恵庭市はJR函館本線にあって、北海道の玄関口千歳空港の隣で北海道の政令指定都市
札幌に向かう途中にあることから、北海道の中で最もJRの本数が多い場所で、利便性が高い位置にある。
恵み野は恵庭市と島松の間に作られた住宅街で札幌までJRで35分、札幌のニュータウンと呼ばれていた。
ここで、恵庭市の歴史を少し辿ってみよう。
1969年(明治02年)蝦夷地を北海道と改称して11国86郡が置かれ、胆振国千歳群なった。
1873年(明治06年)中山久蔵が島松で水稲(赤毛種)の栽培に成功。
北海道でお米が作られるようになったのは中山久蔵の努力の賜物。
1880年(明治13年):漁村、島松村が千歳郡千歳村外五ヶ村の管轄となる。
1886年(明治19年)山口県岩国・和木地方から団体移民が漁川沿岸に入植。
1906年(明治39年):漁村と島松村を合わせて恵庭村とし、北海道二級町村制施行。
1970年(昭和45年):市制施行し、恵庭市となる。
1980年(昭和55年):恵庭ニュータウン恵み野分譲開始。漁川ダム竣工。
1982年(昭和57年):恵み野駅開業。イトーヨーカ堂オープン。恵み野小学校開校
恵庭市は明治39年漁村(いざりむら)島松村(しままつむら)が合わさり恵庭村になりその後、恵庭市になった。
漁村と島松村は小さな政権争いがあって、漁村のある地域に北海道二級町村制施行され、恵庭村になった。
島松村は、ある意味漁村に敗北したことになる。
恵庭ニュータウン恵み野分譲は、島松と恵庭市の中心に出来た住宅街で、
仲が悪かった漁村(恵庭のある場所)と島松村の縁を取り持つ役割を持っていた。と聞いたことがある。
こうして1980年ニュータウン恵み野の分譲が開始。
分譲の2年後1982年、恵み野駅が出来、恵み野駅の隣にイトーヨーカ堂がオープン、恵み野小学校の開校となる。
37年間、恵み野の歴史と共に歩んできたイトーヨーカ堂が住民から惜しまれながら、
2019年9月29日、本日閉店となる。
やはり寂しい~~!
2013年東4丁目に「イーストガーデン恵み野」完成
2016年 北5丁目に「ノースガーデン恵み野」完成。人口12,023人、5,182世帯
2018年南5丁目に「スマートタウンふれる恵み野」完成
恵み野はこうして伸び続けてきた。