「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月6日
南京との訣別
通りすがりに、あちこちの防空壕をのぞいてきた。この前の中国の空襲があったとき、みな中に入ろうとしなかったのが印象に残っていたからだ。防空壕にはどれも例外なく地下水で水びたしになっていた。日本兵にあれほどひどい目にあわされたので、空襲など怖くなくなってしまったのだろう。難民たちが大勢、黙って庭で空を眺めていた。なかには飛行機など気にも留めず、わら小屋で普段どおりに過ごしている者もいた。
今日、日本大使館に上海まで往復する許可を申請してきた。「原則的には、この手のものはすべて却下されますが、なんとか努力してみましょう」と福井氏は言ってくれた。ローゼンが推薦状を書いてくれたが、あまり役には立つまい。前にも書いたが、ローゼンは日本人から見て決して好ましい外交官ではないからだ。しかも、かくいう私も国際委員会の代表であり、やはり日本人から好かれているとは言いがたい。とはいえ、いまだに中国本社から滞在継続を認めるといってこない以上、こうするよりほかないのだ。もしそれでも許可が下りたら、外国の砲艦に乗せてもらって行きたいと思っている。
ドイツ大使館南京分館からのローゼンの報告
今日の5日に、日本大使館におきまして、ティーパティーが催されました。新しく任命された日本の駐屯部隊司令官天谷直次郎少将が、当地の在外公館のメンバーを招待したのです。
かなり長いこと待たされた後、我々は席に着くようすすめられました。少将は長ったらしいスピーチを読み上げ、それを福田書記官がつっかえながら英語に訳しました。
まず第一に、少将は日本軍の規律正しさについて述べました。
我が軍はその規律の正しさで世界に知られている。日露戦争においても満州出兵においても、これが破られることはなかった。このたび中国においてこのような事態が起こってしまったのは、ひとえに中国側の責任である。とはいっても、他国の軍隊であったらもっとひどいことが起きたに違いないと確信している。蒋介石は軍のみならず人民全体に抵抗を呼びかけ、それが日本兵の感情を甚だしく害したのである。なぜなら進撃途上で、食糧その他の必需品を一切手に入れることができず、その結果、兵士は人民に怒りをぶつけずにはいられなくなったのだ。南京への進撃はあまりに迅速だったため、食糧の補充は決して容易ではなかった。(こういっておきながら、あとから、食糧補給隊は時間を持て余し、そのためあのような行為に及んだ、という矛盾する発言がありました!)
天谷少将は徹底的に中国側を批判しました。
中国軍はまず第一に日本の将校を狙った。そのため、将校たちは兵卒の軍服を着なければならなかった!中国人スパイもまた、発火信号などを用いて、参謀本部の所在地を目に付くようにして、砲兵隊や航空兵に参謀本部を攻撃させたのである!
南京に関していえば、外国人、とりわけ「ある国家」の人間がでしゃばって裁判官の役割を果たしている。外国人の介入がなければ、南京における日本と中国の関係は間違いなくもっとうまくいったに違いない!日本軍に抵抗するよう中国軍にけしかけたのはこれらの外国人に他ならない。外国人に損害を与えた点に関しては、いかなる批判にも甘んじよう。だが、こと中国との関係については、干渉されたくはない。
最後に、天谷少将は、何か意見があるかと我々に訊ねました。私はすでにこの「スピーチ」のおかしな論理に反感を抱いており、在外公館の最古参者ではありますが、何も言う気になれませんでした。一方アメリカ大使館の南京責任者アリソン氏は、原稿の写しを要求しました。すると、あろうことか、突如として今のは全くの即興だったというのではありませんか。たった、今、少しでも明るい方へと時々原稿を動かしながら、少将が眼鏡をかけて一語一語読み上げ、福田書記官がもう一枚の原稿からとつとつと訳していたというのに!
天谷少将の挨拶に話を戻しますと、さしあたって次のような結論が引き出されましょう。つまり、中国軍の抵抗により日本軍はかなり動揺したということです。ある民族が、積年の苦しみと絶え間ない屈辱の果てに、ついに侵入者に反旗を翻すということぐらい、愛国心の強い日本人には自明の理だと思うのですが。ところが、際限なくのぼせ上がった日本人は決してこの事実に目を向けようとしませんでした。およそ2年前、満州国の外交部次長であり、日中戦争の最高責任者の1人である大橋忠一氏は豪語したものです。中国の主力軍など、日本の2師団もあればわけなくおさえられるだろう、と。
将校、いやそれどころか参謀本部についても天谷少将が不安を感じたという事実は、中国進軍について、日本が全く別のイメージを抱いていたことを如実に物語っています。
南京住民が日本人を受け入れなかった理由を外国人のせいにしようとする天谷少将の試みは的外れとしか申せません。なにより、南京に残っている外国人が、リーダーとして同盟国であるドイツの人間、しかもナチ党員であるジョン・ラーベ氏を据えたことを考えれば、それは明らかです。
また、少将が「ある国家」にアメリカをも含めととしても事情は変わりません。アメリカ人はドイツ人と共に密接に提携して共に行動してきました。ドイツ人がしたことはすべてアメリカ人が加わり、無条件に承認したのです。ドイツ人とアメリカ人が敢然と間に立つことがなかったら、日本軍の殺戮は著しく増加していたと思われます。ですから、日本は外国人に心から感謝して当然なのです。
我々外国人の予想に反して、日々繰り返される空襲や市街戦に苦しめられながらも、中国人民は非の打ち所のない規律を示し、比較的重要でない事柄を除けば外国の国旗を尊重したのです、一方日本軍のほうは、南京がとっくに平穏な兵站基地になったあとも、人を殺し、強姦し、街を焼き払い、あらゆるものを、ドイツ人はじめほかの外国人の所有物をも襲ったのです。
ラジオのニュースによりますと、ドイツの外交政策の転換により、日本は自国の中国政策が追認されるのではないかと大きな望みをかけている模様です。けれどもその際、日本はあることを見逃しております。ほかならぬ防共協定の創案者(ヒトラーのこと)が、日本によるこの高尚な理念の濫用に対して若干もの申すかもしれないということを。
漢口との郵便連絡がうまくいきません。よって、この報告書を外務省に直接提出します。
ローゼン
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月6日 日曜日
立春は2月4日だった。いくらか暖かくなった。日が照っている。新しい春を告げる鳥たちがあたりでさえずっている。再び春を迎えるにはあまりにも悲しいように思われる。
目の具合が悪いので、今日は家にいた。具合の悪いのが左手であったら、そのほうがよいのだが。その場合には、少なくとも読み書きだけはできるだろうに。
今日は兵士1名が訪れただけだった。王さんが彼を案内した。避難民は2月8日までに収容所を出なければならないそうだ。私たちの収容所については事情が違うー現在、大部分が若い女性だーという理由で、何か思い切ったことをしてくれるのだろうか。
午後の集会は素晴らしかった。・・・・・・・・
昨日ブランチとマッカラム氏が、年齢の高い避難民男性2人を自然科学研究所に連れて行き、そこに住まわせるようにした。残存している生物学標本を損壊されないようにするためだ。2人は大喜びで行った。彼らの年齢では、いくらなんでも過激な青年だと非難されることなどありえない。あの立派な植物標本の損壊とともに無に帰した努力のことを思い出す。
今朝ルイスがやってきて、栄養不良者に与えるミルクと肝油の割合について指示を出した。その少しあとでプラマーがやってきて、避難民用として300ドルを提供してくれた。贈与分の100ドルと、最終的には500ドルになる貸付資金のうちの200ドルだ。(安全区国際)委員会は、直接的な救援がどうしても必要なので、学校の開設という考えに賛成ではあるものの、その資金を別に用意することは不可能だと思っている。
今日はたくさんの重爆撃機が市街上空を飛んでいる。
「Imagine9」【合同出版】より
想像してごらん
世界から戦争のなくなった
平和な世界を。
Imagine,
A peaceful world
without war.
でも、どうやったら
そんな世界がやってくるのか
な
一つひとつ考えてみよう。
But,how can such a
world be
made?
let's think about it.
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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