないです。

コーヒー作って~とか頼まれると作ってあげます。目薬も出します。

私が眠い時も、寝るよ~とか一言言います。

運転するのは夫だけですから、体調管理するのは私の役目です。


夫婦でドライブするといいなんてネットに出てるってことは、

世間の人はあまりこういうことをしていないってことですよね。

私も正直珍しいのではないかと思ってました。

仲が良くなるどころか大喧嘩になることも何度もありますし、

性格の違い、意見の違い、いつも対決です。


このブログは結婚してすぐ始めたものです。

夫は車、私はカメラという役割があって成立しています。

結婚前の2年間もいろいろ出かけていて、

このブログにはのせていないこともたくさんあります。

一体どのくらいの回数ドライブに行ったか見当がつかないです。

夫とのつきあいは車が主体になってたわけです。


bousoumichiは暴走ではなく房総みちですが、

暴走しないで房総を行くという願いがこめられています。

この先何年ドライブは続くのでしょうか。

車を手放しても、鉄道旅があるじゃないか。

ドライブは夫がハンドルにぎっていて、私は補佐役。

鉄道旅になった時、私は本当に輝くのです。


石原都知事はひどい

2011年03月16日 | ひとりごと
大きな余震がありました。

天気は曇り、突風が吹いて乾いた砂が舞い上がっています。

停電はあるのかないのか、曖昧です。

この前買い物に行ったら、大手スーパーは入場制限していました。

その前日行った時は、いろいろな食品が売り切れていて、なぜそんなに買う必要があるのかわかりませんでした。

デマとか買占めとか、困ります。

何か勘違いしてる。

別な店は屋外で販売していて、良心的だなと思いました。

停電のことだけはっきりして欲しい。東京電力は役人体質。



石原都知事の発言は許せません。

あんな人をよくも長にすえていますね。東京の人。私は住んでた時票なんか入れませんでしたが。

作家だかなんだか知らないが、ばかなんじゃないですか。

早くやめさせないとだめですよ。

自分だけいい思いしてきたくせに。

あの人をこそ罰したいですよ。

スーパーは品不足でした

2011年03月14日 | ひとりごと
もう余震の震度3では平気になってきました。

さっき震度4がありましたが、これが大きな余震になるならまずは安心、できればいいな。


昨日地震後初めて出かけました。

近所の液状化現象はひどかったです。泥が山積み。

あちこちにひびが入ったタイルや、ごみ置場の流しまわりの損壊。


スーパーに行ったら予想どおり品物が何もない~。

入荷しないので無理もないと思いましたが、多少怒りも。

普段品切れなんてことない平和な生活に慣れきっていたからです。

そんな幸せな環境が当然のように暮らしてきた今まででした。



実家からの脱出の時、がん手術の時、大きく人生観が変わりました。

今もまた地震によって、何かが変わった気がします。

すべて捨てられると。


今日は停電があるかないかわからないし、電車が止まっているので、

渋滞するだろうから、車にも乗れません。

寝てるのが一番気楽かもしれないですね。

地震なのに記念撮影

2011年03月12日 | ひとりごと
住宅が揺れるあの恐ろしい音、もぎとれそうにきしむ。

地面から吹き出す泥、すべて終わるんだ、死ぬんだと思った。

でも生きている。

荷物なんか家なんかどうでもいい。この身が無事なら。

夫が帰ってきた時本当にほっとしました。

東北には親戚がたくさんいますが、今回は震源地から遠かったです。


うちの近くの車道がひび割れて、のんきに散歩する人が写真を撮っているのはいいのですが、

子どもと地割れを一緒に撮影して記念撮影のつもりなのでしょうか。

そういうの、やめて欲しい。

あまりにも不真面目だと思いました。


ここの住宅地の人たち、いざとなったら頼りにならない。

挨拶も確認もろくになく、大体誰も出てこないし。

今も地震で揺れています。

夫は仕事、ひとりで恐怖に耐えるしかないです。

千葉市の埋立地の地震時の状況

2011年03月12日 | ひとりごと
私はちょうど外にいて立っていられないほどで、集合住宅の建物全体が根元からぐらぐらしていて、

倒壊するのではと恐怖で座り込んで様子を見ていました。

階段の出入り口のタイルに亀裂が入っていました。あわてて家の中に帰ってみると、

うちは高層なので、家具の位置はすべてずれてしまい、本棚は倒れて本が落ち山積み。

台所のせとものガラス食器などが、割れて散乱していました。

水槽の水もふっとんで水浸し。

余震もものすごく何度もあり避難の準備だけはして、玄関に待機していました。

ベランダから下を見ると、水道管が破裂したのか?みるみるうちに道路に水があふれてきました。

灰色の泥もあふれ、液状化現象が始まりました。

道路にも亀裂がいたるところにあり、よそにでかけるのは危険と判断して、ひたすら電話が通じるのを待ちました。


しばらくすると、市原の五井の方向に巨大な火炎が吹き上がり、どんという衝撃がありました。

テレビで工場が爆発した映像が出ました。

固定電話での通話が出来て、夫から連絡、母とも話せました。

電気水道は大丈夫でしたが、ガスを使えるかはしばらくわかりませんでした。

夫も帰り道で道路が断裂しているのをたくさん見たそうです。

しかしそのへんを歩いている人たちは、普段と変わらない様子でいるし、

同じ階段の住人も声かけがほとんどない。何だか冷たいような、不安な気分でした。


報道とは違うかもですが、うちは震度5か6はあったと思っています。

低層の揺れとは全然違います。

ここは埋立地なので、地面が不安定です。今道路を見下ろすと、アスファルトがひびだらけになっているのがわかります。

昨日以上の震度であれば倒壊すると想像するのは杞憂ではありません。家を放棄せざるを得ないでしょう。


夜中までかかってかたづけ、今朝は洗濯が大変でした。

液状化の泥は誰がかたづけるのか…。買い物行くのも怖い感じがします。

親戚づきあいとお盆帰省の謎

2009年08月29日 | ひとりごと



ひと夏の喧騒も終わり、秋になっていく風の気配です。


夫は一人っ子で両親はすでに亡くなっているので、

私が結婚した時他に挨拶したのは夫の元同僚の方たちだけでした。


養子で親との年が離れていて、育ての母親は早く亡くなり、

父親が再婚して、継母とのつきあいの方が長かったようです。

どちらにしても血のつながりはないから、親戚とのつきあいもまったくない状態。

両親とも親戚と絶縁状態だったらしいので、天涯孤独というのが夫の口癖です。

ちょっとさびしい境遇のようでもありますが、本人はとても明るいです。

この年代になると親戚づきあいなんてしなくなるのが普通かもしれませんが…。



前の奥さんとの子供がいますが、今は会わないようにしているらしい。

だからひょっとしたら、孫が出来て将来会うこともあるかもしれず。

そしたら血のつながりのある子孫が出来ることになりますよね。


私の両親も何十年もの軋轢の結果、やっと今年離婚しました。でもまだ同居しているのです。

電話で話していて、あきれかえって血圧がすごく上がってしまいました。

もう実家のごたごたに巻き込まれるのはまっぴらです。

弟は病気だし、気の毒だと思いますが、あとは自分たちで解決して欲しいと願っています。



そういうわけで、ただただふたりだけの生活です。

お盆や年末年始はどこにも出ないようにしています。

人ごみが苦手なので閑散期になれば旅行に行きます。お墓参りも気が向いた時行きます。





お盆で日本中民族大移動することを、私は昔からおかしなことだと思っています。

昔父に話したらそういうもんなんだと怒られたりしました。

14日?だかには一斉に墓参りをしなきゃなんないから、どんなに交通ラッシュが起きようと仕方ないということです。

もっとも父の実家は近所だったんですけどね。

母の実家は遠いですが、今じゃ親戚みんなが年寄りになってしまったから、お盆に帰るなんてありません。


わざわざ混んでる時に出かけなくてもと思う私は現代っ子で、

冠婚葬祭とは無縁の場所にいます。

もちろん同じ考えの人が多いから、日をずらして行くという現象もあるようですね。

ほんとはいつ墓参りに行ったって構わないはずなんですけどね。

毎月でも毎週でも会いに行ったら、あの世の人たちは喜ぶでしょう。


企業が一斉に同じことしか出来ないから要領の悪いことになるんです。

こういう所、日本人らしいな、仕事中毒国民だもんなと思います。

いつからこういう因習が出来たのかは知りませんが…。


私はお盆帰省体験があまりないから、こんなのん気なことが言ってられるのかな。

一度混んでる時に乗り合わせたことがあります。

昔はずっと指定席でしたし、新幹線が出来てからだいぶ状況が変わったように思います。

あ、うちの母は東北出身です。


何にしても今年も夏は終わります。

楽しみはのんびり1人の夜

2009年08月26日 | ひとりごと



普段は平凡な暮らししています。

結婚前と結婚後の生活で変わった所はほとんどないです。

専業主婦という肩書きは変だと思いますが。

独身の時だって料理掃除洗濯してきたわけでしょ。

家事をしていますって言った方が感じはいいですよね。



夫がいる時は何かしら気を使うので、気を張ってますが、

1人でいる時はなるべくぼーっとするようにしています。

夫は落ち着いた雰囲気の人なので、一緒にいても疲れることはありません。

だけどお互いが黙っていたら暗くなってしまうかな~と、

若いもんの私が普段以上にがんばってる感じです。

それで1人の時は疲れが出てぼーっとするとかなり楽になります。

夫もお酒が入るとかなり明るくなるので楽しいのですが…。



家事をして、時間があれば本を読んだり、勉強なんかもしたり。

気が向けばピアノ弾いてみたり、のんびりが神経にいいのです。

私は寝つきが悪いので入眠剤を飲んでいますが、

夜が深まるにつれて、家の中も外も静かになってくる。

本当にいいことだなあと思います。そう思えば自然に眠くなれるのです。



風通しはいいし日当たりはいいし。夏も冬も過ごしやすい気候。

病気の者にとってはとてもいい環境です。

この年になるとのんびりがいかに体に大事かわかります。



今は熱帯魚を飼っているので、慰めになっています。

癇癪が起きそうになったり、さびしくなったりしていた私のために、

夫が水槽を揃えてくれたのです。

金魚しか飼ったことなかったので、熱帯魚は難しいよと嫌がっていた私も、

すっかり魚のお世話に慣れてきました。



こんな生活だけならすぐおばあちゃんになってしまうけど、

夫が次から次へと旅行の計画を立ててしまうので、

忙しくなってぼけていられません。

夫は私以上におっちょこちょいなので、私がしっかりしなきゃなあ~と気合いを入れます。

だからのんびりはひとりの夜だけの楽しみです。

子供を産まなくても

2009年05月26日 | ひとりごと



少子化などと言ってても、親子連れをよくみかけます。

考えこんでしまうのは、よく子供が欲しいって思えるなあ、

私はちっとも思ったことがないのはなんでかなあということ。

母の場合どうだったか聞くと、子供がとても欲しかったと話してくれました。

それが私にはないのです。


銭湯でお腹の大きな人を見るとびっくりしてしまい、

こんなまだ子供みたいな子が…と潔さに感心。

私だったら人前に裸で出れない。

今だってお腹に手術の跡があって、そんなの見せたくないです。

でも夫の旅行につきあってるのだからと、割り切ってお風呂に入っています。


みんな楽しそうに赤ちゃんや子供を連れて旅行をしている。

高速安くなって、実家に行ったり観光したり、気軽なんでしょう。


若いうちは子供なんかいらんと言ってても、年取ってくるとにわかに子供作ったりする。

不安になるんだろうか。

親戚や友だちは独身で子供いない人たくさんいるので違和感はないんですが。

みんな女ひとりでしっかりやっています。

無理に生まなくてもいいというのがよく聞く意見。


今ではその人たちとは一味違う生活様式になってしまった。

結婚してて子供いなくて、がん手術経験ありで更年期障害でという知り合いはいないのです。

さびしいといえばさびしいです。

就活も婚活もない青春

2009年05月25日 | ひとりごと



故郷の書店のブックカバーを見て思い出す。

昔は地元大手の書店に勤めたかったこともあったんだなあ。

毎日のように家からぶらぶら歩いてこの店に遊びに行っていた。

児童書売り場にいつもいました。


高校卒業して一浪して大学をあきらめたので、普通に就職活動したことがない。

もともと大学は自分には向かないと考えてたのに、父に怒鳴られて受けることになった。

専門学校に行く人が多かったので、私もそんな気持ちでいたけれど、

父は大学以外に金は出さないというので、泣く泣く受けそして落ちたわけです。


そのあとはアルバイトを探す人生になりました。

そして求人でその書店に勤めるには大卒でないとだめなのがわかり、とてもがっかりしました。

仕方ないのでそこの外商のアルバイトをしました。が、時給550円です。

高卒で正社員は10万くらいの時代です。


私は一人暮らししたかったのに、当時バブルになりつつあり、

家賃は6万は当たり前でした。

なんだかすべてにやる気をなくしていました。



学歴と金が物言うすさまじい時代。

面接をしても落とされ続け、気力を失う、そんな20代。

男との出会いもゼロです。

あの頃なぜか見合いがはやってた。恋愛願望だけが一人歩き。


引きこもりまでは行かないけど、うちは問題を抱えていたので、

親のもめごとにまきこまれるうちにうつ病になったようです。


そんなことで、外を出歩いても行くところがない状態。

仕事も出会いも何にもない。

せいぜい本屋やスーパーに通うくらいでした。

それに病院が追加されました。


30代はなかったと言ってもいいほど、病気と家族との闘いの日々。



就職活動はまだわかるけど、婚活ってどんなことをするのかな。

どうしたら20代で出会いがあり、恋愛したり結婚できたりするのか。

私はいまだにわかりません。

もしも普通にそんな人生を歩めたなら、本当に幸福だったろうと思います。

人はそれぞれ違う、それでも普通であることがとてつもなくうらやましい。


今はそんな私も結婚して、当たり前の人生になりつつありますが、

若かりし頃が欠けている、他人を見て初めて、私にはあんな頃はなかったとふりかえってしまう。

若いというだけではだめで、自由で健康でやる気があること。

そしてついでにお金を持っていることが大事なんだと思います。

若いだけでは、やる気があるだけではだめなのです。

これが40代になった私の反省です。

夫婦ひとりとひとり

2009年04月21日 | ひとりごと



ふたりが見たいものは自然。ふたりとも海が大好き。

夫は山が大好き。だけど私は登れない。

夫は人ごみが嫌い。寺社が嫌い。私は寺社参りが好き。

夫には信仰がある。私にはない。

夫は富士山が大好き。ベランダから見えると大喜びする。

私には富士山はビルと同じもの。そこにあるのが当然だから。

夫は一般道が好き。私は高速が好き。

夫は晴れが好き、雨だと外に出なくなる。

私は雨の日がお気に入り。

こんなふたりがなぜ気が合うのか。

実は我慢してるだけなのか。それはわからない。


釣りとゴルフが嫌いなのは一致してる。

私もそういう趣味の人はちょっとという感じ。


こないだ旅をしてきたけど、先週ショックなことがあったので、

ブログはお休み状態。

1回の旅で数百枚の写真を撮るので整理が大変。

それに早くも次の旅はどこにしようかで悩んでいるところ。

高速1000円でどこまで行けるか。仕事の都合があるので、

2泊までしかできないのです。



完全に年金暮らしになったら、どこへでも行ける。

夫は行きたい所はどこへでも連れて行くというのが口癖。

高速で走りまくるならひこにゃんに会いに行く!

と私が言ったら勘弁してくれと言われた。勝ったね。

ゆるキャラに興味がなかったけど、旅にあまりにも目的がないので、

見方を変えてみたんだけど。

私自身がゆるキャラみたいな存在だからか、

夫はそういうのは無関心のようだ。