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Retro-gaming and so on

獄門島

星田さんの記事を見て爆笑してたワタシwwww
そこで挙げられてる映画を全部観たワケじゃあないんだけど、かなり趣味が被っていて笑っていたのだ(笑)。

特に、ベスト10の中にダリオ・アルジェント作品が挙げられてるのに驚いていた。
実はDEMONSだけは未見だったんだけど、ダリオ・アルジェントは僕が大好きな監督の1人なんだよね。
ホラーマニアとかなら知ってる人も多いんだろうけど、一般的知名度はどうなんだかは知らない。でも、作品としては「決してひとりでは見ないでください」のキャッチコピーで有名な、「サスペリア」そして「サスペリア2」を撮ったイタリア人監督だ。
この人の映画、って多分映画評的に言うと毎回駄作になるんだわ。でもなんつーのかな、「ハッタリが上手い」。狂ったような音響とか画面コントラストとか、そっちの「美的感覚」を楽しむような映画なんだよね。ホラーに美的感覚もクソもあんのか、って話もあるんだけど、ダリオ・アルジェントって人はそこが優れてる、って思ってる。正直、彼の撮った映画のストーリーなんざあってないようなモンだ、けど、その美的感覚で彩られたハッタリを観てるだけで充分楽しめる、と言う、ちとキワモノ染みた監督なのは間違いないと思ってる。

あとReturn of the Living Deadもいい映画だと思う。あそこまで見事にコメディーとホラーを融合させた例ってあんま無いんじゃないかな、とか思う。
1985年制作、って事でSFXが割に発達して脂ののった時期に撮られた映画で、良く出来てる、としか言いようがない。
実はこのシリーズは結構好きで、個人的には一見焼き直しに見える2とか、新規軸っぽくやってた3なんかが好き。1も面白いし原点なんだけど、オチが何だかなぁ、ってのがちょっと残念なんだ。
ちなみに、この監督、ダン・オバノンはこのテのB級映画だけじゃなく、スターウォーズやエイリアンにも関わってた人で、ある種このテのSFX映画の裏方ではスペシャリストなんだよな。

さて、ってわけで獄門島の話に行こう。
星田さんはこんな事を書いている。

僕は石坂浩二版原理主義者なので

うん。僕もそうなんだ。そして古谷一行の金田一も好きじゃない。

石坂浩二の金田一耕助の何が凄かったのか。
これがほぼ「原作準拠」のはじめての金田一耕助だったんだよな。
要するに僕らが今持ってる「金田一耕助」のイメージってのは石坂浩二が作り出した、って言って過言ではないと思う。シャーロック・ホームズに対するジェレミー・ブレットがまさしく石坂浩二なんだわ。

この辺実は未見なんだけど、元々、「金田一耕助の映画」ってのは1940年代から1960年代はじめ辺りにかけてたくさん撮られていた。
これには実は裏があって、戦前から活躍していた時代劇俳優の救済措置的な出演作だった、と言う側面があったみたい。
と言うのもGHQが、「時代劇が日本人の精神性に良くない」と言うバカな事を言い出して、暫く時代劇を撮れないように指導してたわけだな。
そこで時代劇俳優が、時代劇じゃない映画に出演せねばならん、って状態になった時、白羽の矢が立ったのが横溝正史作品なんだ。
そんなわけで、時代劇俳優のスター、片岡千恵蔵(※1)を主演として始まったシリーズが「金田一耕助」映画のシリーズ(主演はガンガン変わって、最後は高倉健が演ってる)で、実はこの時期に、後に我々の世代で有名になる「本陣殺人事件」「獄門島」「八つ墓村」「悪魔が来りて笛を吹く」「犬神家の一族」「女王蜂」「悪魔の手鞠歌」は全部映像化されている。
ただ、僕らがイメージしてるような「金田一耕助」じゃなかった。現代劇で、スーツを来た「西洋かぶれっぽい」金田一耕助がこの時期のそれだったんだ。
これじゃまるで少年探偵団を率いる明智小五郎である。

とは言っても、実は金田一耕助、ひょっとして横溝正史ファンが怒るかもしんないけど、キャラクタ的には殆どパロディと言って良かったキャラでもあるんだ。
皆知ってるだろうけど、そもそも「金田一耕助」と言う名前。これは言語学者だった金田一京助のモジリだ。
そしてその風体。僕らのイメージとしては、明智小五郎ってのは変装の名人で、スーツを着こなし、颯爽としたカッチョいい名探偵のイメージがある。天地茂のせいかもしれんが(笑)、実は元々、明智小五郎ってのは「よれよれの袴姿」で「モジャモジャの頭を掻き回すクセのある」和装の探偵だったわけ。
そう、金田一耕助ってのはまさしく、初期明智小五郎のパスティーシュだったんだよ。
横溝正史って人は恐らく、初期の明智小五郎が大好きだったんじゃないか。それで、自身が創造した探偵に初期の明智小五郎の風体を「移植」した。
元々横溝正史は江戸川乱歩の担当編集者だった事もあり、2人共仲が良かったみたいで(多分、横溝正史に、ミステリー作家への転身を薦めたのは江戸川乱歩じゃなかったのか?)、そんなのもあって「キャラの風体」の「移植」もつつがなく行われたんじゃないか。
しかし、この「明智小五郎の写し身」だった金田一耕助は、長らくその「原作通りの風体」では映画やドラマには登場しなかったのである。

1960年代に入ると横溝正史に代わって松本清張ブームが起こる。いわゆる「社会派推理小説」の台頭だ。それで横溝正史は「終わった人」扱いになって、殆ど誰もその名を聞かなくなるわけだ。横溝正史自身もこの時期、「もはや絶筆」状態だった、と回顧していると思う。
そんな中、1960年代後半、少年マガジンで「八つ墓村」の漫画版が大人気となる。これがキッカケで、70年代半ば辺りからの再び「金田一耕助映画」を撮る事がはじまるのだ。つまり、これまで、片岡千恵蔵を筆頭とした金田一耕助シリーズを観ていた「大人」じゃなく、むしろ若い世代の方に「金田一耕助」を受け入れる素地がある、と見抜いた人たちがいて、その中に後に角川書店を率いて、なおかつその後失脚する角川春樹がいたわけだ。

とは言っても、まだ「原作通りの風貌を体現化する」金田一耕助は登場しない。そして舞台も現代劇、として再構成されていた。
70年代最初に金田一耕助映画を撮ったのが、東宝が出資し、潰れたATG。ここでは中尾彰が金田一耕助を演じてる。しかもその風体はヒッピーだ(笑)。



この映画は・・・う〜ん、観ても観なくても良いかも(笑)。
っつーか、トリックはいいけど、ぶっちゃけ、現代の我々の目から見ると、殺人動機がサッパリ分からん話、だからだ。ある意味失笑対象になっちまうだろう。

そして、次の映画化が「祟りじゃ」でお馴染みの松竹版「八つ墓村」だ。これは元々角川側が松竹に持ち込んだ企画らしいが、全く仕事が進まないんで、業を煮やした角川春樹が東宝と組んで作っちまったのが「犬神家の一族」だった、と言う曰く付きの作品で、結局、そのせいで、「犬神家の一族」の方が先に公開されちまった、と言う話(笑)。
「八つ墓村」でも改変されて現代劇になっていて、金田一耕助はなんと渥美清が演じている。



なお、音楽はメチャクチャいい。作曲家が芥川也寸志なんで当然と言えば当然だろう。ホラー映画っぽい印象があるからあまり音楽に付いては語られないけど、マジにメチャクチャデキが良いスコアだと思う。
(ちなみに、「犬神家の一族」はその後、ルパン三世で有名になる大野雄二が劇伴を担当していて、またまたちなみに、「この子の七つのお祝いに」でもやっぱり大野雄二が音楽を担当してるので、この二作の劇伴はやたらクオリティが高い)。

と言うわけで、松竹とのトラブルのせいで、角川書店がはじめて自ら映画制作に乗り出した、のが「犬神家の一族」。そしてここではじめて「原作に完全に準拠した」金田一耕助を、石坂浩二が演じる事となるのである。
そして、このヒットに気を良くした東宝が、このあと、自社制作として石坂浩二主演で金田一シリーズを続編4本撮る事になるわけだな。

鹿賀丈史だったら見てもいいかなぁ・・

なお、前書いた通り、角川と東映が組んで作った金田一耕助モノは東宝と違って「これといった」金田一耕助役者はいません。
「悪霊島」の他に「悪魔が来りて笛を吹く」が角川 + 東映で作られてるけど、この時の金田一耕助はなんと西田敏行だ。



西田敏行は前年の1978年、テレビドラマ「西遊記」の猪八戒役で大ブレークして、いきなり、と言って良い程に映画の主役を射止めたわけだな。
東映のこの時期の金田一耕助モノは、加賀丈史もそうなんだけど、実力ある「新人」(実は西田敏行は下積み時代が長いんで、新人、って程じゃないが)に金田一耕助役を演らせる路線で東宝に対抗してたみたい。
とは言っても、 風体見たら分かるけど、やっぱ石坂浩二のパチもんってばパチもんで(笑)、もうこの時期では石坂浩二の金田一耕助ってのは確固としたイメージになってた、って言えると思う。
ちなみに、この西田敏行版「悪魔が来りて笛を吹く」もあんま横溝ファンには評価が高くなかったんじゃないか。

というわけで、東宝版、の殆ど「聖典金田一版」に戻ろう。
ところで、これも横溝正史ファンには怒られるかもしれんが(笑)。実は犬神家の一族ってのはトリック自体は大した事がない、っつーか全般的に横溝正史のミステリってトリックは大した事ねぇのな(笑)。双子出まくりだしそっくりさんもい過ぎだろ、と思うし(笑)。
でもそんな中で、トリックっつーか、「シチュエーションがメチャクチャ面白い」ってのが二作品あると思う。「悪魔の手毬唄」と「獄門島」だ。
実はこの二作品共、バックグラウンドが共通している。
それはこれらは横溝正史が「マザーグース殺人」をやりたくて作った話だ、と言う事だ。
マザーグース殺人、って分野で有名なのは、アガサクリスティの「そして誰もいなくなった」だろう。全世界的に共通っぽいのは、どうやらわらべ唄と言われるジャンルの歌の「歌詞」ってのは、マジメに読んでみるとかなり不気味で残酷なニュアンスがある、と言う辺り(「通りゃんせ」なんかも冷静に考えれば気味が悪く、漫画家「諸星大二郎」の漫画のネタにもなっている)。よってこれになぞらえた「殺人事件」ってのはミステリー作家にとって美味しいネタなわけだな。
横溝正史が、この「マザーグース殺人」をやりたくて、習作的に書いたのが、ここで取り上げる「獄門島」で、完成形が「悪魔の手毬唄」なんだ。
要するに、獄門島では「実在の俳句」に合わせて殺人をする、と言う多少無理な展開になっている(笑)。一方、「悪魔の手毬唄」では、実在の何かを使うのを諦めて(笑)、自作で「童謡」を作ったのが違い、と言うわけ。
だからミステリーとしては「悪魔の手毬唄」の方が完成度は高いだろうが(だからこっちが先に映像化されたんだろう)、「獄門島」もなかなか味わいのある作品だと僕も思っている。
いずれにせよ、犯人探しには「俳句の知識」が必要だった、と言う話だ(むしろ知識があったらある意味「出オチ」だったかもしれない)。

今回はオチなしだ。まずはみんなでここで取り上げられてる俳句の良さに痺れようぜ、と言う話(笑)。


当然ミクじゃねぇぞ(笑)。



この映画、良い役者が勢揃いなんだけど、後にW浅野の1人としてブレークする浅野ゆう子の渾身の演技が見れる。
これだ。


他にも「ごはんですよ!」の人が出てたり、



ちょっと分かりづらいけど、科特隊のムラマツキャップがいたり(仮面ライダーの「おやっさん」の方が通りがいい?)


そしてピーターまでいる(謎


まさしく、オールスターキャスト、と言って良いだろう(※2)。
また、亡くなった「美人の代名詞」、大原麗子が出てる辺りも特筆に価する。


「悪霊島」の岩下志麻とはまた違う、まさしく正統派美人だ。
もう、大原麗子が出てるだけで、この映画は「少し愛して、なが~く愛して」な映画である(謎

※1: ところが、実は片岡千恵蔵自身はそんなに時代劇が好きだったわけじゃないらしく、そういう意味ではGHQの「指導」はある意味渡りに船だったのかもしんない。

※2: 他にも、当時のTV版水戸黄門の初代水戸光圀役だった、東野英治郎が出演してて、本鬼頭先代の鬼頭嘉右衛門を怪演している。
元々、東野英治郎は、水戸黄門以前は悪役が定評あり、そういう意味では「本来の」東野英治郎の持ち味が活かされている。
余談だが、二代目水戸黄門の西村晃も悪役で有名で、東野英治郎の水戸黄門主演時に「ニセ黄門」として、敵役で出演した事がある。
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