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Retro-gaming and so on

Who is killing the Great Chefs of Europe?

ガキの頃、大好きだった番組がある。
世界の料理ショー」と言う番組だ。


グラハム・カーと言うやたら陽気なおっさんが(当時はアメリカ人だと思ってたんだけど、実はカナダ人らしい)、毎回毎回しょーもないギャグを喋りながら料理を作っていく30分番組で、最後は観客の中から一人選んで作った料理を一緒に食す。それがなかなか粋なんだよ。


ワインがぶがぶ飲みながら、な(笑)。
いや、すげぇな、とか思ったのはオーブンが上下2つあって、上に料理をセットすると、下からすぐに「オーブン調理済み」の料理が出てきやがんだ(笑)。それが不思議でさ(笑)。

「魔法のオーブンだ!」

とか驚きながら観ていた。ガキはすぐ騙される(苦笑・※1)。

今観ても面白い。かつ、当時だと日本じゃ入手できないような食材も結構あったんだよな。当時の日本の食卓だと再現できない、みたいな。
でも、なんつーんだろ、グラハム・カーの喋りももちろん面白いんだけど、西洋料理、っていう「一般生活では出会えないモノ」への憧れを結果演出してたんだよな。
それで「西洋食文化って進んでてスゴいんだな」と言う勘違いをガキに刷り込んだわけだ。うん。

ところが、だぜ。実の話。
「食文化にこだわる」ってのはむしろ日本の特異性、って考えた方が実はよい気がする。
日本人の方が遥かに食いしん坊なのだ。
今だと、テレビを点けると、料理人主人公のドラマであるとか、あるいは料理バラエティ番組とかそこそこ目にするだろう。挙げ句の果てに、ぐるナイの「ゴチになります」みたいに、基本「食ってるだけ」なんつー番組さえ成立してしまう。もちろん、ゲームとしてペナルティがある、とか言う部分が面白い、ってのは否定しないが、それでも「他人が食ってるのを観てるだけ」なのだ。
こんな番組が成立するのはやはり日本の視聴者の食い意地が張ってて、なおかつ食うことに対して興味もあるし寛容だ、ってことがあるんだろう。
恐らく、こんな「他人が食ってるのを観るだけ」なんつー番組構成が成立するのは日本独特の「センス」な気がする。
事実、諸外国のドラマなり映画で、「料理人が主人公」なんつーものは殆どない。聞いたことある?ほぼねぇんだよ。唯一皆が簡単に思いつくのはスティーブン・セガールくらいなんじゃないか(笑)。


でもこいつは料理人なのか(笑)?いや、料理人なんだけど、料理を爆発させて敵を倒したり、とか、そういうのは俺等は求めてねぇぞ(笑)。

そう、圧倒的に欧米だと「料理人の話」ってのはねぇんだよ。

いや、本当のことを言うと、「料理人でもドラマの主人公になれる」と言う様式自体の歴史は日本でもそんなに長いモンではない。それが「できる」って発見したのがマンガ「包丁人味平」だろう。今も出てくる「料理バトルもの」の元祖であり、全ての料理マンガ、料理ドラマのルーツだ。これがなかったら、この後の「料理漫画」なんつーのは全て企画も通らんでポシャってただろう。それくらいエポックメイキングなマンガだった。
僕個人は凄く、この原作の牛次郎って人を評価している。この人は既存のマンガの「様式」を借りつつ、かつ、メジャーな分野で勝負しない。「構造」を上手くズラして全く誰も手を付けない分野、つまり「隙間」を一ジャンルとして認知されるようにしてしまうのだ。彼が関わった作品は大体こういうことをやってて、失敗例もあるんだけど、「こんなのマンガになるんだ!」ってものを作り上げてしまう。
ハッキリ言って天才・・・・・・なんだけど、多分「バクマン。」で言うトコの高木秋人なんだよな。その天才性は「頭脳作戦」的なトコで、まさしく「邪道」で勝負する作家。そしてその「邪道」が一大ジャンルを作り上げてしまうのだ。
西欧が不幸で、日本が幸せだったのは、我々には牛次郎がいた、と言うことだと思う。こんな人は世界中探してもまずいないだろう。

ところで、その「牛次郎が存在しない」西欧で、唯一料理人が主人公、関連者も殆ど料理人、と言う映画の奇作が「Who is killing the Great Chefs of Europe?」である。邦題の「料理長殿、ご用心」、の方が有名かもしんない。これも定期的に・・・ゴールデン洋画劇場に流れてたんだよな。
ジャンルはサスペンス・・・でコメディである。一応ミステリの体裁?を整えてるように見えるんだけど、実は違う。題名にある通り、「ヨーロッパ(とアメリカ)でもっとも優れた料理人(うち一人はパティシエ)四人の一人一人が謎の犯人から殺害されてしまう」のだが、犯人探しのヒント、なんつーものは1個もない。っつーかよくよく最後まで観てみると「そんな殺人は不可能だろ」としか思えない。
クソマジメなミステリマニアが観ると絶対怒るだろ、ってな穴がありすぎな話なのだ(笑)。
つまり、プロットはともかくとして、ミステリにはならんのだ。演出的にもどっちかっつーと「13日の金曜日」みたいなスプラッターに近い。
だからその辺は楽しみではないんだな。どっちかっつーと「流した」方がよい辺りで。
むしろやっぱ、この話の本懐はコメディなのだ。徹底したギャグが入り込んでいてぎゃははは笑って観る作品だと思う。


「ああ、ルイ、もっと、もっとよ・・・」と喘ぎ声が聞こえて、すわ「ベッドシーンか?」と思えば、確かにベッドの上だが食い物の旨さに悶まくってる、と言うどうしようもねぇシーン(笑)。観客の肩透かしを狙ったギャグだ。



右の男はイタリアで一番のシェフだが、イタリア人ステロタイプらしく、左の主人公の一人、アメリカ人パティシエのナターシャを口説く。「俺の体はスゴいんだ。」とセクハラまがいの口説きをかましてるのもギャグ(笑)。後ろに映ってる男がナターシャの別れた旦那ロビーで、イタリアな口説き文句の中に「ポモドーロ」と言う単語が出てきてナターシャが理解出来なかった時、「トマトのことさ」と翻訳してしまう、と言うしょーもないシーン。



4人の偉大なる料理人の3人が殺害され、残り1人となったパティシエのナターシャ。彼女はテレビ番組に出演するのだが、彼女の作ったケーキに爆弾が仕込まれてると気づいたロビー。テレビ局に駆け込んで受付に「番組は二階で収録されてる」と聞くが、その二階には彼女の姿がない。通りかかった男に訊くも彼も「二階で収録されてる」と答える。しかし、その男はイギリスで言う「二階」とアメリカで言う「二階」が全く違うと言うウンチクを延々とロビーに説明しだす(笑)。時間がないのに(笑)。これもしょーもないギャグである。

とにかくボケ続けで笑わせよう、ってのがむしろ主眼になってるのがこの映画なのだ。

あらすじは、大したことがねぇんで(笑)、Wikipediaから引っ張ってこよう。

大富豪・マックス(ロバート・モーレイ)は、料理専門誌を主催する有名なグルメでもあった。とにかく食べることが大好きで、美味しいものに目がない。連日豪華料理に舌鼓を打つので、医者からはその体調を心配される程だった。そんなマックスがある日ふと考えた。「この世で一番美味しい料理って何だろう?」そう思うと確かめずにはいられない。マックスは、世界一流の料理長を招いて実際に食べ比べてみることにした。招かれたのは、ルイ(ジャン=ピエール・カッセル)、ゾッピ(ステファノ・サタ・フロレス)、ムリノー(フィリップ・ノワレ)、それにナターシャ(ジャクリーン・ビセット)の4人の料理長だ。ところが、いよいよ試食会の日になってルイの姿が見えなくなった。一同で探しまわってみると、ルイはオーブンの中で黒焦げになった死体で発見された。一体誰が、何の目的で殺害したのか?謎が解けないままマックスは試食会を強行しようとする。 

いや、あらすじは大したことない、って言いながら僕自身はこの映画は好きだよ?
コメディが好きだからな。

なお。この映画の見どころ、っつーのは。
後年、「美味しんぼ」で紹介された「鴨の血のソース」を使った鴨料理が出てくる辺り、だ。





うん、美味しんぼで見る前に知ってた。っつーかある意味、この「料理長殿、ご用心」で、日本でも広く知られるようになった料理だったんじゃないか。食ったことはないが、いつか食ってみたい、あるいは個人的には作ってみたい料理になっている。ぜってぇ旨い筈だ。







まぁ、一応、ミステリ仕立てなんで、誰が犯人なのかはバラさない。あっと驚く人が犯人、ってことはない。なんせ目立たんからだ(笑)。
「そりゃねぇだろ」と言う掟破りの犯人が誰なのか、是非とも自らの目で確かめて欲しい。

※1: 言うまでもないが、下のオーブンに単に「調理済みの」料理を置いてるだけ、である(笑)。
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