瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

恐怖と歓喜

2018-12-19 05:17:16 | 随想
死は恐怖症であるってのが世間一般の大前提ですな。ま、そういうのも分からなくもありませんけど。死とは何か? 答えられない。分からない対象は恐怖ですからね。

だから昔から権力者は不老不死のために金をつぎ込んだし、宗教は死後について語ったわけですし。
現代でもやっぱりアンチエイジングに余念はないし、不死とはいわないまでも出来るだけ死を遠い未来に延ばそうと躍起になってますしね。
科学全盛の時代ですから宗教で死の恐怖を救うってのは少々力不足になってますけど。

分からない対象に恐怖を感じるのは分かりますけど、理性で処理すれば分からないものは単に分からないだけですわな。分からないんだから恐怖していいんだか歓喜していいんだかも分からないのが道理です。

ま、人は理性のみで生きてるわけじゃありませんから理性で死を克服しようっても、なかなかねえ。

昔は宗教、今は科学で死を克服しようとしてるわけですがどちらか一方でどうにかなるってぇもンでもないでしょう。
そろそろ宗教と科学が融合してもいい頃だと思うんですがねえ。科学だってもともとは神様を知ろうってところから始まってるんだから親和性はあって当然なんだし。

なんてことを書いてますが、そもそも死を克服する必要があるのかしら、とも思います。恐怖なら恐怖でいいかな、なんてね。死の恐怖と共に生の歓喜もあるんでしょうから。



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