梅雨の晴れ間となった今日は、浜離宮朝日ホールへと堤剛の無伴奏を聴きに行った。バッハの4番と3番の間にシャコンヌ(ヴァイオリンからの編曲)と黛のBUNRAKUが挟まっている面白い構成。特に3番は今、何度目かのおさらいをしているのだから期待が膨らむ。
その期待どおりの演奏が聴けて満足だった。古楽ではない、コンサートチェリストの弾く悠揚迫らぬ演奏が聴けたのだから記念すべき日と言ってよい。特に3番は、演奏者の巧みな技術に支えられて、堂々とした音楽、そして音のひとつひとつが響きあう音楽として会場を包んでいた。自身、時に笑顔を浮かべながら楽しんでいるかのような演奏であった。音の強弱も抑揚も美しく奏され、「名実ともに日本を代表するチェリスト」(プログラムの表現)の演奏であった。
一方、シャコンヌは有名なヴァイオリン曲のチェロ版である。まるで、チェロ用の曲であるような錯覚を覚えるのは演奏の巧みさからだと思う。オリジナルよりも、むしろ、重音が美しく響いて伸びて素晴らしかった。もちろん、素早い、範囲の広いパッセージは大変そうだった(軽々と弾いていたが)。
黛敏郎(1929-1997)作曲のBUNRAKU(チェロ独奏のための、1960)は、名前だけ知っていて初めて聴く機会となった。曲名どおり、文楽の音楽をチェロ1台で表現するものだが、作曲当時はともかく、情報が溢れる現在、このような「日本紹介」のような作風はどうなのだろうか。日本的表現と西洋音階の交錯する音楽に、私は戸惑いを感じてしまった。熱演だったのは間違いないのだが。
その期待どおりの演奏が聴けて満足だった。古楽ではない、コンサートチェリストの弾く悠揚迫らぬ演奏が聴けたのだから記念すべき日と言ってよい。特に3番は、演奏者の巧みな技術に支えられて、堂々とした音楽、そして音のひとつひとつが響きあう音楽として会場を包んでいた。自身、時に笑顔を浮かべながら楽しんでいるかのような演奏であった。音の強弱も抑揚も美しく奏され、「名実ともに日本を代表するチェリスト」(プログラムの表現)の演奏であった。
一方、シャコンヌは有名なヴァイオリン曲のチェロ版である。まるで、チェロ用の曲であるような錯覚を覚えるのは演奏の巧みさからだと思う。オリジナルよりも、むしろ、重音が美しく響いて伸びて素晴らしかった。もちろん、素早い、範囲の広いパッセージは大変そうだった(軽々と弾いていたが)。
黛敏郎(1929-1997)作曲のBUNRAKU(チェロ独奏のための、1960)は、名前だけ知っていて初めて聴く機会となった。曲名どおり、文楽の音楽をチェロ1台で表現するものだが、作曲当時はともかく、情報が溢れる現在、このような「日本紹介」のような作風はどうなのだろうか。日本的表現と西洋音階の交錯する音楽に、私は戸惑いを感じてしまった。熱演だったのは間違いないのだが。
■SOLO 堤 剛 無伴奏チェロ・リサイタル〜バッハ「組曲」・黛敏郎「文楽」
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調BWV1010、J.S.バッハ:シャコンヌ(休憩)、黛敏郎:BUNRAKU(文楽)、J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番変ホ長調BWV1009.〔アンコール〕鳥の歌.堤 剛(チェロ).平成27年7月10日(金)、13:30~15:10頃、浜離宮朝日ホール.
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調BWV1010、J.S.バッハ:シャコンヌ(休憩)、黛敏郎:BUNRAKU(文楽)、J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番変ホ長調BWV1009.〔アンコール〕鳥の歌.堤 剛(チェロ).平成27年7月10日(金)、13:30~15:10頃、浜離宮朝日ホール.