瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

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運命と性格と存在と

2016-02-15 02:29:55 | 随想
前項「基本設定」の続きのようなもの。

「運命は性格のなかにある」と芥川龍之介は云ったそうである。なにで知ったのか忘れたから芥川が何の中でそう書いたのかも忘れている。

アリストテレスは「運命は性格なり」と云ったそうで、これまたなにで知ったのか忘れている。だから出典を知らない。芥川の頭の中にはこれがあったのかもしれない。

「人は性格にあった事件にしかでくわさない」という小林秀雄の言葉を知ったのは向田邦子のエッセイだったような記憶がある。

その性格がその運命を創る。ということであろうが真実はその逆かもしれない。その運命がそのその性格を作る。
ま、どちらがどちらをつくっていたってどうでもいいことである。こういうことは相互作用だから。どちらも原因であり、どちらも結果である。

性格が変われば運命が変わるとも言えるし、運命が変われば性格が変わるとも言える。人生は案外どうにでもなるということでもある。人生の舵取りをしているのは性格でもあるし運命でもある。

そもそも運命とは何か。これが運命だ、とその人が考えたことが運命なのである。運命も案外いい加減なもので考えようによってどうにでもなる。
その意味では性格もどうにでもなる。これが自分の性格だ、と考える性格が性格になるだけだから。

実のところ、運命も性格も創り出しているのは自分である。だから運命も性格も実はどこにもない。あるのは自分なのである。
では、すべての出処たる自分とは何か。こうしてあれこれ考えている「この存在」とは何か。そもそも、どうしてこんなものが在るのか。
とどのつまり在るとはいったい何が在ることなのか。
存在は謎である。
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