昼ごはんを食べて、お昼寝という時間帯。
年長児クラスだけを連れて少し遠い公園に来た時のこと。
ブランコや池周辺の探索をして遊んでいると…
一人の女の子が腹痛を訴えました。
女性の先生に付き添われてトイレに行き、一安心。かと思いきや…
しばらくすると…またお腹が痛いんだって。
「またトイレ行く?」
「ううん、出ない」
冷えたかな…
おなかを押さえてしゃがんでいます。
冷えが原因ならと、自販機で”あった~い”ゆずレモンを買って渡しました。
「どお?」
「うん、気持ちいい…」
「だいじょぶ?」
「だいじょぶ」
この時、他の6人はというと…
「先生、俺これがいい!」
「あたしこれ!」
「先生ずるーい!」
「いやいや、飲むわけじゃないし」
「だってほら、〇〇ちゃん苦しそうじゃん」
言っても、好き勝手に自販機のボタンを押す手が止まりません。
帰り道、女の子の一人が頬を膨らませていました。
「先生ったら、ずるいんだから!もう嫌い!」
その子の様子を見ながら思い出したのは、秋の保護者会。
レジメの中に、園長が担当した”こども観”に関する文章がありました。
タイトルは『家庭でのしつけと自分で考える経験』
小学校6年生になっても身の回りのことがろくにできない子がいる。
そんな事例を挙げながら、子どもの自立を促すことのススメをまとめた文書でした。
今回のゆずレモンの件は、怒った子にとっては不公平なのでしょう。
ずるーい!でいい。
しかし、その子の価値観における不公平を解決する方法は、全員に買ってあげることしかありません。
でもそんなことはしない。
言わせておけばいい。
子ども達を見ていると、そういうことに苦心している親御さんが多そうだなと思います。
この絵本を読むまで帰らない!
気が済むまで見ていなければここを動かない!
ママのお迎えはイヤ!
お野菜は嫌いだから食べない!
あぁしたい!こうしたい!……
いろんな気持ちを訴えるのは子どもの自由だし、自立に向けた大切な過程です。
自分で決めた行動を、自分で成し遂げたいというのは、これからの自主性を育むうえで必要です。
そんなことは分かっている。けど…
家庭には家庭のルールや都合があって、それをコントロールするのは親。
子どもの言うことを全て受け入れていたら、家庭がまわりません。
親が決めたルールに従うのは当然。
勿論、親が言うことの全てに合理性があるわけではない。
そういうことがあって然るべきです。
それが親子だし、家庭というものでしょ?
家族の中心は子ども。
のみならず、あらゆることの中心が子どもである家庭が多い気がします。
おさなごは自由闊達に生きる。
小学校に上がっても、自由奔放に振る舞ってしまう。
急にルールや制限が増えて対応しきれない。
だから学校には行きたくない。
そうなって欲しくはありません。
家庭で好き勝手が許されている子は、保育園や学校でも修正ができません。
なかなかそういうことが難しい時代になった。
保護者会でも園長はそう言っていますし、確かにそういう時代です。
子ども達を待っているのは、自らを律せねば生きられない厳しい現実だということです。
壁にぶつかった時に、乗り越えるか?それとも逃げるか?
幼児期の子ども達を見ていると、それができそうな子と難しそうな子が透けて見えてきます。
あぁちなみに。
お腹が痛かった女の子は、園に着くころには元気になりました。
年長児クラスだけを連れて少し遠い公園に来た時のこと。
ブランコや池周辺の探索をして遊んでいると…
一人の女の子が腹痛を訴えました。
女性の先生に付き添われてトイレに行き、一安心。かと思いきや…
しばらくすると…またお腹が痛いんだって。
「またトイレ行く?」
「ううん、出ない」
冷えたかな…
おなかを押さえてしゃがんでいます。
冷えが原因ならと、自販機で”あった~い”ゆずレモンを買って渡しました。
「どお?」
「うん、気持ちいい…」
「だいじょぶ?」
「だいじょぶ」
この時、他の6人はというと…
「先生、俺これがいい!」
「あたしこれ!」
「先生ずるーい!」
「いやいや、飲むわけじゃないし」
「だってほら、〇〇ちゃん苦しそうじゃん」
言っても、好き勝手に自販機のボタンを押す手が止まりません。
帰り道、女の子の一人が頬を膨らませていました。
「先生ったら、ずるいんだから!もう嫌い!」
その子の様子を見ながら思い出したのは、秋の保護者会。
レジメの中に、園長が担当した”こども観”に関する文章がありました。
タイトルは『家庭でのしつけと自分で考える経験』
小学校6年生になっても身の回りのことがろくにできない子がいる。
そんな事例を挙げながら、子どもの自立を促すことのススメをまとめた文書でした。
今回のゆずレモンの件は、怒った子にとっては不公平なのでしょう。
ずるーい!でいい。
しかし、その子の価値観における不公平を解決する方法は、全員に買ってあげることしかありません。
でもそんなことはしない。
言わせておけばいい。
子ども達を見ていると、そういうことに苦心している親御さんが多そうだなと思います。
この絵本を読むまで帰らない!
気が済むまで見ていなければここを動かない!
ママのお迎えはイヤ!
お野菜は嫌いだから食べない!
あぁしたい!こうしたい!……
いろんな気持ちを訴えるのは子どもの自由だし、自立に向けた大切な過程です。
自分で決めた行動を、自分で成し遂げたいというのは、これからの自主性を育むうえで必要です。
そんなことは分かっている。けど…
家庭には家庭のルールや都合があって、それをコントロールするのは親。
子どもの言うことを全て受け入れていたら、家庭がまわりません。
親が決めたルールに従うのは当然。
勿論、親が言うことの全てに合理性があるわけではない。
そういうことがあって然るべきです。
それが親子だし、家庭というものでしょ?
家族の中心は子ども。
のみならず、あらゆることの中心が子どもである家庭が多い気がします。
おさなごは自由闊達に生きる。
小学校に上がっても、自由奔放に振る舞ってしまう。
急にルールや制限が増えて対応しきれない。
だから学校には行きたくない。
そうなって欲しくはありません。
家庭で好き勝手が許されている子は、保育園や学校でも修正ができません。
なかなかそういうことが難しい時代になった。
保護者会でも園長はそう言っていますし、確かにそういう時代です。
子ども達を待っているのは、自らを律せねば生きられない厳しい現実だということです。
壁にぶつかった時に、乗り越えるか?それとも逃げるか?
幼児期の子ども達を見ていると、それができそうな子と難しそうな子が透けて見えてきます。
あぁちなみに。
お腹が痛かった女の子は、園に着くころには元気になりました。