C E L L O L O G U E +

ようこそ、チェロローグ + へ!
いつまでたっても初心者のモノローグ
音楽や身の回りを気ままに綴っています

ザリガニの鳴くところ

2022年12月14日 | アート


ザリガニという生き物が苦手です。想像しただけで冷や汗が出てきます。従って、妻がこの映画を観たいと言い出した時は悩みました。が、ザリガニが出てきたら、即刻、退出することにして観に行きました。

この映画は偏見や差別を扱った深刻なものと考えていたのですが、軽く裏切られました。アメリカ映画だからではないでしょうがアメリカン・コーヒーのような感じを受けました。
まず、イントロに意表を突かれました。ドキュメンタリー映画が始まるのかと勘違いしそうな鳥瞰シーン。沼を俯瞰して、空、樹木、水生植物、暗い沼の水面へと誘導していくのは、沼もまた主人公だという暗示のように思えます。

アメリカの沼はスケールが大きい。日本とは違って、暗く、私小説的な小さな沼ではなく、大きく複雑に入り組むノースカロライナ州の沼。沼にはどんな意味があるのでしょう。
湖と異なり、河川の出入りがなく、閉鎖的な空間が沼です。その澱んだ底に潜む影のような存在がザリガニとすれば、社会を追われ、沼縁に張り付くように暮らす人々もまた、なにか影を持った人達でしょう。

主人公、カイアの父親もそんな人物で、身を持ち崩し沼辺の家で酒とDVに明け暮れます。耐えかねた母親は、ある日、子供たちを置いて突然出ていきます。その後、次々と子供たちも家を脱出していってしまいます。最後に残されたカイアは自然を友として健気に日々を送りますが、最後には父親がいなくなってしまいます。
一人になっても沼の畔の家に住む彼女はやがて、町の人々から「沼の少女」と呼ばれる、野生児と言ってもよいような少女となります。そして、そんな「沼育ち」の彼女にも訪れた恋。


まるで、純真な少女の成長物語のようにも見えます。しかし、私にはどうしても日替わり定食のように感じてしまいました。自然の奥深さやしいたげられた人々の優しさ、男の身勝手さ、暴力、人々の偏見を見せつけられながらも、どこかボリューム感がいまひとつなのです。もう少し深い描写がほしかったと思います。

しかし、これが監督が表現したかったことなのかも知れないと、今は思い始めています。深刻なテーマを深刻に押し付けるのではなく、日常としてさらりと見せてみせる。そこに偏見や差別というものの怖さを見せる。これかも知れない。いや、もともと、ミステリーでした。そう思ってみれば、よくできた映画だと思います。

水底のザリガニは決して歌わず、何も語らず、そして、姿も見せず。
結局、私は、ザリガニの恐怖に怯えながらも、ストーリーを追って最後まで観ることができました。

『ザリガニの鳴くところ』
監督:オリヴィア・ニューマン、脚本:ルーシー・アリバー
原作:ディーリア・オーエンズ著「ザリガニの鳴くところ」
出演:デイジー・エドガー=ジョーンズ(カイア)、テイラー・ジョン・スミス(テイト)、ハリス・ディキンソン(チェイス)など.
製作:2022年.125分.
原題:Where the Crawdads Sing

(ご参考まで)
映画『ザリガニの鳴くところ』公式サイト



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。