buriのフリーランスな日々 

東京武蔵野、赤松や桜、ドングリの木々に囲まれて育ち、原宿で青春をすごした後、中国と深く関わったburiのメモブログ

トンパ文字

2011年04月09日 | ボランティア



あるところから、中国の奥地(、、とはどこを指すのか、わかりづらいのですが)について
ちょっと話してもらえないか、と頼まれました。
それで、数年ぶりに中国の雲南省を訪れた時に集めた資料などを出して読んでいたら、
すっかり陽が暮れてしまいました。

雲南省西北部の大理をたずねた時に、ナシ族という少数民族の村に行きました。
ナシ族は『トンパ文字』という独自の象形表意文字を持っているのです。

写真の文字は 人が手をつないでいるのが『デート』左が男の子、右が女の子です。
2番目は人が寝ているようですよね、、、『怠ける』です。
そして最後が『木』と『葉』

確かに象形文字です。
わかりやすいし、何だかかわいい!
ちょっと前に、ユニクロのTシャツのデザインにもなっていたような、、、

ところで『トンパ文字』の他に
もうひとつ、ナシ族を有名にしたのは、「通い婚」の風習です。
女性の家に男性が通う、、、という私たちにしてみれば驚くような習慣ですが、
少数民族として、生き残っていくために、また雲南のこの地方の文化や生活に合わせての
ぴったりの習慣だったようです。

世界は広いですよね。
考え方や習慣もさまざまです。
他国に行くと、何が『スタンダード』なのか、ということを改めて考え直す機会になります。


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さて、とうとう来週から授業が始まります。
今はその準備に少々焦っています。








ハマっていること

2011年04月09日 | 歴史の中の1ページ



明治時代の御雇い外国人に完全にハマってしまった、今日この頃です。
多分、学校で留学生たちのキャリア指導などをしている影響もあるかと思いますが、、、。

江戸末期から明治にかけて日本にやって来た1万人近い外国人たちの
その技術や知識が日本の文明開化の大きな原動力になっていたことは確かです。
調べれば調べるほど、彼らの持っていた信念や理想には敬服です。

ただ、漠然として日本に行きたい、と思っていたのではなく
その持っている力を日本のために役立てようと考えていたのです。
何をしたいか、というより、何ができるか、それがどう役に立つか、ということを
外国人たちは考えていたのではないでしょうか。

多くの御雇い外国人は熱心に日本語や日本の習慣を学びました。
しかし彼らにとって語学は伝達の手段であって、本当に伝えたかったのは
その技術や知識なのです。

そんなこんなで『御雇い外国人』について、熱く思いを語る私に
A学院のB先生がA学院の資料室からウイリアムズ・チャニング(立教大学の創設者)に関する
文献を持って来てくださいました。

小冊子ですが、ウィリアムズ・チャニングがどのように日本で過ごしていたかが
エピソードと一緒に書かれていて、読んでいて本当におもしろいのです。

日本に着たばかりの時、長崎でウィリアムズは
幕府の役人、武士、医師、僧侶などに英語や世界情勢を教えていたということです。
ウィリアムズ・チャニングの学生の中には佐賀藩士で討幕運動に係わり、
東京専門学校(のちの早稲田大学)を創設した大隈重信や
日本の郵便制度を作った前島密もいたそうです。


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さて、
明日は休日です。もし天気がよいようだったら、築地の居留地跡に行ってみようかな~、
と思っています。
私の住んでいる品川からは30分の距離です。
そしてもうひとつの居留地があった横浜までも30分の距離。
趣味にはもってこいの場所に住んでいるって、偶然にしても嬉しくなりました。



写真は築地近くの浜離宮恩賜公園