「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月16日
自治委員会の委員でもあり、同時にこっそり我々の仲間にも加わっているジミーからの知らせ。本部の建物を自治委員会が買い取って、国際委員会に贈ることになったそうだ。とてもよい思いつきだ。
アリソン氏来訪。「緑豆問題」が解決したと知らせてくれる。豆を輸入し、安全区の中でも外でも分配できることになった。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月16日 水曜日
今日は寒い風が吹いた。甫と老呉が樹木の植え替えを始めている。というのも、今がその時機なのだ。午前9時、衛生状態を調べに李さんと一緒に再び戸外に出た。それは、まさに絶望的な途方もない仕事で、何の効果も上がらない。みなさんに中央棟の裏手の小山を見て、その臭いを嗅いでいただきたいものだ。
王さんと彼女を手伝う人たちが、赤札を新しい黄札に取り替える作業を終えた。現在、無料配給米をもらっている人は653人いる。無料配給米の札の配布を慎重にやりすぎているのだろうか。それほど慎重にやらなければ、現在以上にたくさんの人がキャンパスにとどまることになるだろう。私たちは、貸し付けたり供与したりする資金を(安全区国際)委員会から預かっているが、しかし、どうすれば賢い貸し付けや供与をすることができるかを見極めるのは、決して容易なことではない。今日は指輪や時計を抵当に2件の貸し付けをした。
5時から6時の間にY.G.厳さんが訪ねてきた。彼は殺害されたと聞いていたのだが、しかし、彼にはその話はしなかった。彼の話によれば、占領の初期に三汊河で1万人が、燕子磯では2万人ないし3万人が、下関ではおよそ1万人が殺害されたと聞いたそうだ。彼は、多くの夫と息子は絶対に帰ってこないと確信している。頻繁に私のところにやってきては、嘆願書に書かれている情報を何か聞いていないかと尋ねる女性にたいし、あなたたちの夫が帰ってくることは絶対にない、などと、どうしてそんなことが言えようか。
アリソン氏が、上海から包みを1個、手紙を2通、それにステラにかんする無線電報1通を届けてくれた。アメリカ本国の人たちは、南京に入ることがほとんど不可能であることを理解していない。
ブランチは今も入院しているし、婁さんは病気でここにいる。いつも健康かかつ正常な状態を保つのは難しいことだ。
上海から届いた包みには2月5日付け「ノース・チャイナ・デイリーニューズ」が入っていた。私の分がこなくなった11月14日以来久しぶりに目にしたものだ。・・・・・・・・・
「Imagine9」【合同出版】より
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
「戦争をしない、軍隊をもたない」という日本国憲法9条がどうしてできたか知っていますか。
それは、日本が行った戦争への反省から生まれたのです。
日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地として支配し、中国や東南アジアの国々を侵略しました。
日本はアジア太平洋地域で2000万人命を奪いました。日本国内では広島と長崎に原子爆弾が落とされ、沖縄では大規模な地上戦が行われ、東京など大都市は空襲を受けました。日本では300万人が戦争で亡くなったのです。
第二次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。
その直後に、日本の平和憲法は生まれました。日本、アジアそして世界の人々に対する「二度と戦争をしません」という誓いとして憲法9条は誕生したのです。
同時にこの憲法は、民主主義の憲法でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人々が平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。