母の遺品を整理していると沢山の写真が出てきた。写真の存在なんてあまり考えてなかったので驚いた。
今はデジカメが主流で写真も変色もせず永久保存もできるようだが、昔の写真はそうはいかず随分変色をしていた。しかしその変色した写真をみると、なんとなく時間がタイムスリップしたようでその当時の状況が思い浮かび感慨深かった。
母は先月95歳で亡くなったが、以前にも言ったように母が歩んできた人生はまさに波乱万丈であった。そんな母の人生を私は古い写真からもう一度思い起こされた。
写真には黄色く変色した20代の若い頃の写真から、亡くなる数か月前のものまで結構残され出いたが、どの写真も無心には見過ごすことができなかった。そしてそうした写真から、その時代ごとの母の思いが手に取るようにわかるような気がした。
幸せなとき、苦労が重なった時など写真にはその時々の表情がはっきり出ていたし、その背景を見ながら当時の生活状況もわかって懐かしかった。
私は母の写真を整理しながら、それをただの遺品として扱うのではなく、母や我が家の歴史を語る資料として大切に保存していきたいと思う。なぜならば私の子供たちや孫たちにおばあさんが生きてきた人生を物語のように教えるよりも、写真という資料を自分の目で見ることで、子や孫たちがそこから感じることを自分の人生の糧として生かしてほしいからである。
何時の時代も苦しいこと、辛いこと、楽しいことなど様々なことがあるだろうが、先代たちが苦労を乗り越えて生きてきたあの強靭な精神力と、自分よりも家族や隣人を大切にした慈しみの心に学び、それを目標にしてこれから生きていくことが、ささやかであっても幸せに暮らせる楚となることだと思う。それが、子供たちの将来を思う私の気持ちである。