ラ・プティット・バンド、G線上のアリア~オールJ.S.バッハ・プログラム~を聴きに行った。
また、昔話で恐縮だが、リーダーのシギスヴァルト・クイケン(1944- )については、フランス・ブリュッヘンを聴いて衝撃を受けた頃からのお馴染みである。残念ながらレコードでのお馴染みで、実演に接していたわけではない。当時は、「クイケン三兄弟」(兄ヴィーラント(ヴィオラ・ダ・ガンバおよびバロック・チェロ)、弟バルトルド(フラウト・トラヴェルソ))として知られていた。
ラ・プティット・バンド(以下、LPB)は、1972年にグスタフ・レオンハルトとともに結成された。ブリュッヘンやレオンハルト、そしてクイケン兄弟らの全盛時代と言ってよい。当時、古楽器のソリストは綺羅星のごとくだったが、アンサンブルはまだ珍しかった。LPBは、今では珍しくないバロック時代の楽器による合奏団の草分け的存在だった。日本では、バロック音楽もモダン楽器で聴くのが普通で、古楽器による演奏は稀少で、合奏団など名前すら知られていなかった。
前置きはこれくらいにして。
最初の管弦楽組曲第3番BWV1068は、管・打楽器を排除した弦楽のみの演奏。1パート一人(OVPP=One Voice Per Part)のミニマムな演奏で、音量はさすがに小さい。小さいが好ましい。エア(アリア)では、それが際立つ。ロマンチックに厚化粧されたG線上からは隔絶した世界だ。
「音楽の捧げ物」BWV1079からトリオ・ソナタ、ハ短調は、ご存知のとおり、フリードリッヒ大王に献呈した作品。いつ聴いても寝てしまうが、今回は視覚も手伝ってか、各声部を追いながら興味深く聴けた。
続いては、チェンバロ協奏曲第5番、ヘ短調BWV1056。「捧げ物」よりはくつろいで聴ける曲。まさにコレギウム・ムジクム用の曲だろう。バッハの他のチェンバロ協奏曲同様、転用などが行われていて、楽長バッハの多忙さを窺わせるものがある。
さて、休憩をはさんでの「カンタータ第204番<わたしの心は、満ち足りて>BWV204」は、今夜の「大曲」。管楽器(トラヴェルソ・フルート、オーボエ)とソプラノ独唱が付く。これも、基本的にミニマムな奏者で演奏された。それだけ演奏者一人ひとりの責任が大きい。それでいて全体が生きた音楽として鳴るのだから、古楽器は面白い。ソプラノのアンナ・グシュヴェンドの透明な声もよかった。
まさに、オールバッハ・プログラムで、バッハの時代の音楽に生で接しているような、コレギウム・ムジクムを追体験するような演奏会であった。バッハの世界なのだが、そこに何かそれ以上の大きなものを感じた。
ふと思ったのだが、以上のようなレトロな視点は、グループサウンズを懐かしがるのとパラレルかも知れない。私にも古楽でなければ始まらない日々があったのだが、時を経ると同質なものだったのかも知れないなと少し感傷に耽った次第(笑)。
そして、今やこのLPBも活動資金難を抱えている。ベルギー政府からの補助金がカットされて以来深刻化しているらしい。日本では珍しいことではないが、文化的には先進国であるはずのヨーロッパでなぜ、と首をかしげてしまう。金にならないことを惜しむのは洋の東西を問わなくなってしまったのだろうか。
ラ・プティット・バンド;オールJ.S.バッハ・プログラム
2017年10月11日(水)19:00~21:00頃
浜離宮朝日ホール
曲目
1 管弦楽組曲第3番、ニ長調、BWV1068(弦楽合奏版)
2 『音楽の捧げ物』BWV1079からトリオ・ソナタ、ハ短調
3 チェンバロ協奏曲第5番、ヘ短調、BWV1056
(休憩20分)
4 カンタータ第204番「わたしの心は、満ち足りて」BWV204
また、昔話で恐縮だが、リーダーのシギスヴァルト・クイケン(1944- )については、フランス・ブリュッヘンを聴いて衝撃を受けた頃からのお馴染みである。残念ながらレコードでのお馴染みで、実演に接していたわけではない。当時は、「クイケン三兄弟」(兄ヴィーラント(ヴィオラ・ダ・ガンバおよびバロック・チェロ)、弟バルトルド(フラウト・トラヴェルソ))として知られていた。
ラ・プティット・バンド(以下、LPB)は、1972年にグスタフ・レオンハルトとともに結成された。ブリュッヘンやレオンハルト、そしてクイケン兄弟らの全盛時代と言ってよい。当時、古楽器のソリストは綺羅星のごとくだったが、アンサンブルはまだ珍しかった。LPBは、今では珍しくないバロック時代の楽器による合奏団の草分け的存在だった。日本では、バロック音楽もモダン楽器で聴くのが普通で、古楽器による演奏は稀少で、合奏団など名前すら知られていなかった。
前置きはこれくらいにして。
最初の管弦楽組曲第3番BWV1068は、管・打楽器を排除した弦楽のみの演奏。1パート一人(OVPP=One Voice Per Part)のミニマムな演奏で、音量はさすがに小さい。小さいが好ましい。エア(アリア)では、それが際立つ。ロマンチックに厚化粧されたG線上からは隔絶した世界だ。
「音楽の捧げ物」BWV1079からトリオ・ソナタ、ハ短調は、ご存知のとおり、フリードリッヒ大王に献呈した作品。いつ聴いても寝てしまうが、今回は視覚も手伝ってか、各声部を追いながら興味深く聴けた。
続いては、チェンバロ協奏曲第5番、ヘ短調BWV1056。「捧げ物」よりはくつろいで聴ける曲。まさにコレギウム・ムジクム用の曲だろう。バッハの他のチェンバロ協奏曲同様、転用などが行われていて、楽長バッハの多忙さを窺わせるものがある。
さて、休憩をはさんでの「カンタータ第204番<わたしの心は、満ち足りて>BWV204」は、今夜の「大曲」。管楽器(トラヴェルソ・フルート、オーボエ)とソプラノ独唱が付く。これも、基本的にミニマムな奏者で演奏された。それだけ演奏者一人ひとりの責任が大きい。それでいて全体が生きた音楽として鳴るのだから、古楽器は面白い。ソプラノのアンナ・グシュヴェンドの透明な声もよかった。
まさに、オールバッハ・プログラムで、バッハの時代の音楽に生で接しているような、コレギウム・ムジクムを追体験するような演奏会であった。バッハの世界なのだが、そこに何かそれ以上の大きなものを感じた。
ふと思ったのだが、以上のようなレトロな視点は、グループサウンズを懐かしがるのとパラレルかも知れない。私にも古楽でなければ始まらない日々があったのだが、時を経ると同質なものだったのかも知れないなと少し感傷に耽った次第(笑)。
そして、今やこのLPBも活動資金難を抱えている。ベルギー政府からの補助金がカットされて以来深刻化しているらしい。日本では珍しいことではないが、文化的には先進国であるはずのヨーロッパでなぜ、と首をかしげてしまう。金にならないことを惜しむのは洋の東西を問わなくなってしまったのだろうか。
ラ・プティット・バンド;オールJ.S.バッハ・プログラム
2017年10月11日(水)19:00~21:00頃
浜離宮朝日ホール
曲目
1 管弦楽組曲第3番、ニ長調、BWV1068(弦楽合奏版)
2 『音楽の捧げ物』BWV1079からトリオ・ソナタ、ハ短調
3 チェンバロ協奏曲第5番、ヘ短調、BWV1056
(休憩20分)
4 カンタータ第204番「わたしの心は、満ち足りて」BWV204