「もろもろのこと」より
“他人を苦しめることで、自分の快楽を得ようとする人”は、
“恨みの絆”に縛られて、〈恨み〉から逃れることはできない。
*
「象として」より
“戦場の象”が矢に射られても耐え忍ぶように、私も人々からの中傷を耐え忍ぼう。
多くの人々は“たちの悪い性質”を持ち合わせているものだから。
(古代インドでは、戦争の際、よく調教された象を戦車のように用いた。)
いかに素晴らしい驢馬や馬や象であっても、
“それらの乗り物では到達することの出来ない地(=涅槃の境地)”がある。
ただ〈慎みのある者〉だけが、自分を制御してそこへと到るのだ。
もしも〈思慮深く、正しく暮らす、確かな人〉を道連れとできるなら、ともに行くがよい。
ともにあらゆる苦難に打ち勝ち、喜び、歩むことだろう。
もしも〈思慮深く、正しく暮らす、確かな人〉を道連れとできないのならば、
“国を捨てた王”のように、“林のなかの象”のように、ひとりで行くがよい。
“他人を苦しめることで、自分の快楽を得ようとする人”は、
“恨みの絆”に縛られて、〈恨み〉から逃れることはできない。
*
「象として」より
“戦場の象”が矢に射られても耐え忍ぶように、私も人々からの中傷を耐え忍ぼう。
多くの人々は“たちの悪い性質”を持ち合わせているものだから。
(古代インドでは、戦争の際、よく調教された象を戦車のように用いた。)
いかに素晴らしい驢馬や馬や象であっても、
“それらの乗り物では到達することの出来ない地(=涅槃の境地)”がある。
ただ〈慎みのある者〉だけが、自分を制御してそこへと到るのだ。
もしも〈思慮深く、正しく暮らす、確かな人〉を道連れとできるなら、ともに行くがよい。
ともにあらゆる苦難に打ち勝ち、喜び、歩むことだろう。
もしも〈思慮深く、正しく暮らす、確かな人〉を道連れとできないのならば、
“国を捨てた王”のように、“林のなかの象”のように、ひとりで行くがよい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます