最近、お散歩で見かけないなぁって思ってたワンコさんがいた。
どの犬にも人にも冷静な対応でマイペース。
お行儀もよいので、飼い主さんはノーリードでお散歩してた。
(あ、お行儀がよくてもノーリードでお散歩してはだめですよ)
先日お散歩で会った、このワンコさんとご近所の犬友飼い主さんから聞いた。
てんかんの持病を持っていたそうで、それがものすごくひどくなり、
安楽死させたということだった。
ゆうらさんと同い年。6才でした。
ミュウさんがまだ若い頃、病院でミュウさんの主治医に突然訊ねられたことがあった。
「今日、うちの若い先生たちと安楽死について話すことがあったんだけど。
若い先生たちは安楽死には反対でね。できる気限り力を尽くす。
それが動物のため、飼い主さんのためでもあるっていうんだけど。
僕は安楽死はありだと思ってる。
尊厳をもって送りだすことでもあると思うんだよね。
ミュウママさんはどう思う?」
動けず、食べられず、排泄も自分でできず。意識もなく、もどるこはもう無理。呼吸も苦しそう。
治療方法ももうなにもない、獣医さんがなす術も何もない。
生きているのはただ苦しいだけ。
そういう状況ならばありなのかな。でも自分の犬にする勇気はないと答えたこと覚えている。
私が大学病院に勤めているとき、終末期のがん患者さんが。
意識がもどることはもうないだろうの状態で、たくさんの機材につながれて。
呼吸機の力で息をしている。
それでもご家族が生きててほしいと望んでいるから、生かされている。
もう解放してあげてほしいなって、見ていて何度思ったことか。
でもね、ご家族の気持ちもわかる。
愛するもの、失いたくないものね。
安楽死。
むずかしい問題。
もしゆうらがそういう状況になったとしたら。
私は決断できないと思う。
わかってはいるけど。
・・・やっぱりできないかな。
つらい、苦しい別れにならないように。
日々、ゆうらさんのこと、気にかけて。
治療できるものはちゃんとして。
苦しいときはいたわって。
自然に全うできるようにしてあげたい。
努力する。
昨年の今ごろから、ゆうらさんの胃腸の不調が始まりました。
私はあの日々がトラウマになっていて。
またなってしまうんじゃないか、とドキドキしたりしています。
本当に地獄のような日々だったから。
どうか、どうか。
寒い冬を無事に乗り越えて、明るい春がきますように。
そして。
なつちゃん、安らかに。
痙攣を繰り返し、それでも必死に生きようとしてた。
真夜中になり、その姿にやりきれなくなった私は、主治医に安楽死を頼んだの。
当直だった若い主治医は、生きようとしてる子の命を最後まで見守って欲しいと。
はっと我に返り、安楽死を考えた自分に深く後悔して。
息を引き取るまで見守って天国へ送ってあげたけれど、今もどちらがよかったのか、答えはでないよ。
どちらも間違いじゃないと思う。
人間も同じよね。
そんなことがあったんだね。
これは難しい問題。
ましてや物言えぬ動物。
本当はどうしてほしいのかって聞けないし。
私は安楽死を否定するわけではないの。
それが必要なこともあると思う。
けど。
自分の子にする勇気が今はない。
そうしなくていいように。
毎日大切に。
守ってあげるようにしたいな。
あっ、まずは。
なつさん、どうぞ安らかに。
ゆっくり休んでくださいね。
ご家族の方もどうぞご自愛ください。
安楽死。
ワタクシは選択に迫られても選ぶ勇気が無いかな。
たとえそれがワンコの精神、肉体にとって最善の方法だったとしても。
っていうか、最善の方法が何かなんて飼い主にはわからないのかも。
ただ、最後の瞬間は手の中で眠ってほしい。
飼い主がエゴかもしれないですけど。
そうだよね、最善の方法とか。
正しかったのかどうかなんて。
いつまでたってもわからないよね。
だからこそ。
ちゃんと最後まで守ってあげて。
見送ってあげたいと思う。
私の知り合いは高齢の癌末期ネコに「安楽死」の選択をしました。医者からも「これ以上の治療はネコにとっては苦痛だけですよ。充分に看てあげたのですから・・・」と言われたそうです。
その事をご主人に「お前はネコを安楽死させた!」と後々、言われ、非常に傷つきました。
未だに尾を引いているようで「アイツの時はサッサと安楽死させてやる・・・」と呟いています。
どちらが良いか、悪いかは他人も本人も正解を出すことができないと思います。
ベッキー、一緒に過ごせる時間を大事にしようね。
高齢で末期で、治療が苦痛でしかないのなら。
解放してあげるために必要なのでしょうね。
それでも決断するのは苦しいよね。
ご主人にそんなふうに責められちゃうのも、傷つくね。
家族みんなの問題なのに。
ほんとうに。
一緒にいる時間を大切にしましょ。