瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

自由と思い込み

2018-12-03 04:29:31 | 随想
怪我をします。と、不自由だなあってぇ思いますな。健康な時分には出来ていたことが出来ないんですから。

出来ないことでいえば、人間には空が飛べませんがこのことについちゃ別に不自由だとは思いませんな。空が飛べたらいいのにって思うことはあっても、空が飛べないなんて不自由このうえない、なんて思やしません。

つまりですなあ、自由ってぇのは何でもかんでも出来るってこっちゃないってぇことです。範囲が限定されてるんですな。これが自由、と決めた範囲内で出来ないことが発生すると不自由って感じるわけです。自由の範囲外で出来ないことは不自由でもなんでもない。それが出来るってぇことはもともと自由の範疇に入っちゃいないンですからな。

身体のことで自由、不自由を考えましたが社会生活でも同じことですわな。出来ないことがあるからって、それを必ずしも不自由とは思わない。不自由を感じるのは出来るはずのことが出来ないときなんですね。

私たちは自由なのか不自由なのか。
本当は出来ることなのに、それは出来ないことです、と思い込まされてれば不自由とは思わないンですよ。自由を剥奪されているのにそれに気がつかない。ってぇいうより気がつけないっていったほうがいいですかね。

私たちの自由を阻んでいるものは何なんでしょうかねえ。社会なのかもしれないし、あるいは自分自身なのかもしれません。
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