石川英輔「2050年は江戸時代」(PHP研究所 1995年)
なんとなく思い出しまして。なので読んだのは出版年である1995年です。30年前ですね。
30年前のことなんで詳しい内容は忘れてますが、ま、タイトルどおり2050年は江戸時代のようになってるって小説です。第三次世界大戦が起こって文明が衰退したなんてことじゃなく、徐々に文明が後退して江戸時代にまで戻ったってストーリーです。
後退したその経緯がどんなふうに描かれていたかは忘れました。
忘れたので勝手な考えで書きますけど、作中文明が後退したのはエネルギーが無くなったからでしょうね。現在の機械文明はエネルギーが無くなれば終わりですから。化石燃料が無くなって、原発も使えないとなると文明は江戸時代に戻らざるをえない。江戸時代までは今現在降りそそぐ太陽エネルギーだけで農作物育ててみんな生きてた、という状況の再現。
あと何年、現状のエネルギー供給が維持できるのか知りませんけど、そのときまでは機械文明も進歩し続けるでしょうけど、エネルギーの供給が逼迫すれば進歩はそこまでですね。そのピークを堺に文明は後退をはじめる。電力が無くなればアウト。現在の機械文明は維持できません。
日本は少子高齢化ですから経済力が衰え、化石燃料を輸入できなくなる日は案外近いかもしれません。それが小説のように2050年だとは言いませんけど。あるいは化石燃料を買うお金がなくてもウランが買えるなら(ウランの値段知りませんけど)原発で電力を確保するという選択をするかもしれません。
その時日本がどんな選択をするのかわかりませんが、いずれその選択をせまられるのは世界も同じ。世界だって化石燃料はいずれ枯渇するんですから。地震のない国なら原発でエネルギーをまかなうという選択をしやすそうですが、世界的にエネルギー不足にはなるんでしょう。
エネルギー不足のなか戦争はどうなるのかしら。最新兵器は電子機器ですから、その製造も運用も現在のエネルギー供給あってこそなので、エネルギー不足になると現在の兵器も維持できない。核兵器もただの粗大ごみ。とはいえ、やっぱり戦争が無くなるわけでもないんでしょうね。大昔から人間は戦争してましたからね。
あたくし、知識無いんで未来予想図が描けませんけど、農業もエネルギーが無くなるとキツイですよね。機械が使えないとなれば牛馬使うにしても重労働に戻るし、エネルギー無くて肥料も化学合成出来なくなると江戸時代のように肥料は糞尿や魚の油かすですかね。収穫量は落ちるんじゃないかな。エネルギーがないと農薬も作れなくなるし。みんなして農業やらないと食べていけないんじゃないかしら。それこそ江戸時代のようにほとんどの人が百姓しないと食糧が供給できない。輸入する経済力もないし。
エネルギー不足じゃ医療も行き届かないし、食糧の供給減少とあいまって人口は減るでしょうね。
現在の機械文明なんて、ほんの一瞬の出来事です。化石燃料をふんだんに使える限られた時代の出来事。期間限定の文明です。持続可能じゃない。過去数億年かかって溜め込んだエネルギーを数百年で使いきる。初代が汗水たらして築き上げた身代を二代目が散財して身上潰す、みたいな話ですよ。機械文明を享受する私たちは、いわば放蕩者ですわ。過去の遺産を食いつぶして贅沢三昧。
このブログを書けているのもエネルギーのおかげなんで、エネルギー供給はもう無理ッ、となればハイ、それまでよってなもんです。みんながスマホやPC使ってる時代なんてあとどのくらい続けることが出来るんでしょうかね。あだ花みたいなもんです。幻っていうか。
今の現実があたくしにははかない夢幻(ゆめまぼろし)のように見えます。いっときのお祭り騒ぎ。化石燃料が無くなればお祭りもそこでオシマイ。あとは今現在降り注ぐ太陽エネルギーだけを使っての質素な暮らし。
ま、夢幻といえば、そもそも地球に誕生した生命っていう在り方が宇宙というタイムスケールからみれば夢幻のようなものですけどね。
それはさておき、文明後退とは別の未来も考えられなくもありません。化石燃料がふんだんに使えるうちに科学技術が飛躍的に進歩して、化石燃料に代わる次のエネルギーを確保出来るようになれば話は別です。核融合発電が出来るとか、宇宙太陽光発電が可能になるとか、はたまたダイソン球を建造するとか。そうなれば機械文明はまだまだ継続できます。
話はもう少しだけつづきますが長くなったので、今回はこのあたりで。
なんとなく思い出しまして。なので読んだのは出版年である1995年です。30年前ですね。
30年前のことなんで詳しい内容は忘れてますが、ま、タイトルどおり2050年は江戸時代のようになってるって小説です。第三次世界大戦が起こって文明が衰退したなんてことじゃなく、徐々に文明が後退して江戸時代にまで戻ったってストーリーです。
後退したその経緯がどんなふうに描かれていたかは忘れました。
忘れたので勝手な考えで書きますけど、作中文明が後退したのはエネルギーが無くなったからでしょうね。現在の機械文明はエネルギーが無くなれば終わりですから。化石燃料が無くなって、原発も使えないとなると文明は江戸時代に戻らざるをえない。江戸時代までは今現在降りそそぐ太陽エネルギーだけで農作物育ててみんな生きてた、という状況の再現。
あと何年、現状のエネルギー供給が維持できるのか知りませんけど、そのときまでは機械文明も進歩し続けるでしょうけど、エネルギーの供給が逼迫すれば進歩はそこまでですね。そのピークを堺に文明は後退をはじめる。電力が無くなればアウト。現在の機械文明は維持できません。
日本は少子高齢化ですから経済力が衰え、化石燃料を輸入できなくなる日は案外近いかもしれません。それが小説のように2050年だとは言いませんけど。あるいは化石燃料を買うお金がなくてもウランが買えるなら(ウランの値段知りませんけど)原発で電力を確保するという選択をするかもしれません。
その時日本がどんな選択をするのかわかりませんが、いずれその選択をせまられるのは世界も同じ。世界だって化石燃料はいずれ枯渇するんですから。地震のない国なら原発でエネルギーをまかなうという選択をしやすそうですが、世界的にエネルギー不足にはなるんでしょう。
エネルギー不足のなか戦争はどうなるのかしら。最新兵器は電子機器ですから、その製造も運用も現在のエネルギー供給あってこそなので、エネルギー不足になると現在の兵器も維持できない。核兵器もただの粗大ごみ。とはいえ、やっぱり戦争が無くなるわけでもないんでしょうね。大昔から人間は戦争してましたからね。
あたくし、知識無いんで未来予想図が描けませんけど、農業もエネルギーが無くなるとキツイですよね。機械が使えないとなれば牛馬使うにしても重労働に戻るし、エネルギー無くて肥料も化学合成出来なくなると江戸時代のように肥料は糞尿や魚の油かすですかね。収穫量は落ちるんじゃないかな。エネルギーがないと農薬も作れなくなるし。みんなして農業やらないと食べていけないんじゃないかしら。それこそ江戸時代のようにほとんどの人が百姓しないと食糧が供給できない。輸入する経済力もないし。
エネルギー不足じゃ医療も行き届かないし、食糧の供給減少とあいまって人口は減るでしょうね。
現在の機械文明なんて、ほんの一瞬の出来事です。化石燃料をふんだんに使える限られた時代の出来事。期間限定の文明です。持続可能じゃない。過去数億年かかって溜め込んだエネルギーを数百年で使いきる。初代が汗水たらして築き上げた身代を二代目が散財して身上潰す、みたいな話ですよ。機械文明を享受する私たちは、いわば放蕩者ですわ。過去の遺産を食いつぶして贅沢三昧。
このブログを書けているのもエネルギーのおかげなんで、エネルギー供給はもう無理ッ、となればハイ、それまでよってなもんです。みんながスマホやPC使ってる時代なんてあとどのくらい続けることが出来るんでしょうかね。あだ花みたいなもんです。幻っていうか。
今の現実があたくしにははかない夢幻(ゆめまぼろし)のように見えます。いっときのお祭り騒ぎ。化石燃料が無くなればお祭りもそこでオシマイ。あとは今現在降り注ぐ太陽エネルギーだけを使っての質素な暮らし。
ま、夢幻といえば、そもそも地球に誕生した生命っていう在り方が宇宙というタイムスケールからみれば夢幻のようなものですけどね。
それはさておき、文明後退とは別の未来も考えられなくもありません。化石燃料がふんだんに使えるうちに科学技術が飛躍的に進歩して、化石燃料に代わる次のエネルギーを確保出来るようになれば話は別です。核融合発電が出来るとか、宇宙太陽光発電が可能になるとか、はたまたダイソン球を建造するとか。そうなれば機械文明はまだまだ継続できます。
話はもう少しだけつづきますが長くなったので、今回はこのあたりで。