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Retro-gaming and so on

CRPG黎明期の歴史

以前チラッと書いた事があるんだけど、もう一回まとめておこう、ってんでこの記事を書く。
最初に大前提から。

ビデオゲームの歴史、ってのは大まかに言うと2つの潮流がある。
一つはATARIのComputer SpaceやPONGから始まったアーケードゲーム、と言う潮流。

ATARIが作ったPONG!(左・1972年)とComputer Space(右・1971年)の筐体

もう一つは、「コンピュータサイエンス」をある程度バックグラウンドにした「ミニコンで始まった暇つぶし用のゲーム」制作の歴史。
どちらもルーツはある意味、世界初のLisp実装者である、スティーヴ・ラッセル率いたMITのプログラマ陣が大学での展示用に作ったSpace War!なんだけど、早い時点(1970年代)でこの2つに分かれて、それぞれの潮流の中で独自進化していくわけだ。

Space War!(1962年)

そして、後者はある程度「アカデミックなバックグラウンドがある」が故にノウハウは共有されていくんだけど(と言うか、逆に「アカデミックなバックグラウンド」があるからこそノウハウが共有された、と言うべきか)、前者の場合、「ノウハウ」はある意味「飯の種」である為、あるゲームを開発した際の「ノウハウ」ってのは長い間(そして今でも?)「社外秘」って事になってくわけだ。それを開発したプログラマさえ「公開」せず、会社内での「秘密事項」になっていくわけだ。
前者はシューティングゲーム、アクションゲーム、等「100円で遊べて短時間で終了してしまう」(インカムの為)と言う進化になっていき、また総体的なノウハウもこれ、ってカンジで現時点ではあるわけではないので、言っちゃえばこっちを実装するのは結構難しい。
反面、後者の場合は、そういう「インカム縛り」が基本ない。そしてアクション性が(今は必ずしもそうじゃないけど)低い、あるいは低かった、と言う特徴がある。そして原則、コンピュータの前に陣取って「考え続けては入力する」と言う思考型ゲームのルーツ、になってくわけだ。

前にも書いたけど、アドベンチャーゲームと言うのは後者のゲームの代表格だ。
そしてもう一つ、CRPG(コンピュータ・ロールプレイング・ゲーム)と言うのも後者の「コンピュータ・サイエンス的な」ゲームの代表格だ。CRPGと言うジャンルはパソコン登場以前、大学のメインフレーム文化の一つとして登場する。
これにはいくつか要素があるんだけど、かいつまんで説明してみよう。

ちなみに、良くリファレンスとして出している電視遊戯大全と言う本。
これは1988年に出た本で、当時までのビデオゲームの総まとめ、としては非常に良く出来てる本ではあるんだけど、いくつか間違いがある。
最大の間違いは、ローグと言うゲームを1975年製、として、あたかも「世界初のCRPG」にしてしまった辺りだ。実際はローグの登場は1980年で、Wizardryより1年早いが、同種のゲーム、Beneath Apple Manorより2年も登場が遅い(つまり、Beneath Apple Manorはローグより登場が早いローグライク、となる)。

Beneath Apple Manor(1978年・Apple II)。いわゆるハック・アンド・スラッシュで、迷路も自動生成され、ローグとコンセプト的には殆ど同種のゲームだ・・・しかもこっちはグラフィックスアリ、だ。

なんでこんな間違いが起きたんだろう。理由は1975年に「ローグっぽいゲーム」が既に出ていたからだ。つまり「ローグじゃないローグっぽいゲームをローグと誤認した」ってのがこの「間違い」を生んだ原因だ。
1988年と言えば今みたいにインターネットが普及してないんで、真偽を確認するのが容易ではなかったんだろう。そしてもう一つは、この「ローグじゃないローグっぽいゲーム」が動いてたプラットフォームの事を殆どの日本人が知らなかった、と言う事だ。尖った人達はUNIXの存在を知ってたが、それ以外のメインフレームの状況、なんつーのは殆どの日本人の意識の外にあったんだ。
このメインフレームのシステムをPLATOと言う。PC文化はアーケードゲームの文化を取り入れたんだけど、もう一つはこのPLATOで育った文化を取り入れて、言わば、70年代の黎明期のビデオゲームの二大潮流は80年代に入ってパソコン上で融合する事となる。

さて、このPLATOと言うシステム。色々とオーパーツみてぇな製品だ(笑)。
登場は1960年代なんだけど、これは元々「汎用のコンピュータシステム」として設計されたワケじゃなくって、「教育用」を目論んだコンピュータシステムだ。しかもインターネットが存在しない時代にネットワークが組める、と言うとんでもない機能をまずは持っていた。
もちろん「教育用」なんで、一般家庭に入り込む事を目的として開発されてはいない。ただし、アメリカの大学でPLATOを購入した大学同士でネットワークを組めるようになってたんだな。
もう一つ特筆すべきは、グラフィックを扱える能力があったんだよ。1960年代に作られた機械の割には1024x1024の解像度を誇るグラフィック端末を扱える事が出来た。70年代から80年代にかけて、1024x1024と言う高解像度のグラフィックを扱えるとか、(単色ではあるけれでも)破格の性能を持っていた、ってのが分かるんじゃないだろうか。


この高性能システムは、恐らく日本には入ってきてないんだ。多分日本で買えば(贅沢税の絡みもあって)メチャクチャ高かったんだろう。だから日本の大学でメインフレームを買えるような大学でも、「文字だらけの端末をやっとこさ扱える」ブツくらいしか買えなかったんだと思う。
だから特に日本人はPLATOの存在を知らない、わけだ。

さて、この「他のミニコン」じゃ考えられないような「グラフィックスを扱える」システム。
要は大学でこれに触ったハッカーの卵達は、「これを使えばグラフィカルなゲームを簡単に作れるんじゃね?」と刺激されるわけだな(笑)。もう眼の前に「遊べるおもちゃ」があるわけだ。
ところで最初のD&Dが登場したのは1974年の頃。そして驚く事に、翌年の1975年から、PLATO上でD&Dを移植しよう、と頑張ったプログラムがチラホラと現れるんだ(笑・※1)。これがCRPGのルーツだ。
ちなみに、当然、大学内での「同人活動」なわけで、TSRからの版権許諾なんかはしていない(笑)。
しかしビックリすると思う。D&Dが発売された翌年には「D&Dらしきモノが動いてた」と言う事に。
一つは「グラフィック端末が扱える」と言う事が凄く魅力があった、って事だろうし、また、「尖った学生達」は、(当時)新発売だったD&D、翻っては「RPG」と言うゲームの可能性に心を奪われた、って事だ。
ただ、この時期、PLATOでかなりたくさんのゲームが作られてる筈なんだけど、消されたブツも多いわけだよ(笑)。大学のコンピュータな以上管理者がいる。管理者がいる以上「こんなおもちゃを作るなんて!」ってぇんで学生が作ったプログラムを消去するわけだよな(笑)。この「作る側」と「消す側」のイタチごっこがあって、そんなわけで現存してるゲームはかなり限られるわけだ。
幸い、PLATOにはネットワークがあったお陰で、「こりゃヤバい、保存しておかなきゃ」と言う有志が辛うじてPLATOで動いてたゲームを保護してくれたわけだ。

さて、そういう「辛うじて消去を免れた」、D&Dエピゴーネンにpedit5(1975年)と言うプログラムがある。これが現存する最古のCRPG、と言われている(※2)。

Pedit5

なんで最古のCRPGを紹介しようとしてるのか。
それは歴史的観点から言うと、ビデオゲームも「実装しやすいと思われる簡単なモノから実装されていってる」からだ。
例えば「RPGをプログラムしたい」と思ったとする。いきなり現在のFFやらドラクエを目指してプログラムしようとすると、まぁ大体破綻するよな(笑)。
んで、歴史的に見ると、やっぱ「簡単に実現出来そうな範囲」からプログラムはスタートして、そして「複雑化していってる」って事なんだよ。
よって、もしCRPGを作りたい、のなら、まずは歴史的に最初に現れたようなブツがどういう仕様だったのか調べるのは良い事だ、と思うんだ。そこからスタートしてノウハウを溜めて行った方が結果「効率的」だと思う。
pedit5の目論見はザーッと見ると、

  • 著者はD&Dのキャラメイクを簡易化したモノをやりたかった。
  • そして戦闘を実装したかった。
  • ただし、面倒なんでパーティ制ではなく一人でダンジョンに挑むゲーム。
  • 見下ろし型の2Dタイプのゲームになっている。
  • 迷路も面倒なんで一階層しかない(かつ固定だ)。
  • ゲームの目的は迷路踏破で、モンスターを倒して宝箱を得ること。
  • 言わば一種の迷路ゲーになっている。
と言う事。D&Dの特徴をいくつかピックアップして、「実装出来そうなトコ」に絞ってるのが分かるだろう。
また、このゲームの特徴はある程度ローグと共通してて、結果として恐らく、電視遊戯大全なんかで「ローグと誤認」されたのはこのゲームなんじゃないか、と思われる。

次に出てくる有名なのが(※3)、その名もDnD(1976年)だ。明らかにD&Dを模した名前を付けている。



このゲームはpedit5と同じようなゲームなんだけど、いくつか改良点がある。

  • 潜るダンジョンが多階層になった(Pedit5は1階層しかなかった)。
  • よりD&Dの「キャラメイキング」に準じる事になった。
  • 「中ボス/ボス」の概念が出て来た(Pedit5はモンスターとエンカウントするだけで、要は雑魚しかいなかった)。
相変わらずパーティ戦じゃないんだけど、よりキャラメイキングは複雑化して、ダンジョンも複雑化したわけだ。

大体、総初期のCRPGだと結論から言うと、

  • D&Dのキャラメイクを実装したい。
  • 敵とコンバットしたい。
  • 見下ろし型の2Dダンジョンを踏破したい。
と言うカンジで実装されてる。D&Dの全部を持ってこれなくても「それっぽく」出来ればいいな、と。そしてそれがローグライクゲームの雛形となる。

なお、1975年頃から始まったもう一つの潮流が、Wizardryで良くあるような3Dダンジョンを踏破しよう、と言うゲームだ。ただ、これらは資料を漁っても「いつ頃何が登場したのか」ってのはハッキリしない。
ただし、D&Dを実装しよう、と言う一つの流れではある。
もう一つ特筆すべきは、この3D版ゲーム、ってのは大まかに言うと、「パーティプレイ」を前提としてるんだけど、その「パーティ」は実際に、PLATOが形成するネットワークでプレイヤー達を募って行うゲームだった、と言う事。
そう、3D型のCRPGは今で言うMMORPGとしてスタートしてるんだ。

Moria。恐らく1976年頃に登場してる。最初期ヴァージョン(1975年登場?)は2Dだったらしいが、後に3Dに書き直されてる

Moriaの特筆すべき点は、上にも書いた通り、MMORPGだった、と言うこと。1パーティの人数は何と最大10名(笑)。つまり、ログインしてる人数が10人だったらそれでパーティを組んで行動出来、またチャットシステムを完備していて、パーティメンバー同士で話が出来るようなシステムを採用していた。
すげぇだろ(笑)?1970年代だぜ(笑)?
もう一つ特徴的なのは、このゲームで初めて自動ダンジョン生成システムが採用された辺り。トルネコみてぇなローグライクの最大の特徴、自動ダンジョン生成システムは、2Dのゲームよか3Dのゲームの方に先に実装されたわけだ。
そしてMoria登場の翌年辺り(1977年)に以前書いたOublietteが登場する。Moria〜Oublietteの流れで感銘を受けた、当時大学生だったアンドリュー・グリーンバーグとロバート・ウッドヘッドの2人はそれぞれ、同年発売された初のオールインパソコン、Apple IIでこれらPLATO上で動いてた3D MMORPGのある意味ダウングレード・ヴァージョンを作成しようとして、それが後のWizardry(1981年)になるわけだ。
そう、そしてこの年に発売されたApple IIに、この「PLATO下で育った文化」が流れ込んできて、PC上のCRPG文化が花開いていくわけだ。

こう見てくると、先にも書いた通り、「D&Dと言うゲームに触発されて」CRPGってのは登場してるわけだけど、徐々に発展してきてるのが分かると思う。
「いきなりD&Dを全部」実装しようとするんではなくって、全体的には「徐々に」機能が追加されてるんだよな。
それで、当初のD&Dのゲームの一番の楽しみは「作ったキャラで」「モンスターと戦い」「迷路を踏破する」と。その一番みんなが「面白い」って思った部分を抽出してゲームに落とし込んでて、言っちゃえば「その他の要素」ってのをかなりバッサリ切った上でまずは実装作が出来て、徐々に「D&Dの要素を肉付けして」しっかりしてきてる、と言う事。
また、シナリオ自体は実はそんなに重要視されてなかった、って事も分かると思う。ホントハック・アンド・スラッシュなんだよな。

なお、他のトコにも書いたけど、こう「CRPGの大きな流れ」はPLATO文化圏で育ってきてて、同時にD&Dの影響が物凄く大きいんだけど、そういう流れで見てみると、実はやっぱウルティマってのは相当異端なんだよな(笑)。一見D&Dっぽい、って思わせておいてシステムは全然違うし、いきなり世界を旅するようなゲームになってる辺り、確かにリチャード・ギャリオットって人は着眼点も違うし、ある種天才だったんだな、って事は分かると思う。
でもD&D文化圏じゃない、ってトコだけ取り出しても、ウルティマってのはむしろ「異端の」ゲームではあるんだよ。

なお、気付いたと思うけど、「2Dの"自動迷路生成器"付きのダンジョンクロールを初めて実装した」のは、現時点で確認出来る限り、1978年発売のApple II用ソフトウェア「Beneath Apple Manor」だった、って事が言えるんじゃないか。

※1: 最初にPLATO上で現れたD&D「移植作」は「m199h」と言うゲームだった「らしい」。が、これは現存してなく、どっちかと言うと今で言うRPGと言うよりむしろテキスト中心のアドベンチャーゲーム寄りだった、らしい。

※2: ヘンな名前だが、これはPLATOでのWorkspace(Linuxで言うHOMEみたいなモン?)での番号名だ。
と言うのも、「ゲームだとバレないように」Workspace名を付けたらしい。
要は管理者からの消去対策だった。

※3: 件の「管理者による削除」のせいで、これが本当に2番目に登場したPLATO上でのCRPGかどうかは分からない。
また、この時期、このテのソフトウェア自体が「同人」で「誰でもソースコードが読める」状態であり、当然「改造して派生作にする」と言うのも数多く行われていた。
結果、「現存するヴァージョン」がオリジナルヴァージョンだ、と言う保証も実はないんだ。
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