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Retro-gaming and so on

一種のベンチマークとしてのアーケードゲーム移植

今じゃ信じられないかもしれないけど、かつてはアーケードゲーム機と言うのは「最先端ハードウェア」の塊であって、そいつを自宅で心置きなくプレイ出来る、ってのは垂涎の的だった。
家庭用ゲーム機やパソコンが登場してから、アーケードゲームがそれらに移植可能か、プレイ可能か、と言うのがそのゲーム機/パソコンの「性能」の分かりやすい指標だった。
今だと「コモディティ化」とか言って、パソコンのパーツとアーケードゲーム機のハードウェアってそんなに差が無くなっちゃったんでピンと来ないかもしれないけどね。
しかし、かつては確かにそうだった。そしていくつか大きなターニングポイントが存在する。


まずはナムコのギャラクシアン(1979年)。
前年に発表されたスペースインベーダーはさておき、こいつを黎明期のパソコンやゲーム機に移植するのは並大抵ではなかった。何故なら、少なくとも日本のゲームとしては初めて「スプライト」と言う技術が使われたゲームであり、と言う事はスプライトを持たないパソコンなんかでは「再現不可能」とされていたからだ。
ところが、アーケード版ギャラクシアンリリースから2年後の1981年。Apple II向けにAlien Typhoonと言うギャラクシアンのクローンゲームがリリースされる。こいつはギャラクシアンのクローンゲームとしては珠玉の出来で、しかもこいつを作ったのは、トニースズキ、と名乗る日本人プログラマだった。ざんすざんすさいざんす。


誤解を畏れずに言うと、こいつがApple II人気を決定づけた、と言って過言ではない・・・いや、これ以前に「登場したと同時にカラーが扱える」Apple IIは既に人気はあったんだけどね(ほぼ同時に登場したCommodore PETやTRS-80はカラーではなかったし、誰も特殊画像回路無しでカラーが実現可能だなんて想像してなかった)。ただ、さすがにギャラクシアンが移植可能だ、とか誰も思ってなかったのだ。
大体、当時の「ゲーム専用機」であった、ATARI 2600のギャラクシアンはこの程度である。


Alien Typhoonの二年後、正規ライセンス品でこれだぜ?
実はこの前年、ATARIは2600の上位機種、5200を投入して、それ用にギャラクシアンを移植していて、それはこれよりもマシな移植である。しかし、どの道、ギャラクシアンは「より上位のハードウェアじゃないと動かせない筈の」ゲームだったのだ。
しかし、Apple IIの画像回路はぶっちゃけ、大した事が無い筈なのに、Alien Typhoonはギャラクシアンをかなり忠実にクローニングしてる。恐るべきはトニースズキのプログラミングテクニックなのか、それともApple IIの隠されたポテンシャルなのか。
いずれにせよ、「Apple IIスゲー」って評価はこのたった一本のゲームの移植によって決定的なモノになったのである。



次に一種ベンチマーク化したのはご存知、ドンキーコング(1981年)である。
これはファミコン世代より後だとあんまピンと来ないかもしれない。何せクラシック過ぎるわ、ファミコンの「基準」として最初にリリースされたゲームであるわ、当たり前の存在過ぎて、そんなにハードウェアに負荷がかかるのか、良く分からないと思う。
しかし、1981年のアーケードゲーム自体が次のようなレベルなのだよ。

ギャラガ(ナムコ):

クラッシュローラー(アルファ電子):

スクランブル(コナミ):


005(セガ):

グランドチャンピオン(タイトー):

この年のアーケードゲームって全般的にやっとこさ「カラフル」って言えるようになってきた。前年度のルパン三世に比べると「何が描かれてるのか」分かるしな。

ルパン三世(タイトー):


ルパン三世とか今見ると「どこがルパンやねん!」なんだけどな(笑)。
しかし、1981年の殆どのゲームは、全体的には「ルパン三世」よりマシになってるけど、ドンキーコングのように「キャラ性が引き立ってて」「アニメーションが滑らかで」「そこそこ大きなスプライトが動く」トコまで行ってないのよね(しかも、記憶が確かなら、ドンキーコングが初めて「面」を持ち、ずーっと同じ面をループしないゲームだったと思う)。ドンキーコングは1981年のゲームではアタマ1つ抜けてて、実際、当時のゲームセンターの一押しはドンキーコングだったのね。ゲーム性と共にすげぇブレイクスルーだった。

さて、ファミコン開発に於いて非常に重要だったのは、「ドンキーコングを動かせるかどうか」だったらしい。しかもドンキーコングのデビューから比較的すぐに開発が始まったらしい。実はそれを考えると、発売まで2年くらいかかってるのがファミリーコンピュータなのだ。
1981年のアーケードゲームを、すぐ家庭用に移植出来るようなスペックに、と言うのは、今までの経緯から見ると「1981年での最先端ハードを如何に安価にして機械に詰め込むか」考えるに等しい。言わば無理ゲーなんだよな。
ただ、この考え方は結局功を成す。この後、優れたハードウェアは全て、具体的に「何を実現させたいのか」明確にして設計されてるのだ。例えば怪物マシン、Commodore Amigaは、設計者が「どうしてもパーソナル環境でフライトシミュレータを遊びたい」と言うこだわりでグラフィックチップ等の設計を行ってる。結果、当時としてはアタマ1つ飛び抜ける性能をコストを減らしながら実現出来たわけだ。
反面、セガにはこれが無かった。セガがSC-3000とかSG-1000の企画を進める際、「安く製造する」事だけに拘って、「何を動かすか」は全く考えてなかったらしい。実はメガドラもそうだ。あれだけアーケードゲームを作っていても「何がしたいか」明確じゃないセガの家庭用マシンは、企画段階から「負けて当然」だったと言える。
いずれにせよ、YouTubeなんか見ればドンキーコングの移植作の比較動画なんかが観れる。それを観れば、ファミコンの性能がアタマ1つ抜けてる事が分かると思う。ファミコンはドンキーコングをベンチマーク的に利用し、それを実現出来るように設計されてたから、当時は素晴らしいマシンになったのである。



さて、90年代に入って3D時代に入る前。最後にベンチマーク的に活用されたのは、何つってもコナミのグラディウスだろう。家庭用ゲーム機にもスプライトが搭載されてから久しいが、使ってる数が違う。まさにアーケードゲームならではの贅沢なスプライトの使用量。そしてこれが恐らく「ドンキーコングを再現出来た」ファミコンが初めて悲鳴をあげたゲームなんじゃないか。1983年に発売されたファミコンはぶっちゃけ、1985年に初めてその限界を見せる事となったわけだ。グラディウスはアーケード登場1年後の1986年にファミコンに移植されたが、ハッキリ言ってアーケードのダウングレード版だった。そしてそのままだとファミコンは性能の限界により終焉を迎えてただろう。
ファミコンにとってラッキーだったのは、1986年から始まったRPGブームだ。ドラクエの登場以降、RPGがゲームのジャンルとしては一番人気となったお陰で、「アーケードゲームの再現性では既に限界が見えた」ファミコンでも何とか対応可能になったのである。と言うのもRPGにはアクション性が皆無だから、画像処理の限界は問題にならない。まさに「運を天に任せる」任天堂ならではのLuckである。
ただし、アーケードゲームファンで、アーケードゲームを自宅でプレイしたい、と言う古来からいるディープなゲームファンは、コッソリとファミコン離れを起こし始め、「新しいプラットフォーム」を探し始めるのである。

この時期から以降だと「グラディウスを再現出来るマシン」が良いマシンだ、と思われていた。これに挑戦して実現したマシンが2つある。1つはSHARPが開発・販売した化物マシン、X68000、そしてもう一つがPCエンジンである。

まず、SHARP X68000。この機械自体はグラディウスの二年後に発売になったマシンであるが。ファミコンで無理だったグラディウスは家庭用マシンだと無理でしょ、ってのが当時の常識であり、実現にこぎつけたのに二年もかかったのは別に不思議でも何でもない。っつーか、当時はまだ、今に比べるとゆったりとした時間が流れてたのかもしれん(笑)。
そんな中、X68000が「グラディウス完全移植」を試みたのだ・・・まあ、実は完全でもねぇんだが、いずれにせよ、X68000の付属ソフトとしてグラディウスはバンドルされ、X68000のポテンシャルを見せつけるのである。目の付け所がシャープでしょ(謎


X68000はこうやって「アーケードゲームを移植しても難なくクオリティを再現してしまう」モンスターマシンとして、一部のコアなゲーマーに圧倒的な支持を受ける・・・ただし、高すぎたんだよな。ゲーム機としては破格の値段。
本体だけで約40万円。ファミコンの27倍くらいの値段である。そりゃファミコンより27倍くらい性能が良くないと困るわなぁ・・・いや、実際27倍なのかどうかは知らんが。


いずれにせよ、殆どの人にとって手が出ないマシンだったのは事実であり、X68000を持ってる、ってのは金持ってる好事家だと相場が決まっていた(だからこそ市場が無くなっていったわけだが)。
そして相変わらずグラディウスは家庭用ゲーム機だと「幻の」シューティングゲームだったのだ(もちろん、殆どの人はダウングレードであるファミコン版で溜飲を下げてたけどな)。

ところで。
PCエンジンの開発に関わってたハドソンはコナミに吸収され、今はその権利はコナミが握っている。
しかしながら、実はコナミがPCエンジンそのものに参加したのは登場から結構遅く、1991年になってから、だったのだ。
そしてその参入第一弾ソフトだったのが、やっぱりグラディウスだったんだな。そして、ここで初めて、家庭用ゲーム機として殆ど完全版のグラディウスがお披露目される事となる。


グラディウスは1985年のアーケードゲームで、PCエンジンの登場は1987年。コナミが当初サードパーティとして参加しなかっただけで、PCエンジンのポテンシャルは登場時に既にグラディウスが実装可能なハードウェアだった、と言う事だ。
つまり、仮にコナミがPCエンジン発売時にサードパーティとして参加してたら、SHARPに40万円払わなくてもその16分の1の値段で家庭でグラディウスを遊べたのだ・・・・・・。何ともはや、である。X68000がやっぱり法外に高すぎたのかPCエンジンのコストパフォーマンスが異常だったのか。
まぁ、今更こんな計算してもしょーがねぇんだけど、どうしても「ご愁傷さま」とか思ってしまうのは避けられない(苦笑)。

とまぁ、こういうカンジで、90年代前半辺りまで、アーケードゲームがハードウェアをリードし、家庭用ゲーム機ないしはパソコンがそれを追いかける、と言う構図が続いてたのである。

ちなみに余談だけど、実はシューティングゲームがヘタクソです。何だかんだ書いたけど、グラディウスなんて難しくて最後まで行きません(じゃあ何で知ってるのか、っつーと当時周りに居たヤツらがグラディウスに夢中だったから、だ)。
個人的にはもうちょっとヌルいパロディウスの方が好きでした。スーファミなんかじゃ、シューティング苦手な割には、珍しく夢中になってやってましたね。


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