細菌戦の系譜!!

2023-02-08 12:21:47 | Weblog
●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

 謀殺(ぼうさつ)

予防注射を口実に毒殺

 

中島宗一

属官

〈略歴〉

本籍 長野県下伊那郡

出身階級 農民

最終学校名 南信学院2部卒業

学校卒業後の職業 農業

最後の所属 旧竜江省警務庁特務科

被捕日時場所 1945年10月8日 旧斉斉哈爾(チチハル)市白済工廠

 

 

志村の報告によると、昨日荒木から「明日釈放する」と言い渡された彼は、昨夜はほとんど眠れなかったようである。今日は朝から外に注意し、いつ迎えに来てくれるかと、腰も落ち着かない有様であった。連れに行った志村たち2人の伴われ、元気そうに戸外に出た彼は、数メートル歩いたと思ったらひょろひょろとよろめき、崩れるように倒れてしまったというのだ。太陽の光線も射さない薄暗い独房に座ったまま、一歩も房外にでることも許されず、1年余りを過ごしたのが急に強い日光に照らされては、たまったものではない。途端に脳貧血を起こしたのである。

 

 

 

 

 

    

 

 

    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
 

 

 

●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

藤井治夫著

 

第3編 主要極秘文書

1 三矢研究

昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

研究―四

 三矢研究事前研究項目(対米関係事項)

第3 日本直接防衛のための日米共同作戦

 1 全面戦の誘発を防止すべき情勢下における軍事作戦の限界

(2)核使用の問題

ハ 米軍の日本直接防衛のための核使用の限界

(ハ)戦術的核使用の場合

 b 作戦様相に応ずる核使用の場合

 (b)敵の上着陸侵攻を受けた場合

   この場合においても、われから先制攻撃を行うことは望ましくない。また他に手段が
   なく止む
を得ず使用する場合においても、攻撃目標及び規模を限定し、全面戦への発
   展を抑制すること
が必要である。

4、上着陸作戦の敵の策源地に対する攻撃

一般的には報復攻撃以外は、絶対に回避すべきで、この場合における使用の限界はおおむね前記(a)項に準ずるべきであろう。

★(a〕敵のミサイル核攻撃を受けた場合

1 ミサイルを発射した陸上基地、艦船及び航空機に限定して報復攻撃を行う場合は、全面戦への発展を回避することが可能であろう。

2 ミサイル攻撃を実施した艦船、航空部隊の作戦基地への報復攻撃を行う場合は、核相撃の範囲拡大により規模の限定が双方困難となり、ひいては全面戦への発展の可能性が増大する。したがって全面戦への発展防止の成算のない限り為し得る限り避けるべきであろう。

3 敵の後方補給路(基地)への報復攻撃を行う場合は、前記2項以上に全面戦争への発展の危険性は増大するので、回避すべきであろう。

 
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細菌戦の系譜!!

2023-02-08 12:08:36 | Weblog

  第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

 1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

 『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

第4代衛生学校長

 

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

 

 

金原節三と細菌戦

 

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

 

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

 

金原節三と武見太郎

 

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

 

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

 

『軍事史研究』2010年9月

軍事史関係史料館探訪(56)

陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館

喜多義人

 

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。

 

 

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

「化学学校記事」

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)

 

3、沖縄―核だけなく毒ガスも
 
目に見えない恐怖
 
 ところで、部隊標識を塗り潰したり、略称を書き込んだりして“忍者ぶり”をイカンなく発揮した毒ガス部隊・陸軍第267化学中隊は、独自の警備犬部隊と訓練施設をもっている。
 沖縄には米軍憲兵隊管理の大がかりな太平洋方面警備犬養成学校があり、米軍施設の警備にあてているが、化学部隊だけは独自に犬を養っている。
 

第5代衛生学校長

井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

 第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

  井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

 又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。

東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。

※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。

1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

 

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)

 

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 

 
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
 
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。

  
 
 

 

 

 

 

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

 
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  

    

第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年

1、摂政時代と大正デモクラシーの危機

皇太子が台湾を去ったのち、『台湾時報』の同年5・6月号で、総督府総務長官賀来佐賀太郎(かくさかたろう)は、日本帝国全体にとっての道徳と仁愛の規範としての摂政の重要性を次のように述べている。

 惟ふに国民道徳の淵源は我が皇室に発す而して 殿下今回の行啓は明かに此の事実を体現遊ばされ以て洽く儀範を庶民に垂れさせ給へり申すも畏き極みながら 殿下が孝順友悌の徳に富ませ給ふこと寛大重厚喜怒色に形はれ給はざること博愛仁恕徳禽獣に及び給ふこと倹素簡約範を臣下に垂れ給ふこと等、殿下の御言行尽く是れ道徳の神髄を示し給はざるなく特に感激に堪へざるは臣民に対(むか)はせ給ふに当り貴賤貧富の別なく絶えず温容を以て御会釈を賜ひたるの一事なりとす。

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
 
In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

IMAGINE9 

解説

05 

 

基地をなくして緑と海を取りもどしていく世界

 

  基地をなくして、緑や美しい海を取りもどし、きれいな空気がよみがえる。それが、人びとにとっての本当の「平和」ではないでしょうか。それは、人びとが 「平和に生きる権利」を確保することでもあります。

 フィリピンでは、1992年、国民的な運動の結果、米軍基地はなくなりました。韓国ではピョンテクという場所に新たな米軍基地がつくられようとしていることに対して、人びとは反対運動を続けています。

 沖縄では「もう基地はいらない。美しい海を守りたい」と、辺野古での新しいヘリポート建設に反対する人たちが活動しています。自分たちの土地がイラクやアフガニスタンを攻撃する拠点と して使われることに黙っていられないと、世界の人びとは立ち上がっているのです。

 かつて日本やアメリカに占領されてきた歴史をもつミクロネシアの憲法は、その前文で、次のようにうたつています。

「ミクロネシアの歴史は、人びとがイカダやカヌーで海を旅したときから始まった。私たちの祖先は、先住民を押しのけてここに住んだのではない。ここに住んでいる私たちは、この地以外に移ろうとは望まない。私たちは、戦争を知るがゆえに平和を願い、分断された過去があるがゆえに統一を望む」

 

 
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細菌戦の系譜!!

2023-02-08 12:05:41 | Weblog
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

 
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
 
※私が考える、今の異常気象の要因は

 

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、戦争、

3、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え

 

核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核被災に苦しむウイグルの人々

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

 

・2022年6月21日、第1回締約国会議を招集。開催地はオーストリアのウィーン。

 
●核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

地球を破壊する核爆発・核実験

 

核兵器禁止条約

内容
 
署名国             署名日          批准日 (締約日)

タンザニア            2019年9月26日

ウルグアイ            2017年9月20日     2018年7月25日

バヌアツ            2017年9月20日     2018年9月26日

ベネズエラ            2017年9月20日     2018年3月27日

ベトナム            2017年9月22日     2018年5月17日

 

 

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ) 

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】

 

 

核実験の人体実験


●核融合もすべきではない!!

 
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「反原発!!」と叫ばない!!
 

       

      


 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

 
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
 
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。


水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。

 

 

 
 

 
福島第1原発事故



           











 

 


 
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

 
 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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