「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月28日 月曜日
うららかな天気が続いている。避難民たちは、日なたにぶらぶらと出て行くのが大好きだ。いたるところで「芝地」が濃くなりつつある。庭師は、折れたり踏みつけられたりした潅木を引き抜き、そのあとによりましな木を植えている。文科棟の屋根の修理が行われている。
唐老板は、避難民の居住に伴う被害を見積もることに昼間の時間を費やした。その額は、6棟分で概算6800ドルにのぼる。木造部と床板はすべて修理が必要だ。ほとんどすべての壁面の仕上げ直しが必要である。窓の締め具のような金具類は、それがうまく機能しない場合には乱暴に扱われていた。
ニューヨークに送る報告書の作成に昼間の時間の大部分を費やし、5時にそれを大使館に届けた。日本軍による被害の報告も作成した。ほかの人たちの被害が、私たちの被害と同程度に軽微であればよいのだが。
午前中メリーは、ひどい風邪としつこい咳で病院へ行った。ブランチ呉が18日間の入院から帰ってきた。彼女は理科棟の実験室で生活すると言い張っており、私としては、それに反対したくてもどうすることもできない。
午後1時30分、キャンパスの状況視察に将校1名と兵士2名が来訪した。彼らは避難民の人数についても尋ねた。私はいまだに帰ってこない夫や息子たちのことについて彼らと話し合うよい機会を得た。将校が言うには、模範刑務所には1000人以上の捕虜がいるが、彼らは兵士と将校であるとのこと。彼の情報によれば、民間人はいないというのだ。
午後3時ごろ4人の兵士が見学にやってきた。彼らは友好的で、図書館に深い関心を示した。一番陽気な兵士は手に地図を持っていた。どうやら、南京見物をするつもりらしかった。
兵士と民間人の死体の埋葬を担当していた紅卍字会の作業員の1人の情報によれば、死体は、それらが投棄された長江から運ばれてきたものだそうだ。彼は、死体数についての情報を提供することを約束してくれた。
3月15日 火曜日
今日は昨日よりも暖かく、日差しが明るい。飛行機が頻繁に飛んで行く。城内に新しい部隊が入っているそうだが、だからと言って、私たちの平和が増進されるわけではない。・・・・・
悲劇的事件の1つー18回ないし19回も強姦された女性(48歳)と、2回強姦された彼女の母親(76歳)-を写真に収めるため、11時30分、J,M(ジョン・マギーのこと。検閲される可能性を恐れてイニシャルだけにしたと考えられる)と一緒に城南へ行った。この話は、冷酷非情な心をもってしてもとうてい信じられない。南の各門に通じる街路のいくつかは、いまでもほとんど人通りがなく、人が通っている街路でも女性はお年寄り以外はほとんど見かけない。莫愁路は、全体が活気に溢れた市場だ。商売がさかんに行われている。誰かが言っていたが、10人のうち8人までが商売に携わっているそうだ。それ以外にはすることがないからだという。街路に大勢の人々が集まるのは、1つには、大勢集まっているほうが安心感がもてるからだと思う。女性にとっての危険は、確かに少なくなっているが、しかし、略奪は依然として続いている。残念なことに、まとまったお金のある商人の家に中国人が頻繁に兵士を連れて行くのだ。銃や銃剣を持っているのだから、お金を渡さないのは無分別ということになる。
避難民の再登録がついさっき行われたところだ。現在、避難民は3310人だ。14人の避難民が新たに収容された。去年の晩秋の頃農村地域へ避難した女性たちだ。お金は使い果たしてしまったし、匪賊は横行しているし、と言うわけで彼女たちは、復路の旅と南京(での生活)に伴う危険にあえて向き合うことにしたのだ。おそらく、彼女たちは、安全区のことや難民収容所のことを聞いたのだろう。
今朝城南で大勢の兵士ー騎兵や歩兵ーを見かけた。彼らが我が物顔に通りを闊歩するのを見ると、私は、心の隅々まで本当に反発を覚える。私たちが通り過ぎた大通りの商店の大部分は全焼するか、徹底的な略奪をこうむるか、そうでなければ閉鎖されていた。日本人がチョコレート店を再開したものの、商売本来の趣は見られなかった。
今日は2つのグループの兵士が来訪した。
このページを書き終える頃、北西方向から句容へ帰還する爆撃機数機の爆音が聞こえる。澄み渡った月夜で、飛行の妨げとなるものは何もない。
「この事実を・・・・・」(章開沅/編 加藤実/訳)より
5月13日 金曜日
午前中ーというより、その残った時間をー費やして、この秋の学期の初級中学と高級中学のカリキュラムを仕上げようとしている。
典型的な事例が2つ、今日午前中オフィスにやってきたー江老太と娘さんが来訪した。その物語ー53歳の息子がいて、何年も肺結核を患っている。その息子に、妻と息子がいる。もう1人33歳の息子がいて、稲の脱穀場で機械を動かして、月に40ドル稼いでいた。この息子に、妻と3歳から10歳の子ども4人とがいる。9人全部が、この33歳の息子に頼っていた。家族のうち8人が去年の秋、長江の北へ避難し持ってたものをすっかり使い果たした。33歳の息子が、日本兵に殺された。
その後ある人が、劉老太の物語を私に聞かせにきたー50歳くらいの婦女で、三碑楼の近くに住んでいる。息子が3人と嫁が2人いる。4日前に、兵士が2人午後10時ごろやってきて、戸を押しても開かないので、無理やり窓から入り込んだら、劉老太の部屋だった。嫁を出せと要求し、彼女が拒否して憲兵を探しに行こうとしたので、顔を2ヶ所切りつけ、心臓を1ヶ所刺した。彼女はその傷で死んだ。
この2つの悲劇は、今日私が聞いたものだ。ほとんど毎日私は、こういう心張り裂ける話を聞いている。誰だって心痛んで尋ねずにはいられない、「どれくらいこの恐ろしい状態が続くんだろう?どうやったら耐えられるんだろう?」
「Imagine9」【合同出版】より
女性たちが
平和をつくる世界
戦争で一番苦しむのは、いつも女たちです。戦争で女たちは、強姦され、殺され、難民となってきました。それだけでなく女たちは、男たちが戦場に行くことを支えることを強いられ、さらに男たちがいなくなった後の家族の生活も支えなければなりません。戦場では軍隊の「慰安婦」として、女たちは強制的に男たちの相手をさせられてきました。これは「性の奴隷制」であると世界の人々は気づき、このような制度を告発しています。
男が働き、戦う。女はそれを支える。昔から、このような考え方が正しいものだとされてきました。最近では日本の大臣が「女は子を生む機械だ」と発言して問題になりました。その背景には「女は子を生む機械だ。男は働き戦う機械だ」という考え方があったのではないでしょうか。第二次世界大戦下、日本の政府は、こういう考え方をほめたたえ、人々を戦争に駆り立ててきました。このような男女の役割の考え方と、軍国主義はつながっているのです。
「男は強く女は弱い」という偏見に基づいた、いわゆる「強さ」「勇敢さ」といった意識が、世界の武力を支えています。外からの脅威に対して、武力で対抗すれば「男らしく勇ましい」とほめられる一方、話し合おうとすれば「軟弱で女々しい」と非難されます。しかし、平和を追求することこそ、本当の勇気ではないでしょうか。私たちが、国々や人々どうしがともに生きる世界を望むならば、こうした「男らしさ、女らしさ」の価値観を疑ってかかり、「強さ」という考え方を転換する必要があります。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。