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Retro-gaming and so on

このシリーズが面白い。

面白い、っつーか懐かしのネタを連載してるブログがある。

今、昭和のおもちゃの特集をしてるが、

「ああ、あったあったそんなの」

みたいに懐かしさで満載になってる。

さて、今回はここで取り上げられているトミーのぴゅう太について。
全然持ってなかったし触った事もねぇんだけど、当時のガキに対しては憧れのマシンだった。
1982年に発売になったこのパソコン。当時、発表と同時に少年サンデーだかマガジンとかで一斉に裏表紙にガーッと広告が載ったんだよな。
うわ、すげぇ、とか思って。

当時はパソコンの黎明期で、NECがPC-6001とか、既に出してて(ちょっと後に富士通がFM-7を出す)。それなりの層にアピールしていた。
が。
9801なんかもそうなんだけど、筐体デザインとか面白みがねぇんだよ。NECのマシンって無骨だし、富士通もそうだったの。
なんかキャッチーじゃなくってね。

NEC PC-6001。子供には渋すぎる色合い。ハッキリ言って「ウンコ色」だ(笑)。
ジジィが着る半纏みたいな色合いは子供心にはアピールしづらい。

Appleみたいに「デザイン優先」ってのも困ったモンなんだけど、NECも富士通もデザインセンス、っつーか遊び心がない。
そんな中でぴゅう太は、ネーミング共に「可愛さ」っつーか「お茶目さ」を前面に出してきた初のパソコンだった・・・・・・諸外国合わせても(それこそAppleを含めても)初のケースじゃね?
当然子供心は鷲掴みになる。

「これ欲しい!」

とかなるわなぁ。
まぁ、その願いは叶わんかったけどな。

大体、当時、8bit機が黎明期を支えてたんだけど、いきなりの16bit機だぜ?性能的には当然ダンチになる。

この前には内蔵式のコンソールのブームがまずある。この時期だとエポック社とかがそのテのマシンを出してて、「家庭でインベーダーが出来る!」とか言ってたんだけど、あまりにもゲーセンのそれとは違ってて、イマイチ僕自身には響かなかった。

当時はインベーダーブームからちょっと経った辺りだったんだけど、

  • インベーダーが一列しか表示されない。
  • 一ピクセルがやたらデカい。
  • インベーダーを撃つと後退していく。
ってんで、カラーはカラーだったんだけど「ダサッ!」とか思ってた(笑)。
今じゃ大したゲームだとは思われてないんだけど、それくらいアーケードの「スペースインベーダー」を家庭用に持ち込むには大変だったんだ・・・あれでも当時では「最先端のハードウェア」だったんだよな。
反面「家庭用で扱える」集積回路なんてまだまだショボかったのだ。

多分この時期だと、「テレビに繋げて遊ぶ」テレビゲームは、子供の関心は買ったは買ったけど、イマイチ食指が動かない、ってカンジだったんじゃないか。
そしてその後、LSIゲームのブームが起こる。任天堂がゲーム&ウォッチで株価大上昇をはじめたのもこの時期だ。
「LSIゲーム」の類はそれ以前の「テレビ接続型」のコンソールタイプに比べるとアーケードゲームの再現度が高かった。いやマジで。しかも携帯出来て、学校にも持っていける(笑)。
当時は小学校とかで、「LSIゲーム持ち込み禁止」とか大騒ぎになってたくらいブームだったんだよ(笑)。パックマンのクローン品とか各社出してて、違うバージョンをガキどもが持ち込んできて貸し合ったりしてその「違い」なんかも楽しんでたくらいだ(ちなみに、この時期の学研は凄かった・・・LSIゲームに参入してたんだ)。

さて、なんだかんだで、おもちゃ会社は「これからはエレクトロニクス玩具の時代が来る」と思ったらしい。
ただ、NECや富士通が「ゲームも遊べるパソコン」を出してた関連で、「テレビゲームが中心にはなる」とは読んでたんだけど、果たして、以前の「ゲームだけがプレイ出来るコンソールタイプ」のおもちゃが将来性があるのか、そうじゃなくって「パソコンスタイル」が将来性があるのか、イマイチ読みきれてなかったんだよな。
ここで言っておくと、当時はNECや富士通、シャープとかがパソコンを作り始めてて「黎明期」ではあるんだけど、かと言って市場を制圧する、って程台数が売れてるわけでもない。
言い換えると、子供の支持を受ければおもちゃ会社がパソコン市場を一気に制圧出来る、ってヴィジョンがあったわけ。今じゃ信じられないだろうけど。
んで、各社悩んでる間に「最先端の16bit CPUを積んだパソコン」を設計して、先陣切って乗り込んできたのが、トミーなんだわ。
トミーはミニカーで有名なメーカーでしょ?で、そういう主力商品があって、ぶっちゃけ、このテの商品作る、とか誰も思ってなかったと思う。しかもLSIゲームブームでも何台か出してるんだけど、ぶっちゃけ殆どブーム終焉期にやっとこさ重い腰を上げて参入、って印象だったんで、正直、バンダイに比べてもエレクトロニクスに強い、って印象がなかった。
そんな中でいきなりデビューした「最先端16bitマシン」のぴゅう太は衝撃的だったんだよ。


16ビットで16色、ってワケじゃないんだけど、当時の状況で16色も出せる、なんつーのは破格の性能だ(Apple IIとかでもインチキで8色が限界・笑)。少なくとも標準的なクーピーペンシルくらいの配色は可能だった、ってこった(笑)。
とにかく(当時のレベルでは)「グラフィックに強い」。そのスペックだけでもPC-6001とかFM-7のスペックを凌駕してるんだ。
それで6万円しねぇ、ってぇんだから、おもちゃとしては高額なんだけど、同時期のパソコンに比べるとトミーは「凄く頑張った」って事だな。

まぁ、歴史の言う通り、結局この後、任天堂がファミコンを出す事で結果消えてしまうんだけど、カタログスペック的には同時発色数ではファミコンを上回ってるんだよな。

なお、パソコンとしてデビューした、ってのもあって、あんまりソフトもない。
ただ、有名なゲームとしては以前紹介したフロッガーなんかが移植されていて、これがぴゅう太の代表的なゲームになるんじゃないか。Apple II版に比べると「メチャクチャ綺麗」で、ゲームセンターあらし的な「フロッガー」になってると思う。


Apple IIとのスペックの差をその目で確かめて欲しい。

なお、この後に、「トミーに続け!」とばかり、タカラがその名も「ゲームパソコン」と言うのを発売して、そしてファミコンが出るまでコンソール市場での争いが勃発するのである。マル。
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